東京・表参道にある荒川技研工業のTIERS GALLERYは、2017年10月のオープン以来、デザインやアートなどの多彩な展覧会を開催している。その建物を設計したのが、建築家の田邊 曜(ひかる)だ。デビュー作から2作目の若手が抜擢されたことでも注目を集めた。2023年10月に、同じく表参道で手がけた「ZYGZAG」が竣工した。新作の完成を機にこの道に進んだきっかけや建築に対する考えや思いを聞いた。
コルビュジエとの出会いから建築の道へ
田邊は1979年に生まれた。子どもの頃、建築設計の仕事をする祖父の不要になった青焼き図面の裏に絵を描いたり、両親と一緒に美術館や展覧会を見に行ったりした。高校生のときに、東京・池袋のセゾン美術館で開催されたル・コルビュジエの展覧会に訪れ、進みたい道が見えたという。
「建築家の仕事は、建物を建てることだけだと思っていたのですが、コルビュジエは建物、都市計画、家具も手がけ、絵も描く。幅広くいろいろなことができることに大きな魅力を感じました」と、田邊は話す。
学外での活動が視野を広げた
1998年に日本女子大学家政学部住居学科に入学し、その後、早稲田大学理工学部の大学院に進学。大学と大学院在学中は、積極的に学外での経験も積んだ。ひとつは、デザイン、構造、設備が一体となった力強い建築に惹かれ、イタリアの建築家レンゾ・ピアノの事務所での奨学金制度による研修に参加したことだ。
また、美術家の野老朝雄の仕事を数年間手伝い、「ビルディングタイプ(構成や形式がある特徴をもった施設の類型)の建築だけでなく、もう少し広い意味での建築もある」と教わり視野が広がった。それらの経験が糧となり、田邊の建築家としての素地が養われていった。
在学中、国内外のさまざまな建築物を訪れたが、なかでも印象に残ったひとつに伊東豊雄のせんだいメディアテークがあった。屈強な建築とエネルギーに満ちた内部空間、チューブの周りに人が集い、楽しんでいる光景を見て興味を抱いた。大学院修了後、伊東豊雄建築設計事務所に入所。2005年から7年間在籍し、主に展示設計や海外の集合住宅のプロジェクトなどに携わった。その後、木下道郎/ワークショップで国内プロジェクトの経験を積んだ。
地域のための開かれた場「旭町診療所」
2013年に自身の設計事務所を設立後、最初に手がけたのは、千葉県の旭町診療所だ。祖父母が住む家の隣に、地域のための場をつくりたいという祖母の思いからプロジェクトは始まった。家族で話し合った末、この場所は住宅街で高齢者が多いことから、地域の人々が気軽に来院して良質な医療を受けられる診療所をつくることになった。
敷地は、集合住宅が隣接するL字型の狭小の土地。田邊は試行錯誤を重ねた。「いちばん大切に考えたのは、地域の方々に対して圧迫感がなく、まちと連続した場所にすることと、訪れる患者さんの不安な気持ちをできるだけ軽減する、安心できる空間にすることでした」。外観は、コンクリートの塊を輪切りにしてずらしていき、その操作から生まれた凹みの側面にガラスの開口部を設けた。最初は紙の模型をいくつもつくり、実際に自分が中に入ったときの空間を想像しながら考えていったという。
建物の中に入ると、この形状にたどり着いた理由がよくわかる。複数のスリット状のガラスの開口部から光が差し込み、明るく開放感があり、緑や空が見えて気持ちがいい。入り口から奥の診察室まで、L字型の流れるような動線だ。輪切りにした塊をずらして生まれた小さな空間に椅子を配置して、診察を待つ患者が好きな場所を選べるようにした。そこは他者の視線が気にならず、安堵感に包まれる場だ。
「病院は誰しも不安な気持ちになる場所だと思うので、入り口で身構えずに気づいたら中に入っていたという感じで、外から中へと連続していくような空間を考えました」と田邊は語る。
クリエイションが生まれる場「TIERS」
2作目は、2017年に竣工した、ワイヤーシステム「アラカワグリップ」を製造販売する荒川技研工業のTIERSである。建物内には、同社のオフィスとショールーム、その上の階にTIERS GALLERYを併設する。出発点には、業界の人だけではなく、まちを歩く人がふと立ち寄れるような場にしたいという同社の思いがあった。
設計にあたり、施工会社の辰の紹介により、若手の田邊に白羽の矢が立った。TIERS GALLERYは、階段を囲んだコの字型の空間で、入り口付近や階段を上り切ったところなど、人と出会い、会話が生まれる止まり木のような場がいくつもある。オープン以来、それぞれの出展者が工夫を凝らしながら、個性あふれる展示やイベントを展開。年々、空間が人の営みによって豊かに育っているような印象を受ける場だ。
地域のオアシスのような場「ZYGZAG」
最新作「ZYGZAG」は、2023年10月に竣工した。表通りから一本裏に入ったその場所は、クライアントにとって子どもの頃に遊んだ親しみのある土地で、敷地の面する通り全体を活性化させたい、そのきっかけをつくりたいという思いを抱いていた。
明るく開放感をもたせるために、正面のガラス面を横幅いっぱいに取りたいというクライアントの思いを汲んで、田邊は階段を前面に配置し、ファサードと一体化させて、1階から屋上まで路地が上に続いていくような動線を考えた。田邊も以前からこの辺りをよく知っていたため、屋上からの眺めは目の前の景色が広がること、まちの中の丘のような建築になることが想像できた。最初のプレゼンテーションで、屋上にはまちの緑と連続していくようにグリーンと、一般の人も休息できるベンチを置き、1階をカフェとしたデザイン画を提案。地域のオアシスのような場になることをクライアントが求めていたことから、田邊の案がほぼそのまま実現するに至った。今後、この建物がどのように育っていくのか楽しみだ。
田邊は、「残っていくものをつくりたい」と言う。「その土地に地層のように何かを加えることで、魅力が増して今までにない新しい可能性を広げていくことができる、その何かを見つけて創造することが建築家の役割だと考えています。そして、人が入って使われることで初めて建築に命が宿り、その土地の一部に、まちの一部になり、まち自体を変えていくかもしれない。そういう建築を目指したいと思っています」。
現在は、祖父が以前設計した築約50年の家のリノベーションを計画しているそうだ。また、最初に建築を目指したときに思っていたように、幅広い分野を手がけることに興味があり、家具やプロダクト、大規模な公共施設にも挑戦してみたいと語る。田邊が言うように、建築の真価は年月を重ねて、人によって育まれていったときに初めてわかるものだ。これまで手がけた建築の今後の成長も楽しみにしながら、新たに創造するものもぜひまた体感してみたい。