蘇るバウハウス。
パリオリンピック 2024から見えてくるモダンデザインの伝承

オリンピック期間中のパリ市庁舎の様子。

パリ市庁舎の正面に、パリ市のシンボルを描いた青いプレートがある。その廻りに幾何学的な文様のパネルが張り出されたのは2023年の秋だった。オリンピックの広報だが、いわゆるポスターとはちがう。だがスクリーンに印刷された青い幾何学文様に見覚えがあった。バウハウスの丸・三角・四角の構成に似ているのはどうしたことか、と驚く。

1923年の「バウハウス展」のポストカード。©️Heritage Images

国際オリンピック協会(以下IOC)は2022年10月にカナダのHulse & Durrell事務所(Ben Hulse, Greg Durrell)に、オリンピック全体のグローバルなアイデンティティのデザインを依頼した。ベン・ハルス(Ben Hulse)は2010年、カナダのバンクーバーオリンピックのためにメイプルリーフをモチーフにしたポスターのデザイナーだ。

IOCからの依頼は「スポーツを通して素晴らしい世界を構築する」というコミュニケーションを狙ったものだった。というのもIOCは1896年の創立以来ビジュアルな表現についての総合的な作業をほとんど怠ってきたからだ。世界中の人々が知っている5輪の輪は、シンプルなシンボルだったが、5つの大陸を象徴する5色以外に、マークとともにある文字についての検討は、1920年のL’Olympic Headlineというセリフがない全て大文字の提案がされたのがおもな出来事だった。5輪の輪以外のビジュアルな表現は主催国まかせだったため、土地とその文化に根ざしたユニークなデザインが生まれるチャンスでもあったのだが。

だが今、オリンピックというブランドが「今日的なものであり、信頼できる」ものであることを確実に伝えるビジュアルな表現が必要と判断された。
デザイナーの最初の提案は、だれもが知っているオリンピックカラーの5色を、今まで以上に強くわかりやすく、もっと柔軟に表現できる方法を探すことから始まった。その問題解決には、ランニングトラックのレーンを基本に、5色を6段階のグラデーション(合計30色)で補足することが含まれていた。

IOCから提示されたメディア向け広報冊子の一部。

ゲーム(競技)からインスピレーションを得て、色と幾何学のグラフィックシステムに落とし込んだ。とはいえ、この企画で注意したのは、伝統とモダンの両方を補い合うこと、具体的には印刷技術とデジタル技術の両者のバランスをとることだった。つまり紙媒体でも、LEDスクリーンに映される動画にも使えることだ。

とはいえ1964年に亀倉雄策がデザインした東京オリンピックのロゴマークやポスターなどの作品は、その後のオリンピックに大きな影響を与え、それを受けて1972年のミュンヘン大会では、オリンピックのビジュアルメッセージの総合システムをオトル・アイヒャーが担当した。アイヒャーはバウハウスの再現を願ったウルム造形大学創立者のひとりだった。すべてを記号化し書体もユニバースだけで、デザインはポスター、IDカード、医療証、駐車券、会場地図に至るまで、完璧なデザイン・マニュアルを残した。そのシステムがグリッドシステムだった。

このグリッド・システムはIOCの本拠地であるスイスのグラフィックデザイナーであり、インターナショナルスタイルの創始者ミューラー・ブロックマンの創案だった。1990年代に彼はアメリカとカナダで自身の仕事を行うのと同時に、現地での教育や講演にも力を注いできた。当然そこで代表作であるグリッドシステムを教え、それがカナダのハルスとダレルのふたりを今回の仕事へと導いた。グリッドシステムだからこそ、LEDスクリーンへの対応も簡単なのだ。

ふたりのデザイナーが提案したのは、
1,3種類のロゴタイプ
2,3レーンのランニングトラックに見立てて5色を配した基本デザイン図
3,付け加えることができるアクセサリー図
4,そしてこれらの利用マニュアル(幾何学図形のプログラム)

ただ、これまでの大会のグラフィックデザイン、ロゴ、ポスター、などと大きく異なるのは、コンピュータでプログラムされたシステムでデザインできることだ。
その提案指示書には、5色それぞれの6段階のグラデーション(合計30色)、色彩の使い方、ロゴシステム、5輪の構成方法、タイポグラフィ、オリンピックセリフ、ランニングレーンを元にしたデザイン提案、加える装飾ライン、色彩の詰めかたと空白の扱い方、スポーツライン、レイアウトなど基本から応用に向けての詳しい指示が含まれている。

このマニュアルに従って操作すれば、街路の旗、建築の天井と壁と囲い、競技場の正面、競技場の床と側面、選手入場口、記者会見場の背景、スポンサー商店の看板、ショッピングバックなど、応用は無限に展開する。しかも目を凝らせば、町中を賑わすオリンピックの旗に同じデザインはない。幾何学的でありながらその形も配色も無限の組み合わせがあることがわかる。ただ残念だったのは、フランス革命の女神マリアンヌと聖火を元にした大会のシンボルとの折り合いが難しかったということ。評判が良くなかったシンボルだが、どうしても肩身を狭くしてデザインに連なっているようにみえる。

この幾何学的なデザインが最も美しく展開したのはパリ・ラ・デファンス・アリーナの水泳プールだ。青を基調とするプールの色彩構成には息を呑む。初めてプールの美しさに感激したというベテランの選手もいたほどだった。水の青に間違いないが、プールの水面に浮かぶフローティングラインの赤と青に白のレイアウト、プールの周囲に配した青を基調とする幾何学文様の帯、同じ青の選手入場の門の大きめの文様、などは、このデザイン手法の使いやすさと効果を示している。

©️Al Bello

©️Clive Rose

体操競技の床の色にもグラデーションの配慮がある。グランパレでの競技、選手の動く床は明るめ3段階くらいの紫で、それ以外は濃いめのグラデーションが使われている。テレビ放映のための強烈な光線に照らされる選手の影が邪魔にならず、なおテレビへの映りが良いバランスを探すための配慮だった。だから、床はピンク、紫、緑と華やかに彩られても床とスクリーンに映る選手の影は、極めて薄い。
また高額なチケットが買えない市民や光客のために巨大スクリーンで楽しめる無料ファンゾーンがパリ市内に25ヶ所ある。ショーがある舞台や食のコーナーさえある無料ゾーンを取り囲むのも競技会場と同じ幾何学の文様を配した幕だ。ただし長い行列に並ばなければ幕を越えて入場できないから注意が必要。

©️Tom Weller/VOIGT

テロに脅かされて始まった開会式だったが、選手が式場に向かう船が進むセーヌ川沿いの市民は、オリンピックデザインを胸に抱くことになった。川沿いの道路と橋は金属の柵で封鎖され、通行許可書がなければ自宅にすら戻れない。その許可書さえ美しい幾何学文様で飾ったのだ。

1950年代に始まったバウハウスのモダンデザインは、オリンピックの表舞台と裏舞台の双方をうめることになった。だれもが理解できるニュートラルな国際性を研究したモダンデザインの手法はグリッドシステムの創案に至った。グリッドにしたがったタイポグラフィーや図柄のレイアウトであれば、合理的にでき、理解しやすい。民族文化にかかわらずニュートラルな理解がバウハウスに根ざしたスイスデザインの根源だった。パリオリンピックにバウハウスの根があるデザインが登場したのは、そこに衰えをしらない現代性があるからだ。End