医療×ものづくりのソリューションサービス
「SICRASS」でつなぐ職人技とみらい
TBDA実現化への道のり 受賞者インタビュー

Photos by Kentaro Hattori

中小企業が持つ優れた技術や素材に、デザイナーのアイデアや視点をかけ合わせ、新しいデザインやビジネスを生み出す「東京ビジネスデザインアワード(以下、TBDA)」。2012年から毎年実施されているこのアワードによって、これまで数多くの中小企業とデザイナーがマッチングし、創意工夫したアイデアを協働で実現させてきました。

今回紹介するのは、2022年度(第11回)にテーマ賞を受賞した「SICRASS(シクラス)」。外科手術で使用するメスなどの「医療器械」を中心に展開するソリューションサービスで、減りゆく手加工の医療器械職人の育成と、その技術継承を支援するとともに、収益向上を目指し、手術用鋼製器械メーカーの株式会社マイステックの新事業として始動しました。

医療器械のつくり手と使い手、支援者によるネットワークが、SICRASSによって着実に拡大しつつある今、これまでの道のりとこれからについてお伺いしました。お話しいただいたのは、テーマ企業でありマイステック代表の金井しのぶさんと、マッチング相手であるデザイン会社トムテでビジネスデザイナーを務める榎本清孝さん。そして、SICRASSプロジェクトメンバーである帝京大学 先端総合研究機構 特任教授の中西穂高さん、医療器械職人の糸井義範さんです。

消えゆく医療器械の手しごと

——デザイナーからアイデアを募ったテーマと採用された成果物について教えてください。

金井 ハサミやメスといった外科手術用器械の認知と価値向上、加えて、それを生み出す職人と手加工技術を守るためのアイデアを募集しました。そして、トムテのビジネスデザイナーである榎本さんとマッチングして、器械職人と手加工の製造技術を軸としたソリューションサービス「SICRASS」を立ち上げました。

金井しのぶ(かない・しのぶ)/手術用鋼製器械専門メーカーのマイステック代表取締役社長で、SICRASSの事業責任者。前職で30年以上にわたり整形外科医とともに医療器械を開発し、2018年に独立して現職。

SICRASSとは、SURGICAL INSTRUMENTS CRAFTSMAN SOLUSION SERVICEの略称。

——SICRASSでは、どんなサービスを提供していますか?

榎本 現在6つのサービスからなり、国産医療器械の製造を手がける「SICRASS JTOOL(シクラス・ジェイツール)」、医師のアイデアから製品開発を行う「SIRASS D’sPRO(シクラス・ディーズプロ)」、協業や交流を目的とした会員制プラットフォーム「SICRASS MEMBER(シクラス・メンバー)」のほか、ショップの運営やコンサルティング、セミナーを展開しています。

SICRASSのサービス概要図。

SICRASSを利用するのは、外科医師や看護師、病院、医療機器メーカー、新規参入企業などで、それに応えるのは医療器械職人を中心としたSICRASSのプロジェクトメンバーです。手術用鋼製器械メーカーのマイステック、デザイン会社のトムテ、“医療とものづくり”の「医工連携」に力を注ぐ帝京大学先端総合研究機構、知的財産権に精通した滝田三良法律事務所を中心に、協力企業とも連携を行っています。

榎本清孝(えのもと・きよたか)/デザイン会社のトムテ代表取締役、アートディレクター、ビジネスデザイナー。企業やブランドの“価値転換”を手法とした新規事業の開発やブランド構築を得意とし、2023年度のTBDAでは最優秀賞を受賞。

——SICRASSは技術継承をしていくことが大きな目的のひとつですが、手加工の医療器械がなぜ重要なのでしょうか。

金井 私たちが専門としている整形外科の脊椎脊髄外科は、外科手術の中でも特に高度な技量が求められる分野のひとつです。手術部位や患者の体格によって道具を使い分けるため、さまざまな種類が必要になるのですが、1種類あたりの生産量は決して多くないため、量産品と併用しつつ、手加工でつくる医療器械も必要とされてきました。

中西 道具の使い勝手の好みは、医師によって異なります。医師が自分の力を遺憾なく発揮するためには、手加工でカスタムメイドされた手術用器械の需要が必ずあるのです。

中西穂高(なかにし・ほだか)/帝京大学先端総合研究機構副機構長、特任教授、産学連携推進センター長。専門の研究領域は、産学連携プロジェクトの発掘、知的財産権の利活用など。近年は、地域活性化やスタートアップの研究にも注力している。SICRASSでは、医工連携などによるビジネスモデルの構築などに尽力。

金井 ですが近年、職人の高齢化と後継者不足によって、手加工の器械を供給できない事態が発生しています。このプロジェクトは、職人や技術を守ると同時に、患者の不利益を未然に防ぐ試みでもあるのです。

SICRASSのシンボルマーク。それは​「て」と「て」で「互」がつくられ、中央に「S」が浮かび上がる構成。職人の手加工、外科医師の手による施術、手と手を取り合うチーム、すべてにおいて人の「て」が重要な役割を果たし、お「互」いに協力することでSICRASS が持続可能(Sustainable)な存在として外科手術(Surgery)の分野に貢献していくという願いが込められている。

——サービスの要となる職人を率いる糸井さんは、SICRASSをどのように感じていますか。

糸井 医師や看護師、専門家などと交流する機会ができたことは、これまで黙々と作業に打ち込んできた僕らのような職人にとって大きな意味を持ちます。職人は器械をつくるけれど、手術をするわけではありません。ですから、使い手や専門家と話し合うことは自分の知見を広げるだけでなく、器械の安全性を向上させることにもつながります。それに気がつくことができたのは、職人として重要な転機となりました。

糸井義範(いとい・よしのり)/医療器械職人(屋号はZERO factory)。20年以上にわたり医療器械職人として活動し、現在はマイステックが運営する共同工場「ITABASHI Co-working factory」を拠点としている。SICRASSでは技術顧問として後進の育成にも励んでいる。

デザインによって想いをクリアに

——数あるテーマ企業から、榎本さんがマイステックにご興味を持たれたのはどうしてですか。

榎本 自分の強みを活かせると思ったからです。金井さんは、TBDAに応募する前から手加工の医療器械が失われつつあることに危機感を抱いていて、若手職人の育成や、職人らが利用できる共同工場の開放など、さまざまな試みをすでに実践していました。ただ、手を広げすぎてとりとめがなく、雑然としていたんです。私の前職がシステムエンジニアだったこともあり、情報の処理や論理的に思考することには自信がありましたから、プロジェクトを整理して提案すれば受け入れてもらえると思いました。それに、金井さんの“人の良さ”にも惹かれました。

——金井さんは、榎本さんの提案を最初に見たときの印象を覚えていますか。

金井 まさに私が求めていたものそのものでしたから、「これよ、これ!」と、即決しました(笑)。私は感覚的に物事を捉えるので、言葉で説明してもうまく伝わらないことが多いのですが、榎本さんは私が思いつくままにやってきたプロジェクトを見事に整理して、6つのサービスにまとめ上げてくれたんです。

——マッチング後はどのようにサービスを立ち上げられたのですか。

榎本 僕の提案内容はまだ粗削りでしたが、「まずはやってみよう」という考えは金井さんと一致していました。糸井さんを含む3名の職人にまずはお声がけをして、そこから金井さん経由で中西教授、そして知的財産権に関する業務を行う弁理士にも参画いただきました。そうしてチームをつくることから始めて、みんなでSICRASSをつくり上げていったのです。

糸井 榎本さんの仕事ぶりを見て、自分の考えるデザイナー像とのギャップに正直驚きました。僕は、金井さんとは前職からの付き合いがあり、その感覚的な思考を理解することにはある程度慣れています。それは20年以上の付き合いからくる経験値だと思うんです。でも榎本さんは、短い期間で理解して、誰にでもわかるように整えてくれました。デザインは表面的なものではなく、こんなこともできるのか、と感嘆しました。

“伝える力”で広がるつながりの輪

——23年11月からSICRASSを運営されていますが、現状はいかがですか。

榎本 試行錯誤の段階ではありますが、SICRASSによる異業種のネットワークは着実に広がりつつあります。すでに、医師発案による器械の開発を手がけたほか、10社以上がメンバーシップに加入してくれています。次なるステップは、セミナーや学会への企業出展などを通して、認知度をさらに上げること。それによって、ネットワークを拡大させていきたいです。

SICRASSが医師とともに開発した医療器械。

金井 サービスを実現するための資金の確保ができたことは、嬉しい誤算でした。今私たちがいるこの工場は、医療機器製造販売メーカー「荒井製作所」が昔使用していた廃工場です。若い職人を支援したり、医師や看護師のほか、専門家が集う場所としてマイステックが借り上げ、TBDAに応募する前から共同工場「ITABASHI Co-working factory」として開放しています。

TBDAでの実績も手伝い、この場所が東京都の「インキュベーション施設運営計画認定事業」に認定されました。それによってこの場所を改装する資金を得たので、年内には工場兼カフェに生まれ変わらせる予定です。さらには、独立系ベンチャーキャピタル「ふくしまメディカルヒルズ投資事業有限責任組合」の投資を受ける幸運に恵まれたので、SICRASSのサービスをより一層充実させるべく、奮起しています。

——今回のプロジェクトでの気づきや、そこから得られた個人的な展望も教えてください。

榎本 SICRASSをスタートさせて気がついたことは、マイステックのように、事業内容が良くてもうまくいっていない中小企業は意外と多いのではないかということです。今回の経験をとおして自分の強みを改めて認識し、実践で活かせることがわかったので、ほかの中小企業に対してもデザインで力になりたいと考えているところです。

糸井 僕はこれまでずっと医療器械職人の育成や技術継承に向き合い、自分にできることはなんだろうと考えてきました。SICRASSの技術顧問となった今、この立場を活用して技術継承を確実なものにしていきたいと考えています。例えば職人養成塾を開講して、医療器械製造の裾野を広げることも実現できるんじゃないかと夢を見ているところです。

中西 私の研究テーマは地域の活性化ですが、その関係で近年は地域技術の発展史やベンチャー企業やスタートアップ企業、フリーランスの働き方にも注目しています。そして、そのすべてに関わりがあるのがこのSICRASSで、たいへん興味深く事業に携わらせていただいています。また、“ものづくりのまち”の東京都板橋区に拠点があるマイステックが、“医療関連産業の一大集積地”福島県から投資を受けたことによる化学反応にも期待していて、これまでにない地域活性化モデルが生まれるかもと思うと、とても楽しみです。

——手加工の医療器械職人が減少し続けることへの危機感をきっかけに、異業種の皆さんが集まり、新しい未来が生まれつつあるように思います。金井さんがTBDAに参加したことで得たものや発見はありましたか。

金井 “伝える”ことの難しさと大切さに気がつくことができたのが、何よりの収穫でした。良い計画を立てて、行動力があっても、周りに伝わらなければ意味がない。私は事業の種を蒔いただけで、そこに実をつけることができたのは、中西教授や滝田法律事務所、糸井さんをはじめとする職人たち、そして何より榎本さんのおかげです。榎本さんがTBDAの審査委員だけでなく、東京都の創業支援課や、福島県のベンチャーキャピタルに対して、SICRASSの将来の収益性まで見通せるようなプレゼンをしてくれました。私の想いを榎本さんのデザインの力でみんなに届けてくれたのです。(文/阿部愛美)

SICRASSセミナー

日時
2024年6月24日(月)16:00〜18:00
会場
OPENOVA Akiba(東京都千代田区外神田2丁目3−6 成田ビル3階)
費用
無料
※懇親会はSICRASS会員は無料、非会員は2000円
申込
メールにて申込
※件名を「セミナー参加申し込みについて」とすること
詳細
https://22600b7c-cc51-49ac-af82-6e425d734af4.usrfiles.com/ugd/924ca3_1d7053d7124b46b892290399ffa43b02.pdf