近い将来、フィジカルとバーチャルを横断するくらしが当たり前となっていくだろう。これからのくらしのなかで豊かさを生み出していくためには、バーチャルな世界のフィルターを通して見たフィジカルな世界の価値を再認識し、未来に向けて実装していく必要があるのではないか。 「Creators Session」では、パナソニック未来創造研究所とアクシスデザイン研究所がさまざまな分野の若手クリエイターたちとともに、全5回のセッションを通じて未来のくらしを思考する。最終回となる第5回はバーチャルビーイング研究者の佐久間洋司を迎えた。
登壇者
佐久間洋司(大阪大学グローバルイニシアティブ機構 招聘研究員)
齋藤直輝(パナソニック デザイン本部 未来創造研究所)
迫 健太郎(パナソニック デザイン本部 未来創造研究所)
小山真由(パナソニック デザイン本部 未来創造研究所)
モデレーター
魚住英司(アクシスデザイン研究所)
バーチャルビーイングとは何か
——佐久間さんの活動について教えてください。
佐久間洋司(以下、佐久間):バーチャル空間などでアバターを操作するときに、そのアバターに表象されているアイデンティティのようなものが、操作する人間の心理や行動にも影響を与えることがわかっています。これは「プロテウス効果」と呼ばれるもので、例えば、白人が黒い肌のアバターを操作した結果、黒人に対する偏見が軽減したという研究が有名です。私はこのプロテウス効果を特定の個人にも適用可能にすることで、コミュニケーションを改善する研究をしています。その他、アバターを通じたプレゼンテーションや説得のモデルなどについても研究しています。
また、2025年に開催される大阪・関西万博に大阪府・大阪市が出展する大阪パビリオンの設計、そのなかでも「バーチャル大阪パビリオン」というコンテンツのディレクターを務めています。ここでは「バーチャルビーイング」という考え方を、エンターテイメントに寄り添った体験として提供することを目指して企画を進めています。
——バーチャルビーイングとはどのようなものなのでしょうか?
ここでのバーチャルビーイングとは、バーチャルな身体として扱われるもの全般を指しています。それは私たち自身を表象する「アバター」でありながらも、私たちの意思から離れたところで勝手に振る舞ってくれる「エージェント」でもありうるもので、さらには誰かと共有できる身体でもあるという、多義的なものです。
私たちは、お掃除ロボットも受付ロボットも、フィジカルの世界で動く存在をまとめて「ロボット」と呼んでいます。一方、バーチャルな世界ではどうでしょう。アバターやエージェント、人工知能や人工生命、NPC(ノンプレイヤー・キャラクター)やボットなど、役割や環境に応じた呼び方がほとんどで、「ロボット」のような包括的な呼び方はあまり使われていないため、これらをバーチャルビーイングと呼んでいます。
このトークセッションのテーマは、フィジカルとバーチャルを横断するくらしですが、バーチャル上のコンテンツがフィジカルな世界に対して直接的な影響を与えることはないと思っています。一方で、私たち人間が媒介となり、フィジカルとバーチャルを横断することで、バーチャル上で体験したことをフィジカルな世界に持ち帰ることができます。ここには、大きな可能性があると考えています。大阪・関西万博のバーチャル大阪パビリオンでも、フィジカルな世界とバーチャルな世界とのインターフェースとしてのバーチャルビーイングを、どのように活用できるのかという実例を示していきたいと考えています。
こういった体験をとおして、私が考えたいテーマは「調和」です。調和する世界に向けた最初の一歩として、どうすれば私たちはもう少しだけ誰かのことを考えてあげることができるようになるのでしょうか。
人類の調和に向けて
2021年には、国家プロジェクトのひとつであるムーンショット型研究開発事業のミレニア・プログラムで「人類の調和」をテーマに調査研究を行いました。チームメンバーと一緒に文献調査や他分野の専門家とのディスカッションを行ったほか、若手SF作家に、私たちが考えている未来像を小説として書き起こしてもらい、その未来像の問題点や改善点、起こり得るストーリーラインを可視化して調査研究に取り入れる「SFプロトタイピング」なども行いました。
人類の調和とは、ひと言で言えば「個人と集団の幸福を両立させた社会」を実現することだと考えています。資本主義社会に暮らし、個人の最適化を支援するシステムを使いこなしていると、個人の幸福の追求が実現しているように感じることもあります。しかし実際には、それによって公正な資源の分配につながらなかったり、人と人との間の溝を深めて分断に寄与していたりすることも指摘されています。だからと言って集団としての幸福を過剰に追求すると、社会における監視の力が強まって、場合によっては全体主義に近い発想にもなりかねません。このバランスが保たれた社会を目指して、個人と集団の幸福の両立を実現する方法について考えていく必要があります。
過去にも、社会学者であるニクラス・ルーマンや哲学者のヘーゲルが、個人と集団の幸福の両立を目指していました。彼らの時代に比べ、さまざまなテクノロジーが利用可能になった現代において、個人と集団の幸福を実現するためにどんな科学技術が活用できるのか、どのように研究開発することができるのかについて報告書としてまとめたものが、この「人類の調和」に関する調査研究です。
この報告書の中で、対人関係のレベルにおいては、自分や相手のことよく知るための技術、対話におけるイメージや映像の自動生成といった、他者から情報をインプット/アウトプットする技術などが数多く挙げられました。また集団のレベルにおいては、自分自身を自律的に保つための技術、大規模合意形成を支援する技術、情報流通の制御などがありました。
しかし、これらの技術が直接的に社会を変えるのではなく、これらの技術がもたらす体験を通じて私たち自身が変わり、私たちの行動変容によって社会を変えることができると考えています。そのようなとき、私たちの身体はフィジカルとバーチャルをつなぐインターフェースとして機能するのではないでしょうか。
魚住英司(以下、魚住):「調和」という言葉はすごく壮大ですが、佐久間さんがそこに取り組むモチベーションは何でしょうか。
佐久間:調和について考えるようになったひとつのきっかけは伊藤計劃氏の小説『ハーモニー』でした。調和を目指した寛容さの圧力が個人にのみ押し付けられる社会の末路は、生まれないほうが良かったと思う人が増えることかもしれません。
『ハーモニー』にも描かれているように、現代は押し付けられるさまざまな社会的要請に応えていく必要がある、苦しい社会という側面もあると思います。その要請のなかで、うまくできない自分を見つめさせられることもまた苦しいですよね。
この苦しさに対するひとつの処方箋たりうるものとして、「私たち」という視座を持つことが可能なのかもしれません。しかし、だからと言って全体的であることが解決策ではありません。過去の時代にはなかった新しいテクノロジーで支援することで、私と私たちのための社会の中間を取れないかと考えています。
齋藤直輝(以下、齋藤):佐久間さんのおっしゃる人類の調和は、関係性を広げていくなかで自分を保つことを重視していると感じました。今の社会はさまざまな情報が飛び交っていて、自分より上の人が見えやすくなり自分のことを低く感じてしまう。そういった意味では、地域のコミュニティのように閉じた世界もひとつあるのかなと思っています。
ネットがなかった時代、何かのコミュニティで過ごしていくと、自分の役割や関係性が見えることで調和も生まれ、それはそれですごく良い世界だったのかなと思います。そういうものがたくさん生まれていきながら、双方をつなぐ集団合意形成がされるかたちもあるのかなと思いました。
佐久間:私も似たようなことを考えています。それが文字通りに地域なのかは意見が分かれますが、ある解決しなければならない問題を共有するステークホルダーによって、集団が定義されるべきです。
例えば、原子力発電所の核のゴミは、特定の地域の市民を中心に議論しているという現状がありますが、その電気を使っている大都市の人たちの問題だという意見もあります。この問題においては、都市で電力を消費している私たちもステークホルダーかもしれません。問題や目的に対して集団が形成され、そこに私たちが重みづけをしながら属している状態を実現できるのではないかと考えています。
「人類」は最も大きく、みんなが属している集団です。人類と個人の間にはものすごくさまざまな階層や集団があります。今後、目的や問題に応じて形成されては解消していくコミュニティ、あるいはDAO(分散型自律組織)のようなものが存在するようになり、集まっては解散する集団と、そのなかでの合意形成などの計算が可能になると期待しています。
小山真由(以下、小山):コミュニティが形成されるとき、それぞれの参加者がリスクを負ったうえで関わらないと、物事が進んでいきません。問題や目的に対して集団が形成されれば、物事を前進させることができそうです。
佐久間:確かにそうですよね。今までであれば、リスクの所在が特定の人に集中していました。でも実は、問題に関係のある人はほかにもいるはずです。
DAOのような分散型統治を行う組織を可能にしようとする試みに加えて、私たちがコミュニティに参加するプロセスを自動化することにも可能性があると思っています。例えば、オンライン上での検索や入力、SNSの投稿内容などに応じて参加するコミュニティと、そのコミュニティへの関わり方を提案されるようなかたちも良いでしょう。私が環境問題に興味がある場合、そのコミュニティへの参加が提案されたり、パナソニックにお勤めの方であれば、テスラに関する話題に関係があるかもしれないと自動で計算され得るわけです。
さらには、現実世界で選べるサービスや嗜好が、自分のコミットしているものから提案されるようになったら、フィジカル空間の情報を連携させる意味もあるかもしれません。
迫 健太郎(以下、迫):例えば、地下アイドルのように、投票であの子を一番にしてあげたいというポジティブな目的があるかたちもありそうです。国や地域、企業などのリーダーに限った話ではなく、人類全体でポジティブな目的を与えられる人がもっと出てくれば、人類が調和していくのかなと思います。
齋藤:宗教のように、シンボルが存在する調和のかたちもあると思います。ウェルビーイングは、自分が悩んだときに相談できる知人の有無が影響すると言われています。話せる人がいなかったとしても、宗教などのシンボルのなかで対話できる状態があれば、最後の砦として機能するのかもしれません。
バーチャルビーイングによって私たちの行動はどう変わるのか
魚住:先ほどバーチャルビーイングの概要について伺いました。改めて、新たな人間的な存在としてのバーチャルビーイングの意味をお聞きしたいです。
佐久間:「バーチャルビーイング」という言葉は、もともとは自律的に人間らしく振る舞うエージェントのようなものを指す用語でした。バーチャルYouTuberやアバターに対してそう呼ぶ人も出てきています。アバターであれエージェントであれ、「バーチャル空間上の身体的な存在」を大きく何と呼ぶかはまだ定着していなかったことも鑑みて、それらをバーチャルビーイングと呼びたいと考えています。
その前提でバーチャルビーイングの意味を掘り下げると、今までとらわれていた自分たちの身体性を超えて、新しい自分を表現することができるようになります。誰かのバーチャルビーイングに入ることで、自身に対してプロテウス効果が起こせるかもしれませんし、複数人でひとつの身体を操作することなどもできる。そういった考え方は、新たな身体的存在のあり方たり得ると期待していますし、国内外でたくさんの研究が行われています。
小山:ロボットとなると、完全に自己の人格や身体とは切り離された、全く別の存在というイメージが強いです。一方、バーチャルビーイングには、必ず自己の要素が混ざってくるのでしょうか。
佐久間:自己の要素は不可欠ですよね。もちろん、自分自身で操作するバーチャルビーイングもあったほうがいいとは思います。ただ、より面白いのは、今までにない現象が起きるとき、例えば誰かと自分のバーチャルビーイングを混ぜるときや、誰かのバーチャルビーイングに入るときではないでしょうか。
小山:個人的なイメージでは、自己なくしてWe(私たち)にはならないのではないかと思います。個人が個人の枠を超えて利他的に振る舞ったり、個人から発芽する思いを拡張したりしていくと、他者の存在が認識されるので、バーチャルビーイングにも自己というものがあり、自己を通してWeにつながるイメージがあります。
佐久間:そうですね。集団的になることだけを目指す技術は危険ですし、有意義ではないかもしれません。混ざる、入れ替わる、自分が誰かになる、誰かが自分になる、自動で動いているものに融合するという想像を超えた新しい現象を、個人の自律を保ちながら私たちの調和にどう活かせるのかという観点を持っていたいです。
魚住:今は半数の人しか選挙に行かない時代ですが、今後、みんながさまざまな合意形成に参加していくために、どのように動機付けをしていけば良いのでしょうか。
佐久間:合意形成への参加を強制しないほうが良いかもしれません。最近ではスマホアプリなどで選挙の投票ができるようにすれば若者が投票するようになるというアイデアがありますよね。
経済学者の成田悠輔先生もおっしゃっていましたが、その考え方をさらに先行させて、合意形成のプロセスは自動であってほしいですね。意思表明したければするし、SNSで発信したければする。さまざまな情報を元に自分はこういう意見を持つだろうとサジェストされて、同意しながら選択していけばその合意形成に参加できる。さらに、将来的にはステークホルダーが自動的に選出されて、ゆるやかに合意形成に参加している状態もつくっていけるのではないかと考えています。
迫:合意形成が自動化されると、クラウドで情報が常に同期されるように、共感状態が当たり前になって、誰かを説得したりする必要がなくなるのかもしれないですね。
小山:全自動化していったとき、佐久間さんにとって対話はどういう位置づけになりますか。
佐久間:1対1に近い対人関係であれば、対話には価値があるはずです。それは廃れないですし必要でしょう。人間同士が1対1で向かいあっているときの技術による支援は生まれてくると思いますし、今までよりもコミュニケーションがしやすくなると思います。
テクノロジーに支援されたコミュニケーションや社会というと、そこに人間が介在しているのか不安になるかもしれません。しかし、それらが重なるところに残っているのは、身体性を持った最後の砦たる私たち自身です。私たちは、集団のなかのひとりであり、誰かとのコミュニケーションをとおして、受け取り、伝えるひとりとしても存在していると考えています。
佐久間さんにとってのフィジカルとは?/バーチャルとは?
佐久間:私たちがそれぞれの身体を持って生まれ暮らしていく以上は、このフィジカルの世界が失われることはありません。バーチャルがすべてのフィジカルな世界を直接的につくり変えることもないでしょう。
一方、私たちがバーチャルビーイングを手にしたとき、私たち自身の意識や身体性に関する認識、行動が変容していく可能性はあります。リアルやフィジカルも私たちを媒介にして変化していく、あるいは私たち自身が変化させていくのだと思います。
フィジカルとバーチャルが溶け合うこともなく、バーチャルがフィジカルを変えるわけでもない。しかし、私たちひとりひとりが媒介となって、バーチャルがフィジカルに影響を与え、フィジカルで暮らす私たちの変化がまたバーチャルにも持ち込まれるのではないかと思います。
その意味で、身体性を持った私たちが主役でありつづけるでしょうし、そこに新たな身体性が持ち込まれることは社会を大きく変化させるきっかけにもなるのではないかと信じています。
パナソニック 未来創造研究所 X アクシスデザイン研究所 Creators Session
第1回「メタバースにおける空間設計とコミュニケーション」ゲスト:番匠カンナ
第2回「もうひとつの世界で生きる」とは? ゲスト:バーチャル美少女ねむ
第3回「バーチャルな社会のつくり方」ゲスト:加藤直人
第4回「身体感覚・体験を共有する未来」ゲスト:玉城絵美
第5回「人類が調和する社会」とは? ゲスト:佐久間洋司
(文/水谷秀人、写真/西田香織)