ここ数年、私たちを取り巻く社会は不確実性が高まっています。それにより、ビジネスの再編を求められる企業も多いのではないでしょうか。こうした現状に、デザイン教育の立場から取り組んでいるのがイタリアのミラノ工科大学が設立したデザインスクール POLI.designです。
今、必要とされるデザイン教育はどんなものなのか?POLI.designの校長を務めるフランチェスコ・ズルロ教授に、世界が求める「システミック・チェンジ」の担い手となるデザインについて尋ねました。
ーーリモート学習という新たな環境へと移行するなか、デザイン教育者としてもっとも難しいと感じていることは何か教えていただけますか?
ズルロ 多くの問題がありますが、まずは「共感」というデザイナーが持つスキルをあげたいと思います。そこに強く関わっているのは空間性です。つまり、自分以外の人たちと同じ場所にいて、自分自身の身体を通して周囲と相互作用をするということです。
これは、「プロプリオセプション」と呼ばれる概念に起因するもので、第六感とも呼ばれる身体的自己認識の一種です。プロプリオセプションは、自己と他者の境界をたどるのに役立ちます。私たちが世界を理解し、自分自身を認識するうえで大きな役割を担っています。
記憶形成のプロセスと空間体験は密接に関係していることが研究で示されており、遠隔地やオンライン環境では、教育や学習においてひじょうに重要な制限が生じる可能性があることが示唆されています。
物理的な場所から身体を離すことで、空間を体験する機会が制限され、その結果、記憶の形成プロセス全体に影響を及ぼすのです。その一例として、空間の不在に包まれることで起こる「ズーム疲労」と呼ばれる現象があります。
リモートやオンラインは、教育や学習にとって大きな制約となります。技術が進んでも、バーチャルでのインタラクションは、「連帯感」の欠如を解決することはできず、デザインを学ぶときはそれをいっそう強く感じられるでしょう。
また、デザイン教育の中心が「実践による学習」にあるだけに、遠隔教育が「実践」に与える影響も大きいです。デザイナーにとって「作業」と「思索」は密接に結びついており、チームワーキングによってそれらをひとつにまとめています。大切なのは、一時的にバーチャルなものを使っても、最終的にはフィジカルなインタラクションが必要だという点です。
ーーデザイン教育と他の高等教育との違いはなんでしょうか?
ズルロ 最近までデザイン教育の世界では、「being(存在すること)」「knowing(知ること)」「making(構築すること)」の相互作用について次のように言っていました。「being」とは、説明責任や交渉術、リーダーシップといったソフトスキルのことで、他の人とうまく作業を進めること。「knowing」は、専門知識、視覚化理論、社会学、心理学など、デザインキャリアの形成に役立つさまざまなものです。こうした豊富な「knowing」がなければ、アイデアをモノや具体的なコンセプトに変える「making」は成り立ちません。 知識がまずあって、その後に実践が来ます。伝統的には図のように3要素が三角形のように構成されています。しかし、今日私たちは、異なるアプローチを取ろうとしています。「knowing(知識)」は「making」と「being」の交わる部分から自然と生まれてくるという考えです。この図はそれをちょうど無限大を思わせるソラマメのような形で表しています。
この新しいモデルは、根本的な変換であり、より多くの作用が学生に還元されていきます。学生にとって、自分で知識を生み出していく指針となるものです。重要なのは、「実践による学習」はプロセスの一部に過ぎず、ソフトスキルを備えた「being」が鍵となるという点です。
ーーミラノ工科大学は、イタリアだけでなく世界のデザイン教育の最前線にあるといわれてますが、その特徴な何なのでしょうか?
ズルロ クリエイティビティへの取り組みです。クリエイティビティを生み出すにはふたつの方法があります。ひとつは進化生物学でいうダーウィンの「適者生存」、もうひとつはラマルクの「適応反応」です。これをクリティビティの分野に置き換えてみましょう。前者は「試行錯誤」で、典型的な芸術のアプローチの方法です。後者はより「適応」を意識したものです。それは、事前にリサーチを行い問題を明らかにしてから、デザインの方向性を探ることを指しています。
まずストーリーを構築し、デザインソリューションに反映させることによって時間のかかる試行錯誤を避けることがポイントです。これは、ポリテクニコのお気に入りのアプローチであり、「メタデザインの導入」という専門プログラムを通じて推進しています。
ーー多くの人はデザインの「スタンダード」に言及していますが、これはイタリア的なアプローチと矛盾するのでしょうか?
ズルロ その通りです。企業のデザインアプローチには、利益を最大化するための「利用」と未踏の分野へ踏み出す「探究」というふたつの方法があります。「利用」とは、マネジメントのことであり、英米のデザイン文化を代表するものです。策定されたスタンダードに則って、デザインプロセスのアウトプットを評価するのです。 一方、「探究」とはアントレプレナーシップ、すなわちリスクに挑む態度のことです。イタリアの企業に見られる傾向で、破壊的イノベーションの大きなきっかけになる可能性をもっていますが、そのインパクトを量的に測ることはできません。デザインが企業で成功するには、これらふたつのモードの間で正しいバランスを見つける必要があると私は主張しています。
ーーデザイン教育の未来はどうなるのでしょうか?
ズルロ 若い世代は拡大するデジタルネットワークに対応し、大きな変化を主導しています。
フランスの偉大な哲学者ミッシェル・セレスはスマホで知識を得る彼らの器用さを「おやゆび姫」と名付けました。その核となるのは「よくできた頭」という従来の受動的な学習方法を中心とした教育観とは対照的なものです。
情報が氾濫する今日、このコンセプトはひじょうに理にかなっています。これまでの受け身的な教育とは異なり、今日のデザイン教育は、学生に知識を詰め込むよりも、指針を示すことが重要なのです。
そのうえで、デジタルトランスフォーメーションとグリーンアジェンダは、デザイン主導のイノベーションを推進するふたつの大きな力であり、デザインカリキュラムもそれに応じて変化する必要があると思います。メタバースや最先端のテクノロジーにより、世界規模で複雑な課題が見えてきました。そこでデザインは、さまざまな専門分野をつなぐ「コネクター」となり得ます。特にサーキュラーエコノミーでは、「システミック・チェンジ」を起こす際には決定的な力となるでしょう。このことを理解すれば、企業はデザインがいかに大きな競争力になり得るかが分かるはずです。
もうひとつのキーワードは「共同生成(co-generation)」です。革新的なアイデアはデザイナーや企業、学術界、コミュニティ、団体の協働から生まれることを意味しています。 EUアジェンダでは、「ニュー・ヨーロピアン・バウハウス」構想が発表されましたが、これは「目的のあるクリエイティビティ」でイノベーションを促すというイニシアチブです。 つまり、これからのデザインには、『生きのびるためのデザイン』で知られるヴィクター・パパネックの言葉を借りれば「人間のニーズ、文化、環境の架け橋」であることが求められているのです。