「HOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKE(オム プリッセ イッセイ ミヤケ)」が2023年秋冬コレクションとして発表した「Upon A Simplex(アポン・ア・シンプレクス)」。コレクションテーマのインスピレーション源となったのは20世紀の思想家で建築家のバックミンスター・フラーだ。2回にわたってお届けする、慶應義塾大学環境情報学部の鳴川肇准教授とオム プリッセ イッセイ ミヤケのデザインチームのインタビュー。
前編では企画立案までの経緯、フラーの考案した構造について触れた。後編では、その構造哲学が活かされたコレクションシリーズについて紹介する。
幾何学をフィジカルに学ぶ
鳴川の研究室は「デザインに強いエンジニア」、「エンジニアリングに強いデザイナー」を育成することを目的としている。創作ツールとして立体幾何学を活用してもらうために、「手で学ぶ幾何学としての図画工作」を授業に採り入れてきた。オム プリッセ イッセイ ミヤケ(以下オム プリッセ)のデザインチームからの依頼を受け、ワークショップを行うことにした鳴川。彼らにどのような課題を用意したのだろう?
「文章や写真で理解できることは、書籍や資料から吸収してもらえばいいと考え、フラーの構造の形をフィジカルに体験してもらうことを目的としました。フラーの概念をデザインに取りこもうとするとき、いちばん苦労するのは具体的な形、つまり幾何学的図形をデザインソースとしてどう会得できるかです。そこで、私のゼミの授業でも行っているように、ペーパークラフトの型紙からさまざまな幾何学的立体模型を組み立ててもらうことにしました。ハサミとセロテープを使って模型を組み立てながら、遊び感覚で幾何学的センスを身に着けてほしかったからです」(鳴川)。
ワークショップは、理論の講義も含め3回にわたり行われた。参加したオム プリッセのデザインチームは各々、「とにかく楽しかった」と率直な感想を口にした。手先の器用さのレベルは鳴川の期待値を超えていたらしい。「指先に脳細胞が宿っているかのごとく、完成模型の精度はひじょうに高かったですね」(鳴川)。
「正二十面体をはじめ、いろいろな模型をつくりました。こんな形になるのか、と驚くような型紙もありました。平面から立体が徐々に成り立っていく様子が面白かったですね。遊び感覚で幾何学に触れさせていただいたことが良かったのだと思います。限られたパーツで均衡のとれた形をつくる。では、このメソッドを活かしてどんなデザインを起こせるだろう? ワークショップを通して、メンバーそれぞれが想像力をかき立てられました」(デザインチーム)。
テンセグリティ構造模型を見下ろすと
ワークショップ終了後、約5カ月間を経て完成したアポン・ア・シンプレクスコレクション。コレクションはさまざまなシリーズで構成されているが、なかでもフラーの構造哲学がユニークに投影されたのが以下の3シリーズだ。
「TRIANGULAR GRID(トライアングラー・グリッド)」は、ひとつの球体を三角形で構築するジオデシック構造に着想を得た。立体構造を平面化し、大小異なる三角形を大胆なグラフィック模様で表現している。テンセグリティ構造をモチーフに発想されたのは「THREE BY SIX(スリー・バイ・シックス)」シリーズ。構造模型を上から覗いた「絵」を、デザインチームが見事に衣服に応用した。
「30本の木材と釣り糸から成る模型を真上から見下ろすと、中心に正五角形、そのまわりを5つの正三角形が取り囲む絵が捉えられます。正三角形は一辺の接触部分を少しずつずらしながらも、規則正しい配置で正五角形を囲みます。このレイアウトを上手に活かせないだろうか。そこから正五角形の部分に人の身体を通し、三角形をつないだ布地で包むという発想が生まれました」(デザインチーム)。
スカートの部分については、模型通りに5つの三角形で制作を試みた。だが、仮縫いで調整を繰り返すうち、衣服としてのバランスを考慮し6枚のやや細長の三角形の型紙を使うことになったという。身にまとうと、裾部分がアシンメトリーなシルエットを描き、軽やかな印象を与えるが、三角形がデザインモチーフになっていることは誰も容易に想像できないだろう。さらに大きな布地でロングポンチョもデザインされた。
「テンセグリティ模型の上円部は、私がひそかに愛でていた部分です(笑)。幾何学的立体のなかでも、ギュッと凝縮された図形的な美しさを持つ。幾何学に詳しくない方にも共有できる美です。その点を感覚的に捉え、衣服に表現されたのは素晴らしいと感心しました」(鳴川)。
7つの三角形を秘める
腕を広げるとトラス構造(三角形を連ねた建築構造)に見えるコートもつくられた。リサイクルナイロンの短繊維を使用して自然な風合いに仕上げ、「TRUSS(トラス)」と名付けた。三角形同士の継ぎ目には紐が通されているので、伸ばしたり縮めたり調整することでシルエットの変化も楽しめるという。
コートは通常、前身頃と後ろ身頃の二面のパーツから仕立てられることが多いが、「トラス」は脇にも身頃を設えた三面仕立て。前身頃、後ろ身頃に各々ふたつ、脇身頃に左右各ひとつ、フードも入れると、合計7つの三角形があしらわれている。このコートは、イッセイ ミヤケがなによりも大切にする仮縫い工程を何度も重ねた末、形になったものだ。
「幾何学的図形のなかでも最もシンプルな形、三角形だけを用いて服づくりに挑戦したシリーズです。でも、はじめに完成形のイメージがあったわけではありません。モデルの身体に型紙をあてながらチームメンバー全員でディスカッションを繰り返し、ディテールを吟味していきました。当初は完璧な正三角形だけで仕立てる予定でした。ただ、いちばん美しく見える形を模索するうち、正三角形に良い意味でのくずれが生じ、少しずつ縦長の三角形になっていった。その結果、思いがけず独特の造形にたどりつくことができたんです」 (デザインチーム)。
合理の傍らにある美とは?
最終的にコレクションの全容を目の当たりにした鳴川の印象はどうだったのだろう?
「三角形などの正多角形をベースに構成されていますが、身体にフィットすると、図形から受ける直線的なイメージが外観には全く表れない。むしろ布地に溶け込んだそれぞれの図形が、やわらかな動きを生み出すエレメンツに昇華されている点に驚かされました」(鳴川)。
幾何学的モチーフを衣服に落とし込んだ歴史的ケースとして、真っ先に浮かぶのはバウハウスの教員だったデザイナー、オスカー・シュレンマーのバレエ・コスチュームだ。球や円錐など幾何学的図形にダンサーの身体を押し込み、踊り手の動きを限定するような衣装だった。
「シュレンマーの発想とは全く異なる、幾何学図形の柔軟な解釈です。各モチーフが直喩でも比喩でもなく、さりげなく衣服に落としこまれています。布地を広げてみなければわかりません。布地の三角形が5つから6つに増えたスリー・バイ・シックス。完璧な正三角形が良いくずれにつながったトラス。デザイン画ありきで始まったのではなく、仮縫いのなかで幾何学図形に変化が生まれた制作過程も、私にはとても興味深く思われました。いつの時代も新しいクリエイションはゴールを定めないある種の冒険から生まれてくるのだな、と実感します」(鳴川)。
取材の終盤、鳴川は構造家の坪井善勝が遺した言葉を引用した。「美は合理性の近傍にある」。幾何学的に完全な正三角形、つまり究極の「合理の形」でコートづくりを試みたデザインチーム。だが、正三角形ではなく、少し合理から離れた三角形に、彼らの求めるクリエイションの可能性を見出した。坪井の言葉はさまざまな解釈が成り立つ含蓄ある言葉だが、規制の枠から一歩はみだしたところに思いがけない美やバランスが発見されることは往々にして起こりえる。
毎シーズン、服づくり以外の要素について学び、領域外からのエッセンスをコレクションづくりに活かそうとしてきたオム プリッセ。次回もまた、新たな視点から私たちの既成概念を揺さぶってくれることだろう。