近い将来、フィジカルとバーチャルを横断するくらしが当たり前となっていくだろう。これからのくらしのなかで豊かさを生み出していくためには、バーチャルな世界のフィルターを通して見たフィジカルな世界の価値を再認識し、未来に向けて実装していく必要があるのではないか。 「Creators Session」では、パナソニック未来創造研究所とアクシスデザイン研究所がさまざまな分野の若手クリエイターたちとともに、全5回のセッションを通じて未来のくらしを思考する。第4回はボディシェアリング研究者・起業家の玉城絵美を迎えた。
登壇者
玉城絵美(H2L代表取締役社長/琉球大学工学部教授)
齋藤直輝(パナソニック デザイン本部 未来創造研究所)
迫 健太郎(パナソニック デザイン本部 未来創造研究所)
小山真由(パナソニック デザイン本部 未来創造研究所)
モデレーター
遠藤えりか(アクシスデザイン研究所)
ボディシェアリングが実現するコミュニケーションと生き方
——玉城さんの活動について教えてください。
玉城絵美(以下、玉城):私たちは、いかにコンピュータに情報を入力していくか、逆にどう人間に情報を返していくかという研究や事業開発を進めています。なかでも体験の入出力について注目しており、デジタルで体験をどう分かち合っていくのか、どう人間が受け入れていくのか、という探求をしています。
体験共有は今に始まったことではありません。数千年前から、楔形文字や口伝、木版印刷など、当時の先端技術を使って人間は体験をシェアしてきました。
現代では、視覚と聴覚を使った体験共有がメインですが、これは受動的な体験です。どうしたらもっと能動的で臨場感のある体験にできるのか、デジタルを通してどうやって人間の体内の感覚を他者に伝えていくか、というのが私たちのテーマになります。
人間はさまざまな感覚を持っていますが、一般に「五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚)」といわれる感覚は、紀元前にアリストテレスが提唱し始めました。それから2000年以上経った現代では、20以上の感覚があると言われています。そこには体性感覚や内臓感覚といったものがあります。
体性感覚は、知覚する部位が体の深部か表層かによって分かれていて、体の奥にある骨や筋肉で知覚する感覚を固有感覚といいます。皮膚表面に近いところで知覚する表層感覚には、ツルツルやザラザラなどを感じる触覚や、温かさや冷たさなどを感じる温冷覚などがあります。意外ですが、体験において重要なのは固有感覚のほうなのです。
この固有感覚が、今後は視覚・聴覚の次に必要になると言われています。つまり、体験のなかでどんな動きをして、どのくらい力を入れているかという感覚です。こういった固有感覚を人間やロボット、アバターなどと共有して、体験自体も共有しようとしているのが「ボディシェアリング」です。
——ボディシェアリングはどのように生まれたのでしょうか。
玉城:構想したのは2000年前後で、当時はサービスも市場も研究すらもなかったので、基礎研究から着手し、2015年頃には研究開発用にセンサーとアクチュエーターを開発しました。
簡単にセンサーの原理を説明すると、脳からの信号によって筋肉を動かそうとするとき、筋肉は膨らみます。そこに光を当てて、その反射量をコンピュータに送るという光学的な仕組みで固有感覚を検出しています。これまで可視化されていなかった力の入れ具合をデータとして取得することを可能にしています。
もう一方のアクチュエーターは、脳からの信号に代わってコンピュータから筋肉に信号を与える機能を持ちます。
このセンサーとアクチュエーターを使って、スポーツや楽器演奏などの体験を共有するだけでなく、遠隔地のロボットと体験を共有するなど、言語化せずに他者に伝えることを目指して研究開発を進めてきました。
そしていよいよ事業開発のフェーズになり、これらのデバイスと技術を活用して農業や観光、動作教示などいくつかの事業を展開しているのですが、そのひとつに、「BodySharing for Business」という労働体験を共有するサービスがあります。
これは、固有感覚を共有する際の二次情報として取得できる緊張やリラックスといったメンタルの状態を、体力の状態やスキルなどと合わせて、働いているメンバー間で共有しようというものです。
フィジカル空間でこれらの情報を共有しようとするとなかなかうまくいかないのですが、メタバース空間のアバターを介すことで、スムースに体験共有を行うことができ、職場環境におけるコミュニケーションの活性化が期待できます。さらにこれらのデータを長期的に取得すると、生産性も可視化することができるのです。
私たちは2029年に、人間が人生で体験できることの量を、現代の3倍に増やすことを目指しています。ひとりで3倍の情報量を出し入れして、マルチスレッドに生きる。最終的には、ひとつの空間にいても、すぐに別の空間に移動できる状態にしたいと考えています。人間の脳はひとつなので、擬似的な並列状態でさまざまな体験を提供していきたいと考えています。
天然の体験と養殖の体験
迫 健太郎(以下、迫):魚に「天然」と「養殖」があるように、体験にも同じ概念があてはまるような気がします。実際に体験した天然ものと、デジタルだけどほぼ体験したことがある養殖ものの体験の両者が併存している状態です。
玉城:面白いですね。体験の価値基準は、天然か否か、リアルタイム性、インタラクション性、希少性がポイントになります。誰かと一緒に体験すると共感性が高まるのですが、養殖の体験でも、誰かと一緒に体験するのであれば、より天然の体験に近い状態になるかもしれません。
迫:養殖が天然を超える可能性もあるかもしれないですね。
玉城:以前、乳牛になって乳を搾られるコンテンツを制作しました。四つん這いになりながら、視聴覚刺激とともに下腹部に電気刺激が与えられることで、搾乳されているように錯覚するのです。養殖の体験ではあるものの希少性が高く、人気のある体験でした。
一方で、天然に近づけるとうまくいかない体験もあります。とあるゲームでハンドガンを撃つ体験をそのままフィードバックしたところ、「反動が強すぎる。腕が跳ね返るほどのリアルさは求めていない」と言われたことがありました。
体験の種類によって、そのまま伝えたほうがいい場合と、ユーザーの期待に沿ってデフォルメしたほうがいい場合があることがわかりました。
小山真由(以下、小山):どちらも共感であることには変わらないけど、共感の種類が違うのかもしれないですね。天然と養殖の体験では、体験と、体験をする側の主従関係が入れ変わるような印象があります。
齋藤直輝(以下、齋藤):デフォルメする際は、具体的にどういったパラメータを調整するのでしょうか。
玉城:実は、個々の体に合わせた最適化は、まだできていません。体験への介入は、恣意的にコントロールできてしまう部分もあるため、人間の思考に介入することに近いと思っています。どこまでやるべきか葛藤を感じています。
今までのデジタルツインはリアルのものをコピーするだけだったので、あまり問題はありませんでした。でもメタバースは現実を超越しています。どのような体験が人類の未来にとってベストか、まだ答えが出ていません。
齋藤:2029年までに3倍の体験を目指すなかで、経験や知識も増えていくと思うのですが、さまざまな方面から情報が大量に入ってくると、その瞬間は面白かったと感じることも、すぐに忘れてしまうかもしれません。そこに固有感覚が付加されると記憶に定着しやすくなるのでしょうか。また、体験の数は無尽蔵に増やしていった方が良いのか、ある程度、絞っていったほうが良いのか、どんなイメージをお持ちでしょうか。
玉城:どれくらい固有感覚でインタラクションするのかにもよりますが、理論的には能動的に動くほうが記憶に残るだろうと言われています。
体験の数については、無限にあっても一般ユーザーは使いきれず、発展しにくいかもしれないですね。この状況はインターネットの社会導入時とも似ていて、当時、「iモード」のような秀逸なサービスが、できることを制限しながら一般ユーザーが慣れていく環境をつくり出していました。体験共有も、まずは技術に慣れるところから始めるという意味では、コンテンツは徐々に増えていく方が良いのかもしれません。
体験の背景にある意志・理由
小山:養殖の体験を含め、今後、私たちは体験できることが増えていくと思うのですが、体験の有無や数よりも、それを選んだ理由が大事になるのかなと思います。そうなると、人間の自由意志そのものが問われるのかもしれません。
玉城:能動的な体験をするか否かで、体験がどう咀嚼されるかが大きく変わってきます。例えば、子どもの頃、親にいろいろなところへ連れていかれたというような、単純に体験をブロードキャストされる状態ではなく、自分がどうしたいかを考えて得られた知見や知恵を重視するべきです。
一方で、自分が体験したいと思っていることが自由意志かと言えば、また少し違います。実は自由意志の存在は、まだ学術的には証明されていません。私たちが何かしたい、体験したい、こういう空間にいたいという欲求はいったいどこから来ているのか、まだわかっていないのです。
また、子どもの頃に親に連れていかれたという記憶のうち、面白いと感じたことは「自分の意志で行きたいと言った」、面白くなかったものは「親に無理やり連れていかれた」と、後付けして解釈している可能性もあるのです。
小山:自分の人生でも、これまでの縁が積み重なって、今この場所に私はいるんだな、と自分の人生に納得することはたくさんあります。その納得感を得るために体験を積み重ねたいと思っているのかもしれません。
玉城:そうですね。体験の積み重ねが、その人しか持ちえないブロックチェーンのような履歴を記憶のなかにつくります。今まで自分しかやってこなかった体験や考え方が歴史のようにどんどん深くなっていくと、ほかの人が知り得ない状態になり、それが自由意志に繋がってくるのではないかと考えています。
小山:そう考えると、体験の順番も重要な要素になるのかもしれないですね。
玉城:例えば仕事においても、それぞれ違う体験をしてきた人たちが集まってつくり出すものは、多様性があればあるほど、いいものになるような気がします。
体験共有の価値と可能性
小山:全く違う体験どうしがリンクする瞬間はアドレナリンが出ます。固有感覚を検出するなかで、異なるスポーツ間で筋肉の動きがリンクしていると発見することもあるのでしょうか。
玉城:確かにありますね。筋肉の状態を見ることで、この部位が発達しているから野球に向いているかもしれないといった知見が得られることもあります。
迫:例えば、プロスポーツ選手の固有感覚を販売したとして、そのモーションを電気信号で受けることを繰り返していくうちに、プロ選手と体験者の差分が減っていけば、そこにお金を払う価値はあるのかもしれないですね。
玉城:ゴルフの事例で言えば、アマチュアにプロと自身の筋変位の差分などを見せて、スイングが上手くなったことがありました。
人間は誰かがひとつの体験をすると、他の人たちも視聴覚情報だけで追体験できるようになります。そこに固有感覚やメタバースが加わると、人間は今まで以上に進化の速度が上がるかもしれないですね。
遠藤えりか(以下:遠藤):自分の体にソフトウェアをインストールするような感覚に近い気がしました。
玉城:スポーツ以外にも、宇宙旅行での筋肉の動きなどの新しい体験が得られたら、思考方法やメンタルの状態も大きく変わるかもしれません。すると、その体験データの共有自体に大きな価値が生まれるでしょう。
体験の開拓者と体験の編集者
小山:体験共有をするうえで、表面的には技術を伝達できたとしても、そこに理由が伴っていないと、知恵としては継承できないのではないか、という疑問が残ります。背景的な文脈を含めて伝えていかないと、継承の連鎖に繋がらないような気もするのですが、いかがでしょうか。
玉城:コミュニケーションをする際、私たちは理論の情報と感情の情報の両方を伝えます。そこに固有感覚情報が加わることになるのですが、その全てが必要な場合と、理論だけが必要な場合、固有感覚だけが必要な場合など、さまざまなケースが発生します。清少納言の『枕草子』は、理論と感情を同時に伝えている優れた文学作品ですが、今後、メタバースにおいてこれらの情報に固有感覚を加えてどんなコンテンツが誕生するのか、とても気になっています。
齋藤:現在の動画コンテンツが主流になった状況で、多くの人が以前より受動的になっているのではないかと感じることがあります。メタバースのコンテンツを見続けた先にどんな人間が生まれるのか、なんとなく不安があります。
小山:そういう意味でいうと、体験の元データをつくる開拓者が何を伝えるべきなのか、自覚的になって考える必要がありそうです。
遠藤:開拓者自身がそこまでわかっていなかったら、編集者となる人がそれを組み立てても良いかもしれません。
玉城:今後は、体験の元データをつくる開拓者と、それをコントロールする編集者の両者が出てこないと、メタバースのコンテンツ自体が成り立たなくなってくるかもしれないですね。
玉城さんにとってのフィジカルとは?/バーチャルとは?
玉城:アトム(原子)がある世界をフィジカル、そのフィジカルに類似した別のものをバーチャルと定義づけています。そして、アトムを超えた何かを「メタバース」と私は定義しています。
かつて、フィジカルとバーチャルは相互に重なり合っていたものの、別空間でした。人間が今まで住んでいたのはフィジカル空間です。しかし、2015年前後からメタバースが一気に広がり、今までフィジカルでしか生きていなかった私たちが、メタバース空間で過ごせるようになりつつあります。ある意味、フロンティアを見つけた状態です。
そのなかで人間がどう生きるかは、今後見定めていくべきところです。いずれにせよ、メタバース空間というフロンティアの発見によって、人間の多様性の広がりとその大きな可能性を感じています。
パナソニック 未来創造研究所 X アクシスデザイン研究所 Creators Session
第1回「メタバースにおける空間設計とコミュニケーション」ゲスト:番匠カンナ
第2回「もうひとつの世界で生きる」とは? ゲスト:バーチャル美少女ねむ
第3回「バーチャルな社会のつくり方」ゲスト:加藤直人
第4回「身体感覚・体験を共有する未来」ゲスト:玉城絵美
第5回「人類が調和する社会」とは? ゲスト:佐久間洋司
(文/水谷秀人、写真/西田香織)