薄上紘太郎は、セイコーインスツルとセイコーウオッチに計8年従事し、そこで学んだ金属素材の使い方や加工技術のノウハウを生かしたデザインを強みとする。2024年4月ミラノのサローネサテリテに初出展し、出品作のひとつである照明「Moment」がY.S.M PRODUCTSで製品化された。本作は2025年1月16日から開催されるメゾン・エ・オブジェ・パリで初披露される予定で、自身も会場のブースに立つという。パリ出発前の薄上に意気込みとデザインに対する考えを聞いた。
『13歳のハローワーク』でデザインの仕事を知る
薄上は、1991年に福島・会津で生まれた。中学1年生のときに母親が買ってくれた『13歳のハローワーク』(村上龍著、幻冬舎、2003)を見て、その中の工業デザイナーに興味を抱いた。「創作活動が社会につながるという仕事に魅力を感じました」と薄上は話す。
2009年に宮城大学事業構想学部デザイン情報学科に入学し、デザインと経営の両面から学んだ。3年生に上がったときに東日本大震災が起こり、建築のゼミで復興プロジェクトに携わる。また、未来を担う学生と社会を結ぶことを目的に開催したアクシスギャラリー主催の展覧会「金の卵 オールスター デザイン ショーケース」に宮城大学の一員として参加。ペットボトルを使って数百個にも及ぶ小さな生き物「PET’s」をチーム全員で製作し、被災地でたくましく生きる生命の力を表現した。
金沢美大でデザインに向き合う姿勢を学ぶ
復興プロジェクトの経験からデザインのもつ力への興味が高まり、もっと学びを深めたいと考えて金沢美術工芸大学大学院に進学。「スタディを徹底して重ね、手で考える」という同大学の教えが自身の製作に対する姿勢の礎になった。
一方で、学生時代にさまざまなコンペにも応募した。野菜や果物を刺すフードピック「HETATSUKI」は、MAUデザインコンペ2013に入選し、h concept(アッシュコンセプト)で製品化されてニューヨーク近代美術館(MoMA)や金沢21世紀美術館のミュージアムショップでも販売された。ジッパー加工による開封口(菓子のパッケージなどに使用される)をめくっていくとメッセージが現れるカード「Peel so good」は、かみの工作所によるペーパーカードデザインコンペ2015の審査員賞を受賞。2016年には鋳造技術で製作した蝶ネクタイが富山デザインコンペティションの黒木靖夫特別賞を受賞し、2021年にLemnos(レムノス)で装身具ブランド「nodo」の「metal tie」として製品化された。
それらのメーカーが出展する展示会のブースにも立ち、デザイン関係者のみならず、さまざまな人と対話する機会を得られたことも貴重な体験になったという。
2016年の金沢美術工芸大学大学院修士課程の修了制作「CELLS – アルゴリズムを用いたプロダクトマテリアルのデザイン –」は、3Dプリンタで出力したパーツを組み合わせて、パーティションや照明などをつくることができるというもの。ちょうどデジタルファブリケーションの技術が日本でも普及した時期で、将来的に自分が必要とするものを自ら出力して使うという生活を想像してつくり上げた。
リアルなものの形や素材への興味
薄上が大学院を卒業する2016年頃は、いろいろなものがデジタルデバイスの画面の中に統合されていった時期だ。「モノからコトへという流れが加速して、デザインの世界の方向性が大きく転換していくのを感じました。UIやUXの分野に進む同級生も多くいましたが、僕はリアルなものの形や素材を追求するデザインをしたいという思いを強く抱いていました」。
そこで「形や素材をフィジカルに体感でき、永く残るものは何か」と考えるなかで、時計に魅力を感じた。2016年にセイコーインスツルに入社して腕時計のデザイン開発に携わり、2022年からはセイコーウォッチに転籍してライセンスブランドやOEMの開発、同社の機械式腕時計の特性とその魅力を伝える展覧会プロジェクト「からくりの森」などのアドバンスデザイン業務に従事した。
やがて学生時代にメーカーとものづくりに取り組んだ体験や、金沢美大の先輩や同じ東北出身の鈴木僚(@ryosuzuki_suika)が参加するデザインラボHONOKAといった同世代が世界で闘う姿を見て刺激を受け、独立の道を考えるようになった。
活動を開始した2024年春から現在まで
2024年3月にセイコーを退職して独立し、4月のミラノのサローネサテリテに照明「Moment」、ブラケットライト「Sail to the Moon」、スツール「Mirrored Stool」を出品。ステンレスのヘアライン加工やへら絞り加工、鏡面仕上げ、アルミ板の結晶模様加工などを駆使し、金属素材の新しい表現の可能性を探ったインテリアプロダクトを発表した。それらを6月のインテリア ライフスタイルでも発表し、国内外でさまざまな反響を得た。
そして、照明「Moment」がY.S.M で製品化されて、2025年1月のメゾン・エ・オブジェ・パリでの展示発表が決まった。会場内ブースに自身も立ち、Y.S.Mとともに販路開拓に向けて取り組んでいく。「デザイナーはものをデザインするだけではなく、どう伝えていくかということにも責任があると考えています」と、薄上は意気込みを語る。
ピュアで人間味のあるものに魅力を感じる
薄上が手がけるものは一見シンプルでミニマルに見えるが、本人はどのようなデザインを目指しているのだろうか。
「ミニマルというのは、潤いや趣のない無味乾燥とは違うと思っています。僕はそこにみずみずしさやリズム感、そのものを置いたときに空間の広がりや風景が感じられ、10年後に見ても古く感じない、時の試練に耐え得るものを目指しています。また、見て楽しい気持ちになったり、美しいと思って感動したり、クスッと笑ってしまったり、愛らしいと思ったりする、ピュアで人間味のあるものに魅力を感じます。そういうものを目標に据えながら、自分以外の人がどう感じるのか、そもそも存在意義があるのかなど、自らに問いながら、メーカーの方や職人さんに伴走して開発を進めることを大切にしたいと考えています」。
金属素材の魅力を引き出したい
薄上は、金属素材を用いたデザインの新たな表現をこれからも追求していきたいという。
「2024年のサローネサテリテでは、サステナブルな素材を使った作品に注目が集まっていましたが、金属素材にも改めて着目してほしいと思っています。ステンレスやアルミニウム、鉄、真鍮、銅といった金属素材のほとんどがリサイクル可能で、真鍮や銅は時を経るごとに味わい深さを増していく魅力があり、手入れを施すことで永く使用できる持続可能な社会の実現に貢献する素材でもあります。日本、そして世界には驚くほど感動する素晴らしい技術が多様にあるので、今後さらに極めていって、その素材のもつ美しさや面白さを多くの人に伝えていきたいと考えています」。
筆者が2024年を振り返ったなかで、「Moment」の存在感と美しさは群を抜いていたと感じるとともに、実力のあるデザイナーがまたひとり現れたという印象を抱いた。アクシスギャラリーの「金の卵」から巣立ったデザイナーのひとりとしても、今後のさらなる活躍にエールを送りたい。
メゾン・エ・オブジェ・パリ 2025年1月展
- 会期
- 2025年1月16日(木)〜20日(月)
- 会場
- パリ・ノール・ヴィルパント見本市会場 ホール6, K65
- 詳細
- Y.S.Mのブースにて「Moment」を展示発表。詳細はhttps://www.maison-objet.com/en/parisにて