吉行良平は、2009年から大阪を拠点に活動しているプロダクトデザイナー。家具や日用品を中心に、住宅のリノベーション、美術館やギャラリーの展示計画のほか、妻でデザイナーの大植亜希子との共同プロジェクト「Oy(オイ)」も展開する。吉行が大事にしているのは、「手を動かして実験と検証を繰り返しながら、あるべき色や形を探ること」。近年は、子どもの誕生やコロナ禍などもあり、家族と過ごす時間から着想を得ることが増えているという。そんな吉行に今の想いや考えを聞いた。
ものづくりへの興味のきっかけは、ロボット
吉行は、大阪で生まれ育った。小学生の頃、両親と一緒にテレビでよく観ていた高校生ロボット競技大会が、ものづくりに興味を抱いた入り口だったかもしれない、と回想する。ただボールを転がすという単純な動作をするために、一生懸命、考えてつくったと思われる不思議な外形と奇想天外な動き。それが、当時大好きだったアレキサンダー・カルダーの針金の彫刻を使ったサーカスの映像を連想させ、魅了された。
高校の進路を考えるなかで、興味があるロボットをつくってみたいと、機械科を受けるも残念ながら不合格。進学ガイダンスに行き、大阪市立工芸高等学校の先生の「ロボットは内部からだけではなく、外からも考えることができる」という言葉を聞いて、同校への入学を決めた。金属工芸科がプロダクトデザイン科へと切り替わるタイミングだったこともあり、在学中は工芸とデザインの両方を学ぶことができ、そこからものづくりの世界への興味が一気に高まったという。
「手で、自分でつくることをもっとやってみたい」と思い、高校卒業後は富山県の高岡短期大学で金属工芸を専攻し、砂型を使った鋳造に取り組んだ。その後、2年間の専攻課程中に、交換留学制度を利用してフィンランドのラハティポリテクニク(職能大学)で木工技術を1年間学ぶ。
フィンランドでの体験を振り返って、吉行はこう語る。「日本にいるときに、美しいと思う物の背後にあるものがわからなくて、思うようにつくれず、悶々とした日々を過ごしていました。現地でアアルトの椅子を見たときに、建築空間との強い結びつきを感じて、目の前が開けたような気がしたのです。素材も形も、その時々の環境下におけるさまざまな条件によって成り立っている、だから調和を奏で美しいのではないかと。滞在中、それに気づけたことが一番大きかったですね」。
ドローグとの出会いが転機に
同じ時期にフィンランドに留学していた熊野亘に誘われ、ミラノサローネを見に行ったことが、次のステップにつながる契機になった。吉行はなかでもオランダのコンセプチュアルデザインを掲げたドローグの作品に衝撃を受け、熊野を通じてデザイン・アカデミー・アイントホーフェン(DAE)で学ぶ寺山紀彦らと会い、同校のことを知る。留学を終えて帰路にオランダに立ち寄り、DAEを見学、その場で入学の手続きをした。
DAEの在学中、カリキュラムのインターンシップ制度をきっかけに、アーノート・フィッサーの事務所で一年間働いた。ドローグのなかでも、「サラダ・サンライズ」や「ソルト・グラス」といった調味料入れなど、彼のデザインする工業的で静かだが優しい佇まいの絶妙なバランスに惹かれたという。そこでも多くのことを学んだ。「アイデア出しのときに言葉だけの説明やネットの情報ではなく、自分の手でつくったもの、写真でも自分で撮ったものを見せてほしい、話し合いはそれからだと。実体験の大切さと、自分のアイデアの根源は何かということを教えてくれたのだと思います」。フィッサーとはそれ以後も交流をもち影響を受けた。
オランダ留学、滞在を終え、2009年に帰国。現在は、大阪の中心地から少し離れた、かつて町工場が点在していたところに作業場兼事務所を構えている。簡単な試作をつくるための道具や機械類が並び、製作過程で生まれた実験物、普段から収集している多種多様な素材も置かれていて、そのなかで何か引っかかるものを感じたり、プロジェクトのヒントになりそうなものがあれば、その都度、アイデアの見直しを図る。フィンランドとオランダで学んだ体験から、今でも物に触れ、手を動かしながら考える。試作をつくっては自らが暮らす生活空間に置いて使ってみるなど実験と検証を繰り返しながら、あるべき色や形を探っていくという。
日常から生まれるデザイン
近年は、子どもの誕生やコロナ禍などから、家族と過ごす日常のなかで着想を得て物をつくることが増えていると語る。踏み台「small step, giant leap」もそのひとつだ。「コロナ禍のプロジェクトで製作したものですが、シェルターをつくるといった規模の大きなものだけでなく、身近なことから丁寧に見直し、考えるようになりました。娘がまだ小さくて洗面台に手が届かなかったので、僕が抱きかかえて洗わせていたのですが、手洗いはシンプルですが誰にでも簡単にできるウイルス防御法だなと思って。子どもがひとりでもできるように、踏み台をつくろうと考えたのです」。
ところが、当初つくった踏み台にわが子はなかなか乗らなかったという。「ある日、公園の砂場で遊んでいるときに、娘には好きな踏み位置があることに気づいたのです。階段縁の一部分だけ少し砂がくぼんでいて優しい造形だなと思い、踏み台の一段目を曲線を描くようにへこませてみたところ、娘は使うようにりました。ただそれだけのことなんですけれど、そのカーブがあることで空間にもなじむものになった。新たな発見でした」。
カレー皿「d plate」も、生活のなかから生まれたものだ。あるとき食卓に置かれていた器の縁にふきんがふわりとかかっていて、その姿がこれから使われるのを待っているような、命が吹き込まれたかのように見えて美しいと感じた。その思いから、食卓のなかの器の佇まいを改めて考えたという。最初は紙でいくつも試作をつくり、ほかの器や盛り付ける料理と調和する形や大きさを追求した。
こうした日々の生活で感じたことを丁寧に拾い上げることで、ものづくりへの向き合い方に変化が生じたという。「これまで何か大それたことを考えていたような、少し気負っていたところがあったのかもしれないと思いました。踏み台もカレー皿も、試行錯誤を重ねながらふっと肩の力を抜いたときに、心地いいなと思う形が生まれ、同時に、用途や技法製法にもつながる可能性のある形や色、情景が無限にあるという期待に嬉しさを感じました」。
人とその生活を見つめて
吉行に「デザインとは何か」と訊ねると、「まだ空白だ」という言葉が返ってきた。「答えが見つかっていないから、毎日汗をたくさんかいて、何かを必死に探しているのだと思います」。
今の願いは、以前のようにまたいろいろな街をたくさん散策すること。「例えば、自分が暮らす大阪のある一画の、昼間から混んでいる立ち飲み屋さんとか、古くから続く大衆焼肉屋さんとか、その心地よい騒音のなかで見る生き生きとした人や物は、とても刺激になります」。現在、いくつかプロジェクトが進行中とのことで、その完成が今から楽しみだ。
吉行良平(よしゆき・りょうへい)/プロダクトデザイナー。1981年大阪府生まれ。オランダのデザイン・アカデミー・アイントホーフェンに留学し、アーノート・フィッサーのもとで研修を積む。卒業後、アーノートやドローグのプロジェクトに参加。2009年「吉行良平と仕事」を設立。国内外のクライアント、製造会社、職人との協働で行う家具、日用品の設計を中心に、建築空間、美術館での展示計画にも携わる。大植亜希子との共同プロジェクト「Oy(オイ)」も展開する。