安藤より再びバトンを受け取り、林登志也がご案内する京都のフィールドリサーチ、理想の糸を求める旅。続いて訪れたのは、与謝野町で事業を営む創作工房糸あそびです。糸であそぶとは、まさに旅の目的地にぴったり! 期待に胸を膨らませながら工房の中に入ると、いろいろな糸や織物のサンプルがぎっしり。まるで、糸と織物の博物館のようです。
幅が4mmあっても糸! 糸あそびが探究する糸の世界
一般的なシルクの織物はもちろん、新小石丸という純国産品種の蚕だけで織った生地や、大麻復活を謳ったヘンプ100%の糸を使った生地、間伐材を裁断した糸が織り込まれた生地(これが思った以上に柔らかくて間伐材の概念が変わる!)、リリアン編で編まれた糸、野生の蚕から生まれた糸……。創作工房糸あそびでは、次から次へと多彩な織物と糸が登場し、脳の情報処理が追いつきません。「顧客の要望にできるだけ応えるために、糸の開発からご一緒することもある」と、代表の山本徹さん。ここ5〜6年で、特殊な糸や織物を求めるファッションデザイナーが増え、とくに若手のデザイナーは、海外で勝負するために誰も見たことのない特殊な糸を探しているのだそうです。なかでも注目なのは、10月の「KYOTO ITO ITO Exploring Tango Threads―理想の糸を求めて」展で紹介予定の、幅が4mmもある絹リボン糸。もはやテープの様相ですが、これも立派な糸。糸って思った以上に自由です。絹リボン糸を知ったとき、糸の固定観念がガラっと崩れ、一気に可能性が広がったような、晴れやかな気分になりました。
この絹リボン糸にはちょっとしたエピソードがあります。数年前、絹リボン糸を製造していた北陸の事業者が商売をたたむことになり、どうしてもこの糸を残したいと思った山本さんが、織機を引き取ることに。今では世界中を探し回っても、ここでしかつくることができません。絹リボン糸の織機は広幅の反物を織る織機と同じくらいの大きさだと思いますが、4段構造になっていて、40〜50本の小さなシャトルがリズミカルに動き、いっせいに絹リボン糸が織られていきます。長さはおよそ10cm、一般的なシャトルの4分の1ほどのシャトルが律儀に往復する様子は、ミニチュアの織機を見ているようで、思わずほっこりしてしまいます。仕上がる糸には、セリシンという繭糸のタンパク質がそのままついているので、シャリシャリっと、柔らかいPPバンドのようなコシがあります。その絹リボン糸をなんと経糸(たていと)にも緯糸(よこいと)にも使って織物を織るのが、糸あそびの真骨頂です。幅が4mmもあるので、撚(よ)れたりひっくり返ったりしないように、丁寧に確認しながらゆっくりと機械を動かしていきます。機械の構造上、緯糸は解いてやり直せますが、経糸は固定されたままなので、解くことができません。つまり、経糸に絹リボン糸を織り込むことは、相当にクレイジーな所業。撚れない方法は企業秘密で詳しく教えてもらえませんでしたが、機械と糸の相性を知り尽くしているからこそ実現できる世界がそこにはありました。
機械と糸の相性といえば、糸あそびの工房には加湿器がいくつも置かれています。湿度が高いとシルクが伸びやすく、糸が切れにくくなるので、乾燥した日に加湿器は欠かせません。「今日は天気が良くて湿度が低いなって日に使っています」と山本さん。まるで農作業をしている人の言葉のようですが、感覚を総動員して糸と向き合っていることが、ヒシヒシと伝わってくるお話です。
「オリジナルなものをつくろうと思うと、糸を変えていかないといけない。糸が違うと織物の印象やパンチ力が全然違う」。糸に並々ならぬ情熱を注ぐ山本さんが最も大切にしているのは、生地へのファーストタッチです。見た目と、触った感じが違うと、人は興味を持ってくれるし、その背景を語ることができるといいます。糸単体で見ると中国産シルクのほうが均一で、織り上がった生地にムラはないのですが、生地を触ったときの風合いや染め上げたときのテリ感は、やっぱり国産シルクのほうが良いと感じるそうです。また、蚕が生きている状態で繭から糸を取り出すと、糸そのものがプリプリして、風合いが違うのだとか。山本さんのお話を聞いていると、とにかくいろいろ生地や糸に触ってみたい欲求に駆られてしまいます。
吸湿性に通気性、実は機能性に優れる紙から糸をつくる
さらに、糸あそびの織物には、和紙から生まれる紙糸も使われています。和紙で糸なんてつくれるのだろうか? 私たちは、京都府綾部市のひっそりとした山間、清冽な川のほとりで和紙づくりを営む、黒谷和紙協同組合の林伸次理事長を訪ねました。黒谷和紙は、京都府内で育てられた楮(こうぞ)を使ってつくられていて、原材料の調達から紙漉きまで、一貫して地元で行う日本でも大変珍しい和紙です。実は、和紙は平安時代より、布の代わりに衣服に使われていました。紙が庶民の間で普及した江戸時代には、和紙をそのまま使った「紙衣(かみこ)」と呼ばれる衣服が登場し、丈夫で防寒性、吸湿性、通気性に優れた機能性ウェアとして、広く活用されたそうです。さらに、黒谷和紙協同組合の資料室には、紙のこよりを編んでつくられた江戸時代の笠や菓子器、タバコ入れも展示されており、紙糸もまた古くから存在していることに、先人の叡智を垣間見ました。
黒谷和紙の紙糸の特徴は、ところどころに現れるふくらみ、フシです。これは、和紙を細長くスリット状に裁断する際、端を折り返し、撚って糸状する際に生まれる紙糸ならではの表情。実際に糸を触ってみると、フシの面白さはもとより、強めに引っ張ってもちぎれない強さに驚きます。撚ることで、和紙は伸縮性と強度を獲得していたのです。緯糸に紙糸を使ったストールに触らせてもらうと、とてもしなやかで、まるで和紙とは思えません。ところどころにあるフシが、気持ちのいいリズムを生み出し、機械で織られているのに手づくりの温かみも感じられました。織物の柔らかさを生み出すための最適な紙厚と強度を導き出すのに、ひじょうに苦労されたとのこと。紙漉きの際には、スリット方向に繊維が流れるように、繊細な動作が求められるそうです。
ジャカードのデータ制作の現場に、糸の宇宙を感じる
続いて向かったのは、与謝野町に本社を構え、近隣の多くのパートナー企業と協業し生地生産を行っている宮眞です。代表の宮﨑輝彦さん曰く、京丹後エリアの織物産業の強みは、なんでもつくれるところ。小さな会社が集まっていて、地域としての総合力があるのだそう。昔は自社技術を他人に教えるなんて言語道断で、工場内は外から決して見えないようにしていたそうですが、織物産業全体が厳しいなか、今では各社がそれぞれの強みを理解し、仕事を回し合うことも多いといいます。
宮﨑さんにご案内いただいたのは、ジャカードのデータ制作会社です。ジャカードとは、織機の経糸を上下に動かすタイミングを制御し、生地そのもので柄を表現する織り方。デザインに沿って、紋紙と呼ばれるパンチカードを製作。そちらを織機にセットして織るのですが、近年ではデータを機械に読み込ませて織機を動かす電子ジャカードも普及しています。効率的になったとはいえ、複雑な柄物のデータは、作成だけで1週間はかかる大変な作業です。職人さんのパソコンの画面は、ピクセルアートのようにカラフルなピクセルでびっしり。この単純なピクセルの組み合わせ、つまり、縦と横の糸の組み合わせ方、織り込み方の違いだけで、ありとあらゆる柄やちりめんの「シボ」と呼ばれる凸凹が生まれるとは……。まさに糸の宇宙をそこに感じて、頭がクラクラしたのでした。理想の糸を求める京都のフィールドリサーチは、いよいよ次回が最終回です。