we+の京都フィールドリサーチ
「絹は生き物からのいただきもの」

KYOTO nuno nuno展の様子。キューブは緩やかに回転します。Photo by Masayuki Hayashi

長年使い込まれ、独特の艶をまとった機織り機が、休むことなく決まったリズムで動き続ける。シャトルが矢継ぎ早に糸を送り出し、少しずつ、少しずつ、織られたテキスタイルが顔をのぞかせる。

2023年の春から夏にかけて、デザインスタジオwe+は、丹後ちりめんで有名な京都府丹後エリアに理想の糸を求めて旅をしました。その旅で感じたこと、発見したこと、心動かされた出来事を、等身大の視点で書き綴っていく本連載。記念すべき初回は、林登志也が担当します。まず、この旅を始めることになったきっかけからお話ししたいと思います。

休むことなく桑の葉を食べつづける蚕の幼虫

事のはじまりは、2021年12月にAXISギャラリーで開催され、昨年10月に京都の堀川新文化ビルヂングにあるギャラリーNEUTRALに巡回した、須藤玲子さん率いるNUNOの展覧会「KYOTO nuno nuno」展でした。we+は展覧会の空間デザインを担当したのですが、テキスタイルの素人である私たちは、さまざまな表情を見せるテキスタイルをピンと枠に張り、キューブ化して回転させるという、テキスタイルの常識からは遠く離れた(と後で聞いた!)手法に挑戦したのでした。ただ、そのアプローチを須藤さんはかえって面白がってくださり、「we+のスコープを通してテキスタイルを見ると、何か新しいものが生まれるのではないか?」と、NUNOとwe+によるテキスタイルのリサーチプロジェクトが立ち上がりました。巡回展が開催された京都は絹織物の産地。須藤さんが以前から交流のある丹後エリアの職人さんを訪ねることから始めててみようと、さっそく私たちは丹後へ足を運びました。

安田さんが養蚕を営む施設で、右からふたり目が安田章二さん。

ところで、絹糸は何から生まれるのでしょうか? もちろん蚕であることは、みなさんご存知だと思います。しかし、養蚕の様子を生で見たことのある人はいったいどれくらいいるでしょう。若い世代になるほど、見る機会はなかなかないのではないでしょうか。まずは糸が生まれる現場を覗いてみたい。私たちは、天橋立にほど近い、与謝野町で養蚕を営む安田織物の安田章二さんを訪ねました。

日本の養蚕が大きく発展を遂げたのは江戸時代。当時は養蚕が各地の農村で行われており、人々の暮らしにひじょうに近いものでした。しかし、2022年現在、全国の養蚕農家の数はたったの163軒(出典:一般社団法人大日本蚕糸会シルクレポート2023年7月号)。この20年で約15分の1に減ってしまいました。現在、丹後エリアで使われる生糸(繭糸を何本か束ねて糸にしたもの)の大半は、中国からの輸入でまかなわれており、中国でつくられる生糸のうち、最高級なもののみが日本に輸入されているそうです。しかし、今後も同じように輸入し続けられる保証はどこにもありません。そこで、規模は小さくても養蚕を復活させ、少しずつ与謝野町産の生糸をつくっていくことを目指し、数年前より安田さんと有志のみなさんで養蚕を始められたそうです。

耳を近づけると、ムシャムシャと食べる音が聞こえる

さっそく蚕を飼っている現場にお邪魔したところ、まず目に飛び込んできたのは、元気いっぱい桑の葉を食べる蚕の幼虫たち。孵化して約1カ月。5齢と呼ばれ、繭をつくりだす直前まで大きく育った幼虫は、大人の小指ほどの大きさにまで成長しており、手のひらに乗せてみると、なんともひんやり柔らかい。しかも、ベビーパウダーをまとったように表皮はサラサラで、いわゆるアオムシの感触を想像していた私の感覚は、大いに裏切られました。糸を吐き出す前から絹織物のように滑らかな感触があり、未来のシルクに一足先に触れたような、不思議な感覚がありました。だからシルクは繊細でサラサラなのか! 表皮と糸の関係は、科学的には解明されていないかもしれませんが、感覚的には妙にしっくりくるものがありました。

また、一心不乱に桑の葉を食べ続ける、その健気さもかわいらしい。そして、たいへんお行儀が良い。頭を一生懸命動かしながら、隅から隅まで丁寧に食べ進めるさまも、シルクの洗練されたイメージと重なります。そうして桑の葉を十分に食べ、体が飴色になって、糸を吐く準備ができた蚕は、グリッドで区切られた空間に移され、繭をつくりだします。

広大な桑畑。昔は日本各地が桑畑だらけだった

さらに安田さんは、蚕の幼虫に与える桑も自分たちで育てています。まさに絹糸づくりの原点がここにあります。案内されてついて行くと、桑の葉の新芽は柔らかいので天ぷらに最適だそう。さっそく若葉をちぎって食べてみると、少し筋っぽさはあるものの、みずみずしくて採れたての野菜そのもの。蚕に桑以外の葉を与えると、成長できずに死んでしまったり、ちゃんと繭が育たなかったりするそうですが、これなら蚕も無心で食べるわけだと得心したのでした。

富岡製糸場での座繰り(ざぐり)体験。蚕のさなぎが繭の下に透けて見える

さて、美食家の蚕がつくり出した立派な繭から、どのように糸を取り出すのでしょうか。昔は繭から糸を取り出すために、繭を鍋で煮て、ブラシのような道具でやさしく擦りながら、手作業で糸を取り出していたそうです。これは群馬県の富岡製糸場で自ら体験したことですが、繭から糸を引っ張り出していくと、徐々に繭の中のさなぎが透けて見えてきて、その瞬間がなんとも鮮烈で生々しい。ふっくらと美しいかたちの繭だなと思って見ていたら、いきなり黒ずんださなぎの亡骸が目に飛び込んできて、死んでいるのに強烈に生を感じる、不思議な感覚になりました。絹は生き物からのいただきものであることを、改めて強く感じる、ぜひみなさんにも見ていただきたい光景です。

田勇機業の工場内、暗号のような文字がいたるところに見られる

繭から取り出された糸は1本だと繊細すぎるため、つくりたい生糸の太さに合わせて、およそ6〜15個くらいの繭の糸を合わせて生糸が生まれます。さらに、緯糸(織物の横に入る糸)をつくるため、生糸を数本合わせる合糸という作業を行い、糸の太さや織物の種類に応じて、1mあたり数千回の撚り(より)をかけていきます。この「撚糸(ねんし)」と呼ばれる工程は、田勇機業の田茂井勇人さんに見せていただきました。田勇機業の工場内には、いたるところに手書きのメモが貼られており「1150T/M」や「9本三ツ諸」など、暗号めいた文字がびっしり。糸の組み合わせや撚り回数の数字や用語なのですが、ものづくりの現場感がビンビンと伝わってきました。生糸には、熱湯につけるとセリシンというタンパク質が溶けて柔らかくなる性質があり、それを生かして、熱湯で柔らかくしてから撚りをかけるのが、湿式八丁撚糸と呼ばれる日本独自の撚り方です。撚られた糸を乾燥させると、セリシンが固まって撚りが止められます。そうして撚られた糸をさらに別の糸と撚り合わせ、目的別にさまざまな糸をつくっていきます。丹後ちりめんでは、そうして撚られた糸を織り込み、精練という工程でセリシンを洗い落とした際に、糸が元に戻ろうとして縮む原理を生かし、織物の表面に「シボ」と呼ばれる凸凹をつけています。

撚り糸の組み合わせと織り方を変えることで、複雑な模様を生み出す

つまり、私たちが普段1本の糸と思っているものの大半は、実はかなりの本数の糸が集まったものなのです。テキスタイル業界の人にとっては、当たり前のことかもしれませんが、私にとっては衝撃的な気づきでした。須藤さんは以前、テキスタイルのことを次のように表現しました。「お風呂に入る以外、一日中接しているもの。豊かでいろんな表情をもっているけれど、あまりにも身近でそれになかなか気がつかない」。糸も全く同じではないかと感じます。産業が発達し、私たちの身の回りは、かつてないほどさまざまな種類のものであふれています。そんな恵まれた時代に生きているのに、日々肌に触れる糸のことを何も知らないとは、なんとも皮肉なことです。養蚕が各地の農村で行われていた時代には、糸づくりや織物づくりは、私たちの暮らしのすぐそばにありました。暮らしの知恵がものづくりと密接につながっていた時代であり、ものに対する感受性は、今よりもずっと研ぎ澄まされていたのではないでしょうか。しかし今もなお、そんなものづくりの延長に日々の暮らしがあることは変わりません。見て、触れて、身体で感じることから、一人ひとりの理想の糸の探求は始まるのだろう。そんなことを感じながら、理想の糸を求める旅は続くのでした。End

*次回はwe+の安藤北斗さんが、さまざまな技術をもつ織元についてお話しします。