REPORT | アート / サウンド / フード・食
2024.11.05 14:54
大都市の中心地でありながら、しっかりとした闇があり、そこに黒い川が流れ、川面にネオンが映る。全国どこにも盛場はあるが、福岡・中洲ほど、夜のとばりが下りるとより華やかさを増す場所も珍しいだろう。この中洲のすぐ対岸、那珂川のほとりに「010(ゼロテン)BUILDING」はとりわけ目立つ姿で立っている。その地で9月27日(金)から10月6日(日)まで公演されたパフォーマンスアートは見応え、聴き応えのあるものだった。
2022年12月に開業した福岡の「010 BUILDING」は、ニューヨークの新進建築事務所クラウズ・アオが設計を担当(クラウズ・アオについては本誌223号「クラウズ・アオが押し広げる建築の境界と限界」参照)。建物全体が全方向に対して開かれているという外観だけでなく、中のシアター、レストラン、バーすべてを使ったエンターテインメントが可能というユニークな商業施設だ。
イマーシブ(没入感)シアターと名付けられた劇場「THEATER 010(シアターゼロテン)」で行われたパフォーマンスは、真っ暗闇の中から始まった。ステージは狭く、天井は高い。6席ずつ3カ所に分けて配置された、舞台を取り囲む半円形の座席に座っていると、体に響く低い音とともに座席の背後から入ってきた大きな人影が、ずんずんと歩を進め舞台に向かって行くのがわかる。
暗闇に慣れてきた目に、ダンサーの肩の上、背中の線がうっすらと浮かんでくる。スローなリズムを刻む低い音とともに、同じような動きが繰り返され、それがときどき予期せぬところでいきなり止まる。そしてまた動き出す。名和晃平によれば、静止したポーズに生きた彫刻を表現したと語っていたが、ダミアン・ジャレとのコラボレーションによって、一連の流れの動きが生み出されたのだろう。
こうした動きだけを書くと、見ていて飽きるのではないかと思われるかもしれないが、目の慣れによって微妙に変わっていく闇の明るさ、やはり少しずつ変化するダンサーの動きや白いスモークの流れが、同じ動きでも瞬間瞬間に違う様相を見せるので、瞬きをせず見入ってしまう。
ミラージュは蜃気楼、トランジトリーは刹那的と日本語に訳せるがいずれにしても移ろいやすく、確固とした実態がないものを感じさせるタイトルだ。ダミアン・ジャレは「生命はいつもトランスフォーマティブ(形を変える)なものだ」と説明をする。パフォーマンスは、太陽のフレアのように動きながら姿を変えていくもの、太陽の動き、7日間という周期が表現されている。
ベルギー/フランスの振付家でダンサーのダミアン・ジャレと彫刻家の名和晃平がコラボレーションを組むのは、これが4作目で10年目になるというが、どこまでをどちらが担当しているのかがわからない、息の合った演出がされていた。コロナ後初めての、リモートではなくダンサーたちが居住をともにして準備できたパフォーマンスだということも関係しているのかもしれない。
さまざまな人種の男女が織りなすパフォーマンスを経て最後に、最初に登場したダンサー、ヴィンソン・フレイリーの生の歌声が舞台を包む。曲はデューク・エリントンの「Come Sunday (日曜日よ、来い)」というジャズ・スタンダードで、今では讃美歌になっているというが、黒人が過酷な労働を耐え、神に祈る歌詞が繰り返される。それを70分間の舞台を踊り上げたヴィンソン・フレイリーが切々と歌い上げるというなんとも印象的なエンディングだ。
鍛え抜かれた圧倒的な肉体美と、声。人間の身体性と、テクノロジーによって精巧に組まれたライティングや水の動きが非常にうまく組み合い、また対比した舞台だった。「世界のどんな人にでも観て欲しい」(ダミアン・ジャレ)というこの舞台は、福岡を皮切りに来年はスイス・ジュネーブなど、世界各地での公演を計画しているという。(文/AXIS 辻村亮子)