ジャパン・ハウス ロンドン サム・ソーン館長インタビュー
コラボレーションが日本文化の理解を促進する

駅弁の食品サンプルが飾られたジャパン・ハウス ロンドンのウィンドー。「Looks Delicious! Exploring Japan’s food replica culture 目で味わう 食品サンプルの世界を探究する」より。Photo by Jérémie Souteyrat

ジャパン・ハウスは、日本で暮らす人には逆に馴染みが薄いのかもしれない。この施設は展示、イベント、物販、飲食といったさまざまな活動を通じて、日本の魅力を海外に伝えるために日本政府によって設立された。サンパウロ(2017年4月開館)、ロサンゼルス(2017年12月一部先行開館)に続き、2018年6月にはジャパン・ハウス ロンドンが開館した。その立ち上げに寄与した初代館長のマイケル・フーリハンが2022年に退任し、新たに就任したのがサム・ソーン。ベテランのフーリハンからバトンを譲り受けた当時40歳だったソーン館長の主導する展覧会が、この10月に始まった。自らについて、またこれからの戦略と展望を尋ねた。

日本のアーティストやデザイナーを支援する

今年の6月、天皇皇后両陛下が英国を訪問し、連日、日本のメディアに大きく取り上られたことは記憶に新しい。その際、天皇陛下の訪問先のひとつがジャパン・ハウス ロンドンだった。サム・ソーン館長は、陛下に館内を案内していた人物だ。

「館内のショップで、今年、災害に見舞われた石川県の製品をご紹介した後、下階の展覧会会場にご案内しました。そのときは『デザイン・ディスカバリーズ』という日本のデザインミュージアム建設に向けた展示を行っていましたが、陛下は縄文時代から現代に至る長い時間軸と、日本全国が網羅されている展示内容にご感銘を受けられているように感じられました」(ソーン館長)。

9月8日まで開催された「デザイン・ディスカバリーズ」では、田川欣哉、田根剛、森永邦彦といった現代の日本のデザイン界をリードするデザイナーや建築家が参加。英国の観客が日本デザイン界のキーマンを知るうえで有意義な内容だった。Photos by Jérémie Souteyrat

天皇皇后両陛下は今年6月22日〜28日まで英国を来訪された。Photo by Cody Bamford

ソーン館長の経歴を紹介すると、最初の仕事として、現代アートだけではなく音楽や映画など幅広い文化を扱うアート誌『フリーズ』の編集者を務めた。しかし、フリーズは次第に雑誌からイベントに重点を移すようになり、彼も展示のキュレーションやトークショーなどの仕事にシフトしていく。

その後、国立美術館「テート」の4つの美術館のひとつであり、コーンウォール地方にあるテート・セント・アイヴスのアートディレクターとして活動。ノッティンガム・コンテンポラリーという公立美術館の館長も務めた。輝かしい経歴だが、ソーンの特筆すべき活動はこれだけではない。

英国には多くの有名美術大学があり、多岐にわたる修士や博士課程が盛んであるが、その授業料は決してリーズナブルとは言えない。「アーティストを志す者が、スキルや知識を大学で学びたいと思っても、経済的な理由で断念せざる得ないことがある。この状況を打開したかった」。

こう考えたソーンは、2012年に仲間とともに「オープン・スクール・イースト」を設立。ここでは準学士号が取得できる無償のアートコースだけではなく、メンター制や有名アーティストの講義を受けられるとあって、若者たちに人気を博している。オープン・スクール・イーストは現在、本拠地をロンドンから海辺の街、マーゲイトに移し、ソーンはジャパン・ハウスの館長になってからもライフワークとして関わり続けている。

「好景気だった頃に比べて、日本のアーティストやデザイナー、キュレーターが、英国で活躍する機会は激減しています。ロンドンだけでなく、英国各地に存在するさまざまなアート団体に呼びかけて、彼らが展覧会などで渡英できる機会だけでなく、アーティスト・イン・レジデンスになり得るような場所を探し、長期的に英国で活動できるように働きかけています」。

ジャパン・ハウスが展覧会で取り上げるテーマはアートや工芸だけでなく、漫画といったサブカルチャーにも及ぶ。今夏ロンドン・コロシアム劇場で公開された舞台「千と千尋の神隠し」のロンドン公演は大ヒットしたが、ジャパン・ハウス ロンドンではこの公演で使用されたパペットとともに小道具として使われた能面の意味などを解き明かす講演会を開いた。Toby Olié: Puppetry Designer & Director and Daisy Beattie: Puppetry Co-Designer & Supervisor Photo by Helen Murray

欧州の人が知らないクリエイターにスポットを当てる

ジャパン・ハウス ロンドンには、サイモン・ライトという日本への造詣が深く、日本語が堪能な企画局長が在籍する。開館記念イベントとして開かれたのは、彼が企画した燕三条の金物づくりの展覧会だった。その他にも、飛騨高山の家具や木工、最近では北海道平取町二風谷地区のアイヌ文化や工芸品などを紹介する企画展示が開かれ、どれもクオリティが高いとロンドンで評判だ。開館6年にしてジャパン・ハウス ロンドンは一定の評価を得ているが、新たな観客動員を獲得するという点で、第2フェーズに突入しているように見える。ソーンにこれからの戦略を尋ねると、すぐさま英国の他団体とのコラボレーションを強化すると告げた。

「昨年、ロンドン東部にある旧ヴィクトリア・アンド・アルバート子ども博物館の大改装工事が終了し、ヤングV&Aとして生まれ変わりました。その柿落としの展覧会『ジャパン:神話から漫画まで』に、実はジャパン・ハウスが貢献していたのです」。

また、今年の7月、ジャパン・ハウス ロンドンは世界有数の現代アートギャラリー、ホワイト・キューブとのコラボレーションにも成功した。ソーンは日本人アーティスト・野又穫のトークイベントの司会を務めるために、日本にある野又のスタジオを訪問した。

「日本人アーティストの個展というと、草間彌生、村上隆、杉本博司といったすでに世界的に著名な方ばかりが、いまだ欧州の美術館で大きく取り上げられます。御三方が世界的に認められていることは喜ばしいですが、これからはまだ欧州の人たちの知らない、日本の優れたクリエイターを紹介する機会を増やしていきたい」。

彼のコメントは、アートに限らずデザインや建築でも同じなのではないだろうか。その打開策として、ソーンはほかの組織と積極的に連携することで、包括的に日本をプロモーションすべきだと考えている。

ロンドンの有名ギャラリーであるホワイト・キューブが所有する施設のひとつ、メイソンズ・ヤードで行われた野又穣とソーン館長の対談。

野又氏は博報堂勤務からアーティストに転身した変わり種。エッシャーのごとく、構造的に存在できない建築をリアルに描く作風だ。©️White Cube(Theo Christe)

この夏は、ロンドンのウィリアム・モリス博物館が「英雄なき芸術」展で日本の民藝を取り上げ、ソーンはジャパン・ハウスで担当キュレーターを招いたトークショーを開いた。ソーンのかつての職場があったセント・アイヴズは、バーバラ・ヘップワースを筆頭にコーンウォール派と呼ばれるアーティストの活動地域であり、陶芸家のバーナード・リーチが開設したリーチ・ポタリーがあることでも知られる。

「リーチ・ポタリーのアーティスト・イン・レジデンスを観察すると、濱田庄司の哲学が英国陶芸のみならず現代のアーティストにも影響を及ぼしていることを実感します。現代のアートフォームは、絵画に加えて、テキスタイルや陶芸作品が増えています。日本の若い人たちが民藝運動やその作品を再評価するように英国での認知度が高まれば、民藝は世界的にもっと評価されるものになるでしょう」。

ジャパン・ハウス ロンドンで開催されたソーンとローシン・イングルスビーとの民藝対談の模様。イングルスビーはロンドンのウィリアム・モリス博物館の「英雄なき芸術」展の担当キュレーター。

外国人にとっては珍しい食文化にフォーカス

ロンドンには、各国の大使館とそれに付随した発信拠点が多く存在するが、ジャパン・ハウスがユニークなのはそのロケーションだ。大使館が立ち並ぶような厳かな地域ではなく、ケンジントン・ハイストリートという大通りに面し、周辺にはアパレルのショップ、レストランやカフェ、食料品店といった商業施設が軒を連ねる。

「当館は、デザイン・ミュージアム、サーペンタイン・ギャラリー、V&Aといった博物館が徒歩圏内というだけでなく、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)、王立音楽院、インペリアル・カレッジなどもある文教地区です。さらに飲食業も多いですね」。

「Looks Delicious! Exploring Japan’s food replica culture 目で味わう 食品サンプルの世界を探究する」ポスター。会期は2024年10月2日〜2025年2月16日。

会場には来場者が食品サンプルを盛り付けて自分だけのオリジナル弁当をつくることができる体験コーナーも設けられ、早くもインスタグラマーの人気の場所になっている。Photo by Jérémie Souteyrat

10月2日よりジャパン・ハウス ロンドンでは、「Looks Delicious! Exploring Japan’s food replica culture 目で味わう 食品サンプルの世界を探究する」展がスタートした。日本の食品サンプルを包括的に紹介する国内外初の展覧会だという。本展の見どころのひとつとして、日本全国47都道府県を代表する食を食品サンプルで展示する。北海道の豊かな海の幸から沖縄県のゴーヤチャンプルーまで、郷土料理や特産品、ご当地グルメがずらりと並ぶ。 展覧会が始まる前から英国の地元紙では日本の食品サンプルに関する文化やその技術が大きくフィーチャーされ、人々の関心が集まっている。

「日本の食品サンプルは、外国人にとっては珍しい食文化です。展覧会では、食品サンプルの製作工程や、日本の食文化の歴史的および文化的背景、これからの取り組みなどを紹介します。この展覧会を通じて、これまでと少し異なるタイプの観客が日本に興味を持って、ジャパン・ハウスを訪れることを望んでいます」。

ソーンの姿勢は、日本の文化を日本の視点で紹介するのではなく、外国人がどう捉えているかという考察が伺える点で、筆者のような在英日本人には興味深い。ジャパン・ハウス ロンドンの展示やイベントが、これからどのように変わっていくのか期待したい。End

日本各地の郷土料理を模した食品サンプル例。Photo by Jérémie Souteyrat

サム・ソーン。ケンブリッジ大学で英文学を専攻後、英国の現代アート誌『フリーズ』の編集者として、またロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)でクリティカル・ライティングの講師を務める。その後、テート・セント・アイヴスのアートディレクター、ノッティンガム・コンテンポラリーの館長を務め、2022年ャパン・ハウス ロンドン館長に就任。Photo by Ollie Dixon