毎年、各国から多くのデザイナーが若手の登竜門と言われる、イタリア・ミラノのサローネサテリテを目指す。そのなかでメーカーの目にとまり製品化され、世界に活躍の場を広げる人もいる。三宅有洋は、2009年のサローネサテリテに出品したプロトタイプの照明がmoooi(モーイ)で製品化された。それが契機となり、フィンランド・ヘルシンキとミラノに拠点を構え、多彩な空間・プロダクトデザインを手がけている。来夏より日本に拠点を移すという三宅に、グローバルブランドから製品化された当時の思いやこれから取り組んでみたいことを聞いた。
オーストラリアでデザインに出会う
三宅は1975年に神戸で生まれた。大学受験を控えていた頃、将来何をするかまだ考えがなく悩んだ末、語学の習得と今後を考えることを目的に留学を選んだ。1993年の高校3年の終わりにオーストラリアの高校に編入。その学校でデザインに出会った。
「アートの授業で、段ボールを使って椅子をつくったり、ラジオのデザイン画を描いたりしたのですが、それがすごく面白かった。ただ絵を描くだけではなく、何か目的をもって考えてものをつくることに自分は興味があることに気づいたのです」と三宅は語る。それがデザインだということを知り、進学してもっと学びたいと思ったが、学校の先生から日本の大学で学ぶことを勧められた。その当時、80年代から90年代にかけての日本のプロダクトデザインは、世界から注目を集めていたからだ。
帰国して、1995年に神戸芸術工科大学デザイン学部に入学。生活デザイン科を専攻し、家具やテーブルウエアなど、身の回りの生活道具のデザインを学んだ。教授からフィンランドの大学で学ぶことを提案され、卒業後、2000年にアアルト大学の大学院に進学。少し上の先輩には、その頃、スノークラッシュというレーベルでミラノサローネに出品していたイルカ・スッパネンや、ガラスの照明「ブロック」で注目を集めたハッリ・コスキネンらがいた。彼らのように世界を舞台に活躍することを目指す人が大勢いるなかで、三宅も機材や設備が充実した大学の工房で毎日のように家具やプロダクトの制作に打ち込んだ。
在学中にデザイナーでもある大学の教授から声をかけられ、アシスタントとして仕事を手伝うことになり、在校生のミラノサローネへの出品や、2000年に発足された日本フィンランドデザイン協会の東京での展示のコーディネーションなどに携わった。卒業後、知り合いを通じてマリメッコの店舗デザインを任され、それを機に2004年にヘルシンキに自身の事務所を構えた。
挑戦しないと始まらないのが、ミラノサローネ
卒業後も家具やプロダクトの制作を続け、少しずつ見本市に出品するようになり、2005年に初めてサローネサテリテに展示。卒業制作作品をブラッシュアップしたキャビネットや、コーヒーテーブル、椅子、照明など計5点のプロトタイプを発表した。「反響はありましたが、製品化には結び付きませんでした。サテリテには毎年各国から600名ほどがエントリーします。ひとり5点を出品すると、作品は数千点にのぼり、そのなかで製品化されるものはほんのわずかです。世界中に優秀な人はたくさんいますが、すべての人が国際的に活躍できるデザイナーになれるわけではありません。でも、挑戦をしない限り、始まらないですからね」。
2回目のサローネサテリテへの出品は、2009年。椅子、間仕切り、照明など5つのプロトタイプを出品すると、2005年のときとは比較にならないほど大きな反響を得たという。最も注目を集めた多面体のフォルムのテーブルランプは、製品化したいと数社からオファーを受けた。
テーブルランプに対してアプローチを受けたのは2社、そのひとつがmoooiだった。同社の共同設立者であり、ドローグでも注目を浴びていたデザイナーのマルセル・ワンダースが三宅のブースに訪れたという。
どちらの会社も魅力的で悩んだが、最終的に三宅はmoooiを選んだ。その理由は、2001年に設立された若い会社で、多くの若手デザイナーの独創的な作品を製品化していることに可能性を感じたからだ。この照明は「ミヤケランプ」と名付けられ2010年に製品化され、フロアスタンドも追加された。その後、同社にいくつかアイデアを提案したなかから「コッペリア」の製品化が決まり、2015年に発表してこれも話題を集めた。
照明デザインは自分にとって特別な存在
三宅はmoooiからデビュー作を発表して以来、イタリアの照明会社ネモライティングなど、照明のデザインを多く手がけるようになる。三宅にとって照明はもっとも興味を惹かれるプロダクトであり、デザイナーとしての道を切り開いた、自身の力を存分に発揮できる特別なものだと語った。
「仕事を始めた頃に、白熱電球からLEDの時代に変わったことは、本当にラッキーだったと思います。そういう革新的な技術が生まれることは滅多にないですから。それまでは光源があり、それを囲む傘があるという形態だったのが、光源自体から自由にデザインできるようになって照明のあり方や可能性が大きく広がりました。自由すぎて何をしたらいいかわからないくらい、今もアイデアを考えるのが楽しく、ワクワクしながら取り組んでいます。オーストラリアの高校で面白いと感じたように、やはり僕は考えてものをつくることに興味があって、それが自分のデザインの原点だと思います」。
重視するのは、出会いと信頼関係
三宅は現在、国内外の会社と仕事をしているが、いずれも長い付き合いのところが多いという。飲食店の空間デザインは、大学卒業後に知り合った日本のポトマックという会社との仕事で、イタリアのネモライティングとは10年以上の付き合いになり、毎年のように新作を発表している。展示会で出会った人と仕事に発展するケースもあるそうだ。
「アイデアがあったら見せてほしいと言われている会社が複数あり、日々、スケッチを描き溜めています。プレッシャーとの闘いですが、いい刺激になっています。それをブラッシュアップして、熟したときにプレゼンテーションするのですが、その中で製品化されるのは、自分がこういうものをつくりたいという思いと、相手の思いが結び付いたとき。これまでを振り返って考えると、仕事をするうえで大事だと感じるのは、最初の出会いときっかけ、そこから信頼関係を地道に築いていくことだと思います」。
新しい土地に行くような気持ちで日本へ
2年後に50歳を迎えるにあたり、来夏頃に日本に拠点を移すという。「人生の約半分は欧州にいたので、日本に戻ると言っても、新しい土地に行くような気持ちです。帰国後もこれまでの仕事を続けながら、新しいことにも挑戦していきたいと考えています。例えば、日本の地場産業の小さな工房とのものづくりや、自分で考えて制作して販売するところまでをひとりで手がけるということをしてみたいですね」。
三宅にとって、第二の人生が始まろうとしている。ほかにも手がけた作品やプロジェクトがウェブサイトに掲載されているのでぜひアクセスしていただきたい。