2020年、経済産業省によって策定されたDX推進の施策とともに、日本の産業界は一律にDXの課題を抱えている。そんな社会に呼応するように、リクルートはDXのためのサービスも多数展開している。前回につづいて、この記事ではDXを担うリクルートの先進的なふたつのサービスに注目したい。飲食業や宿泊業から金融機関、医療機関まで幅広い事業者の業務・経営を支援する「Air ビジネスツールズ」と“自分らしく学び、生きられる世の中を”をコンセプトにした『スタディサプリ』。それぞれの領域がどのような課題や目的を持ち、何を目指しているのか。デザインマネジメントユニットで「Air ビジネスツールズ」を牽引する鹿毛雄一郎と『スタディサプリ』のデザインディレクターの石黒勇気に尋ねた。
社会の課題をサービスで解決する
ーーはじめに、それぞれがご担当されているプロダクトについて教えてください。
鹿毛雄一郎(以下、鹿毛) 「Air ビジネスツールズ」は、『Airレジ』『Airペイ』といった業務・経営を支援するためのサービス群の総称です。『AirID』というアカウントをつくってしまえば、予約の管理から会計、求人からシフト管理、さらには資金調達まで、一貫して行うことができます。店舗を構えている事業者の方を中心に、日々の業務を効率化するサービスを複数提供しています。『Airレジ』のアカウント数でいうと2023年6月時点で76.3万にのぼり、サービスによって使われているお店や場面もそれぞれですが、居酒屋や美容室、ヨガ教室といったお店から、銀行、クリニックの順番管理と幅広い領域で使っていただいています。
石黒勇気(以下、石黒) 『スタディサプリ』は、サブスクリプション方式でプロの講師による4万本以上の講義動画と予習・復習、受験勉強などそのときどきに最適な演習問題をとおして勉強を支援するオンライン学習サービスです。個人のユーザーが授業動画を見られるだけでなく、学校や自治体が導入して生徒に宿題を出したり、進路指導に使えたりと教育者をサポートする点も特長です。そのシリーズのひとつである『スタディサプリENGLISH』は同サービスをより多くの人に使ってもらえるよう、最短1回3分のトレーニングで、隙間時間でも英語を学習できるサービスとして提供しています。
ーー『スタディサプリ』は小学生から大人まで、幅広い年代に向けてサービスを展開されているんですね。
石黒 最近だと『スタディサプリENGLISH for KIDS』という3歳から8歳の子ども向けの英語学習サービスもはじめました。もともと『スタディサプリ』は子どもから大人までに学びの機会を平等に提供することを念頭にしたサービスなので、ようやく幅広い世代の人に提供でき始めたところでしょうか。未就学児も含まれているので、英語に興味を持ち続けてもらえるよう、ゲームやアニメを楽しむ感覚で学ぶことに慣れてもらえるように独自の工夫が必要で、これまでにない新鮮な難しさもあります。
ーー「Air ビジネスツールズ」も新たなサービスを提供開始したんですよね。
今年4月に『Airワーク 給与支払』というサービスを新たにローンチしました。中小規模の事業者にとって毎月の手間のかかる給与支払をシンプルにするサービスです。
このサービスを利用すると複数人に給与の振込をする場合、月末に銀行やATMに足を運んで行っていた人数分の振込申請が、オンライン上のひとつの画面で全員分の給与をまとめて支払えるようになります。サービスをとおしてさまざまな事業者の方にお会いするのですが「お客様へのサービス提供やその品質を高めたりすることに時間を使いたい」という声をたくさん聞きます。そのためにも日常的な業務や分析に割く時間をもっと効率化できないかと思い「Air ビジネスツールズ」の拡充を進めています。
“リアルな課題”を見つけるためには
ーーどちらも、サービスを利用しているユーザーが多様ですよね。デザイン面ではどのような工夫をされているのでしょうか?
鹿毛 サービス設計の部分では、「Air ビジネスツールズ」を使うだけで日常的な業務が楽になる姿を目指しています。従来のアナログなレジ作業だと、営業終了後に注文伝票とアナログなレジの売上を数えて毎日の売上を記録するといった締め作業が発生していたのですが、『Airレジ』で会計すれば、営業終了後には売上の確認ができたり、どの商品がどれほど売れているのかといった経営に関わる作業を半自動的にまとめてくれます。
また、UIの視点でいえば、同じ人が複数のサービスを横断して使用することも多いので、一度使い方を覚えてしまえばほかのサービスでも違和感なく利用できるように、幅広い世代でも使いやすいデザインを徹底しています。
石黒 『スタディサプリ』のユーザーは子どもから大人まで幅広い年齢層なので、全体の共通ルールを設けてスタディサプリらしさを担保しつつ、個々のユーザーが使いやすいデザインを目指しています。何より大事にしていることは使っていて成果を出せるかという点です。勉強って、100人いれば100通りの得意・不得意があるので、ある程度その人に最適化する必要があるし、アプリケーションにはトレンドもあるので、古くならず、新しすぎないUI・UXを常に模索している状態です。
ーーサービス開発に携わる方々は、基本的にサービスユーザーではないですよね。その課題や改善案はどのように見つけられているのですか?
鹿毛 そうなんです。「Air ビジネスツールズ」の開発に携わる私たちは、全員がレジ打ちやホールスタッフを経験しているわけではないし、中小のお店は店ごとのルールも多く、オペレーションもさまざま。だから、なるべくサービスを使う人の気持ちを知るために「業務体験」という取り組みを実施しています。例えば、飲食店のアルバイトとしてランチやディナーの時間に働かせてもらう。お客様を席に案内するところから注文、料理の配膳、会計、決済など、ホール業務の一連の流れを体験します。ただ業務の流れを知るだけではなくて「接客とはどういうものか」「お客さんの目の前でお金を扱うときどういう気持になるか」とか、日々の仕事のなかで気持ちがどのように変わるかといった部分まで体験して、そこから課題や機能を考えています。当事者にならないと気づけないことって本当にたくさんありますから。
石黒 そういったリサーチはリクルートの文化かもしれませんね。『スタディサプリ』も学生の皆さんに綿密なインタビューをさせてもらっています。僕らの世代は勉強=参考書とノート、つまり紙ですることがスタンダードな世代ですが、今の小中高生は必ずしもそうではないですよね。だからサービス上でも、参考書のテキストをなぞって出してあげればOKということではなく、最も継続できて、効率のいい方法は何かといった地道なリサーチや試行錯誤を常に行っています。
また、オンライン学習サービスでは、先生と生徒の交流が一切ないので「スタディサプリ合格祝賀会」と銘打って、生徒と先生がリアルに会えるようなイベントも実施していて、学生が動画の中の先生に会えたり、逆に先生も生徒の顔を直に見られるような機会もつくるように心がけています。
鹿毛 プロセスは意外と地道です。そもそも「Air ビジネスツールズ」も、今でこそ大きなサービスになりましたが実は現場発のサービスなんです。『Airレジ』をつくろう!と呼びかけてはじまったものではなくて、『ホットペッパーグルメ』事業に参画していたメンバーの「お店とお客様、双方にもっと便利なものがつくれないか」というアイデアから生まれました。プロトタイプのテストも社員が副業で経営していたお店で試したりしながら。
石黒 『スタディサプリ』もはじまりが似ています。もともとリクルートは高校生向けに進学情報を提供し、進路や将来に迷っている生徒に対して多様な選択肢を示していました。ですが、学生にとって進路を選ぶのはほぼ最終段階。その手前にある学習の面で格差が生まれていることに気づいたことからはじまったサービスです。立ち上げの2012年頃は、ちょうどスマートフォンが普及しはじめたことで、オンライン環境で学習を広く普及させる可能性が見えた頃でした。これによって例えば、塾や予備校のインフラがない離島に住んでいる人や高額な授業料を支払えない家庭にも学習の機会を提供できる。そうした背景で今の『スタディサプリ』が生まれました。このように目の前の課題から事業が立ち上がっていく感じはリクルートらしいなと思います。
鹿毛 極端にいえば、社内に説明さえできれば誰でも事業を立ち上げられるというか。もちろん、中長期計画や財務の精度などシビアに求められる部分もありますが、そこに共感してくれる強い仲間が見つかれば何の問題もない。デザイナーだからデザインに終始してくださいといった空気がないのは、リクルートの風土です。
時代が移り変わっても
ーー両サービスを手がけるなかで感じている時代の変化、その先のビジョンについて教えてください。
石黒 必ずしもそうとは言えませんが、勉強は努力が結果に結びつきやすいものだと思います。自分がやったことが、そのまま自分にかえってくるという経験は、人生において貴重な成功体験です。なので、私たちのサービスはその最短ルートを描いてあげることがとても大事だと思います。しかし、AIの登場によって学生にとっての学ぶ体験も変化するし、知識の得方も変わっていきます。AIを上手に使って、生徒の苦手な問題ばかりをレコメンドしてあげれば、理論上の最短ルートは達成できますが、それでは難問ばかりで本人が辛くなってしまう。なので、できるだけ楽しく続けられる方法を提供しながら、学習力を伸ばしていけるようなバランスがこれからはとても大事になっていくと思います。
鹿毛 「Air ビジネスツールズ」においては、この先労働人口が減少していくことで、中小事業者にとって働き手不足という課題は深刻になっていくと思います。さらに、従業員が日本語ネイティブではない外国人やアプリケーションに明るくない高齢者など働き手の多様化も進んでいます。個々人のスキルや能力、経験に依存せず使いやすいユーザビリティと、利用者を排除しないアクセシビリティを築いていくことは、より力を入れていかなくてはいけない部分です。
AIを活用して、専属のアシスタント的な存在がつくれるようになれば、今よりももっと誰にでも使いやすいサービスに進化させることができるかもしれません。お店ごとに、専属の税理士やコンサルのようなパートナーがいて、経営の相談に応えてくれる存在ができれば、もっと事業者の方のやりたいことに集中してもらえる。そのときに、ブランドビジョンどおりの「商うを、自由に。」ということがより体現できるはずです。そのためにまずは「この人が言うなら大丈夫」「この人のアドバイスならやってみよう」と安心して経営の背中を預けてもらえるような設計やデザインをより心がけていきたいと思います。
石黒 サービスの安心感や学ぶ楽しさなどの感情にまつわるエッセンスこそデザイナーが寄与できる部分だと思います。私も子どもがふたりいますが、学びたいことを学んで、進みたい進路を選んで、将来的には自由にキャリアを選択していってほしい。でもそれはきっと、日本全国、ひいては世界中の親が抱く想いだと思うので『スタディサプリ』がそこに寄与していくことができればと考えています。(文/梶谷勇介)