ISSEY MIYAKE 2024/25年秋冬コレクション「What Has Always Been」
前編|美と歓びを探求するデザイナー 近藤悟史の現在地

Photos by Masahiro Sambe

ISSEY MIYAKE(イッセイ ミヤケ)2024/25年秋冬コレクション「What Has Always Been」の展開が2024年7月より開始している。近藤悟史(こんどう・さとし)による10回目の同コレクションは、「色」と「時(とき)」をキーワードとし、衣服の根源となる「布をまとう」行為に立ち返るものとなった。20年春夏の鮮烈なデビューから約5年。本記事では、イッセイ ミヤケの哲学「一枚の布」を軸とし、己の美学を貫きつづけてきた近藤の今に迫る。激しく揺れ動く社会のなかでも、“美と歓び”に満ちた希望を確かに見出していた。

後編ではデザインチームのメンバーも加わり、コレクション制作の具体的なプロセスを紹介。近藤のビジョンをかたちにするチームのものづくりに注目する。

ヘーゼルナッツの花粉に見た、美しさの本質

コレクションの出発点には「色」があった。 ISSEY MIYAKEのデザインチームを率いた約5年にわたる時間の末に、近藤は「色をまといたい」という極めてシンプルな欲求に立ち返った。

近藤悟史(こんどう・さとし)1984年⽣まれ。2007年に上⽥安⼦服飾専⾨学校卒業後、イッセイ ミヤケに⼊社。PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE、HOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKEのデザインチームを経て2017年、三宅デザイン事務所に移籍。2019年、ISSEY MIYAKEのデザイナーに就任。

そのとき近藤の心に湧き上がったのは、かつて森美術館で出会った、現代アーティスト ヴォルフガング・ライプの作品「ヘーゼルナッツの花粉」だった。自然から採取した花粉をふるいで丁寧に敷き詰め、床一面を鮮やかな黄色で彩るというインスタレーション。まるで自然の力がそのまま色に宿ったようなこの作品が、記憶に深く刻まれていた。

「ただただ美しいと思ったんです。国や文化も悠々と超える、人間の本質に触れるような美しさがありました。花粉を敷き詰めただけなのに、見た者の想像を掻き立て、『これはなんだろう?』と問いかけてくるような力強さもある」と、作品を目にして圧倒されたときの興奮を振り返る。

そして、色というテーマに「時」が加わり、コレクションの構想は深まっていった。色は時間でうつろいゆくが、時間の流れそのものは変わらない。時間によって、変わるものと変わらないものが生み出す美しさを結びつけたいと考え、近藤はこの二つをコレクションの核としたのだった。

イメージブックの冒頭に入れられた、ヴォルフガング・ライプの作品。

「Clothed in Color, Clothed with Time(色をまとい、時をまとう)」——。コレクション制作の最初に近藤がつくる「イメージブック」の1ページ目にはそうつづられた。チームメンバーに自らの思考を共有するため、コレクション毎に必ず制作するという。その内容は写真ばかりだったり、ドローイングを入れたり、断片的な言葉を入れたりとさまざまだが、初期段階でテーマがはっきりと記されたコレクションはとても珍しいと話す。

こうして「色をまとい、時をまとう」という言葉を拠り所として、2024/25秋冬コレクションに向けたものづくりが始まった。

三宅一生から受け継がれる、古代から変わらぬ美

デザインチームは、コレクションのリサーチに十分な時間を割く。「私たちのリサーチにおけるアプローチはある意味で考古学的といえます。過去をさかのぼり、そこに埋もれた美しさやかつての価値観を発掘していく行為によって、新しいものづくりにつながる発見があるんです」。

色と時を探求するリサーチにおいては、最古の和歌集「万葉集」などを資料とし、植物の花の名前や、情景を表す言葉が集められた。そうして丁寧に歴史を紐解いて過去と対話する姿勢は、ISSEY MIYAKEのものづくりの本質を見つめ直すことにもつながった。

イッセイ ミヤケの創業者の三宅一生は、1971年にブランドを立ち上げた当初から、「一枚の布」という思想で、身体と布の関係性を探求してきた。ISSEY MIYAKEのデザイナーが代わってもこの哲学は受け継がれ、近藤も継承者のひとりとして、「美と歓び」という自身の美学をかけ合わせたものづくりを続けている。

ISSEY MIYAKEというブランドの今を自問自答し、色と時を探り当てようと、近藤は日本の古代の暮らしに想像を巡らせていた。「日本で初めて衣服をまとったといわれているのは縄文人なんだそうです。三宅がよく縄文時代の話をしていたので、私もその影響を強く受けたんですね」。

動物の毛皮で寒さを乗り越えてきた石器時代を経て、縄文時代の人々は植物で編んだ布の衣服を身につけていたと考えられている。そして弥生時代に入ると、木などを使用して布を織るようになったそうだ。

デザインチームで拾ってきた小石を3Dスキャンし、波佐見焼でつくった留め具がコレクションでは使われている。

「初めて布の衣服を着た人は、どのように服を着たのだろう」と考えながら、近藤は仮縫い用の平織生地シーチングでスタディ(試作)をつくった。ロールから布を切り出すとき、布をできるだけ無駄にしたくないと思い、横に真っ直ぐ切っただけの四角い布をそのまま使うことを考えた。

「自分が縄文時代にいたら、どんな提案ができるだろうと考えました。だから、身の回りのものだけでつくりはじめたんです」と、近藤が取り出したのは、川辺で拾った小石。その中央には穴が開けられていた。

着る人自ら、形を想像する豊かさ

テーブルの上に置かれた、高さ約60㎝ほどのミニトルソー。近藤は、約30㎝四方の布を手にし、肩からボディに巻きつけて、ウエストのあたりで布をまとめる。中央に穴を開けただけの小石を留め具にして布の端を石の穴に通し、腰のあたりで絞ると、陰影が美しいドレープが生まれた。平らな布が身体を覆うと、身体がもつ有機的で複雑な曲線に沿って形が立ち現れる。これがコレクションにおける最初のスタディだ。

近藤によって、その場で再現された「ENCLOTHE」のスタディ。

最終的に「ENCLOTHE」として発表されたこの小さなスタディは、四角い布の角から中央に向けて1本の切り込みが加えられた。四角い布はほかにもさまざまにパターンを変えて、「ENTWINE」、「ENVISION」などとして展開されている。エレガントなシルエットからは想像もつかないほど簡素なこれらのパターンには、小さな切り込みやわずかにカーブを描くようにハサミが入れられただけで、生地幅に対して捨てるところがほとんどないように設計された。

「ENCLOTHE」の四角いパターン。

「〜にする」という能動的な意味を持つ接頭語「En-」が示すように、着る者が自らの手で布をまとう瞬間、これらは初めて服として完成する。洋服という感覚で着用するものではないため、着用方法の動画が作成されたほどだった。

「着方が複雑でわからないという声は社内でも当然あったけれど、私はあまり気にしなかったですね。どうやって着るんだろう? と考えること自体がとても豊かだと思ったし、そうした余白がある服は時代を感じさせず、100年経っても古くならないと思うんです。だから、仕上げすぎて堅くなってしまうものにはしたくなかった」と近藤は言った。

20年にデビューコレクションを手がけてから今日に至るまで、人々の価値観は世界中で大きく揺らいだ。だが、「どんな時代にも、美しさや歓びは存在しつづける」と近藤は信じている。未来に対する不安はあるけれど、「それでも、ものづくりにはきっと希望がある」と、静かに、確信に満ちた声で言った。

そうして本コレクション制作の最後に付けられたタイトルは、「What Has Always Been(すでにそこにあるもの)」。過去を肯定し、未来に希望をかけるこの言葉には、ISSEY MIYAKEの今があった。End(文/阿部愛美)