浦田孝典は、設計・施工会社のスペース、TYD inc.を経て、2010年に自身の事務所を構えた。空間デザインを中心に手がけながらも、2014年にアウトドアブランドsunsetclimaxを立ち上げ、メイド・イン・ジャパンにこだわった質の高い製品を企画・製作・販売する。ショールーム兼事務所を訪ねて、浦田のデザインに対する考えを聞いた。
高校生の頃に興味を抱いた空間デザイン
浦田は、建設業を営む家で生まれ育った。父親はもともと建具職人で、幼少期には自宅の敷地内に木工所があり、職人に囲まれた生活を送っていた。カナヅチやノコギリが遊び道具で、自然とものづくりが好きになり、当時、デザインを教えていた東京の本郷高校デザイン科に入学。授業でインテリアデザイナーを調べる課題が出て、内田繁や北岡節男らの仕事、彼らが卒業した桑沢デザイン研究所を知り、空間デザインに興味を抱いた。
1995年に桑沢デザイン研究所に入学。当時は身体感覚を鍛錬する授業が中心で、貴重な体験だったと浦田は振り返る。「ひたすら木を削ったり、プラスチックを磨いたり、美しい仕上がりを手で触ってわかるようになるまで何度も繰り返すなど、そこで体得したことは今に生きています」。
桑沢デザイン研究所を卒業後、1997年に設計・施工会社スペースに入社して6年半従事。紳士服、宝飾、飲食といった多様なジャンルの全国各地の店舗空間のデザイン、設計、施工、監理、引き渡しまで一貫して携わった。将来的に独立を考えていたが、その前にデザイン事務所での経験も積みたいと思い、興味をもったインテリアデザイナーの手がけた空間に足を運んだ。
そのなかでTYD inc.が手がけたショップデザインに惹かれ、門戸を叩き、2002年に入所。その後、同社の仕事を間近で見て多くのことを学んだ。
独立後、自社ブランドを立ち上げる
TYD inc.に9年間ほど従事したのち、2010年に浦田孝典デザイン事務所を設立。翌年、東日本大震災が起こり、「自分のやるべきことは何か」と考え、宮城県気仙沼内湾地区で開催された復興まちづくりコンペに応募。上位の受賞者をスーパーゼネコンが占めるなか、個人事務所で唯一、浦田が6位につき、デザイナーとしての自信にもつながった。
2014年には、友人3人とアウトドアブランドsunsetclimaxを立ち上げる。きっかけは友人の快気祝いにキャンプをしたことだった。浦田は当時の思いを話す。「市販のテントやグッズを使いながら、もっと大人が楽しめるものが欲しい、自分たちでつくってみようと考え、すぐに実行に移しました」。
ブランド名はsunsetclimaxに決まり、浦田がロゴをデザインした。「夕日の最高潮」という意味の造語は、「夕陽を見ながら最高の時間を共有しよう」という思いに根ざしており、そこで過ごす時間や場の豊かさを提供することを目指した。
ターゲット層は、ブランド製品を数々使用してきて、ほかとは異なる質の高いものを求めるアウトドア上級者。使用する場は、山の上の過酷な自然の中ではなく、キャンプ場などインフラが整っている場を提案する。製品開発は、人が集う団らんの場であり、インテリアで言えばリビングにあたるタープから始めた。
メイド・イン・ジャパンにこだわる理由
テントやタープは、自然の風景に馴染みやすいように暗い色調のアースカラーが主流だが、彼らはあえてオフホワイトを選んだ。タープの下にいるときに光の反射によって顔の表情が明るくなり、料理が美味しそうに見えることを優先させた。機能面も重視し、帝人フロンティアでsunsetclimax専用のオリジナル生地を開発した。
素材や製造は、メイド・イン・ジャパン。その理由を浦田はこう語る。「現在、キャンプグッズの製造はアジアが主流ですが、日本の工場でも以前はつくられていたという話を聞き、産業を未来につなげるためにも日本製にこだわりました。その高いクオリティと技術力は、デザインの模倣を困難にしてオリジナリティを守ることにもつながります」。
その後、カップやバッグ、テントやテーブルをラインナップに加えた。素材メーカーや製造工場は、人の紹介や自分で調べて会いに行くなどして地道に広げている。人との出会いを大切にしながら、自ら撮影した写真や紹介された雑誌をメーカーに送るなど、年に一回、ユーザーの参加を募ったイベントを開催し、時には職人をゲストに招くなどして交流を図っている。ブランド立ち上げから10年目を迎え、売り上げも順調に伸び、近年は中国や韓国からの注文も増えているそうだ。
「企業の未来に寄り添うデザイン」を目指して
sunsetclimaxのブランドを通じてキャンプ製品業界の人脈も広がり、昨年は新富士バーナーのブランドSOTOからの依頼でデザインしたガスライターが今春に発売された。もともと市販されていたプラスチック製キャンプ用ライターを再編集して機能性や汎用性を高め、高級感をもたせて所有欲を満たす製品とした。手に持ったときや置いたときなど、使う場やシーンを考えながら、空間デザインの視点で考えたという。
クライアントワークについて、浦田はこう考えている。「昔、地方でデザイナーが高額な費用をかけて手がけたにもかかわらず何も残らなかった、産地が荒らされたという話をいまだに耳にします。先日、あるトークショーの題名にしたのですが、僕は『企業の未来に寄り添うデザイン』を目指しています。当たり前のことですけれど、自分の作品をつくるのではなく、クライアントの要望を第一に考えて、職人などのつくり手にも楽しんで取り組んでいただけるものづくりを心がけています」。
「自分にできることはやる」という思いで向かう
デザインとは、自分の唯一の特技だと浦田は考えている。
「僕はたまたま育ちの環境もあって、ものづくりが得意で唯一の特技なので、その力を使うことが当然のことだと考えています。企業が悩みを抱えているときももちろんですが、例えば、東日本大震災後に宮城のコンペに参加したときも、コロナ禍にシールドマスクを製作して、約2年間医療機関や湘南のライフセーバーに寄付をしたときも、頭で考える前に身体が自然と動いていた。いつも自分にできることはやる、という思いでいます」。
いちばん見たいのは使う人が喜ぶ顔
今後、手がけたいことのひとつに「地方創生」を挙げる。2014年から約2年かけて、TYD inc.監修のもとで佐賀県美術館の改修工事を手伝った経験がある。建物だけでなく、スタッフのユニフォームを新調するなど、そこで働く人の意識も高めるプロジェクトにやり甲斐を感じた。「今、69年式のジウジアーロがデザインしたイタリア車を自分でレストアしているんですけれど、そういう古いものをきれいにしたり、元気を与えることにデザインの力を役立てることができたらと考えています」。
「ものをつくったときに、いちばん見たいのは使う人が喜ぶ顔です」と話す浦田の視線の先には、自分ではなく、常に他者がいる。その姿勢から「人や社会とつながり、より良くしていくこと」がデザインのひとつの役割だということを改めて気づかせてくれる。