知識の共有がサスティナビリティを推進する
BIGによる「オスロ・サイエンス・シティ」

コロナが世界に流行する前、人々は「スマートシティ」という考えに沸いていた。なかでも、最先端テクノロジーと先進的なコンセプトで注目されたトロントの「サイドウォーク」はそのシンボル的存在だったが、コロナ禍で計画は頓挫。まったく異なる都市計画になってしまった。

2021年末に発表された「オスロ・サイエンス・シティ」はBIGにしてはいささか派手さに欠ける都市計画に映るかもしれないが、「健康」をテーマに掲げ、行政や地域の人々から高く支持されている。

オスロ中央駅から7〜10kmほど北西にある約140万m2のオスロ・サイエンス・シティ。既存の病院や大学の建物を活かしながら、新規建造物には自国の木材をふんだんに使用する計画だ。歩道だけでなく、地形を活かして健やかに歩けるよう工夫されている。

オープンコールでBIGに決まったスマートシティ

「現在、3つのスマートシティ計画が進んでいる。トヨタのウーブン・シティに加えて、2021年9月に発表した米国の荒野を開拓して新しい都市を開発するテローザ。そして、21年末にお披露目となったオスロ・サイエンス・シティ(以下、OSC)だ」と語るのは、現在、最も注目を集める建築事務所のひとつ、BIGを率いるビャルケ・インゲルスだ。これに対し、「ペナン島での水上都市『オーシャニクス・シティ』を加えると4つですよ」と付け加えるのはBIGのパートナーであり、北欧のプロジェクトを統括するデヴィッド・ザール。コペンハーゲンの発電所「コペンヒル」やノルウェーの森の中に佇む美術館「ツイスト」もザールが担当した。

ジェット・ドットコムを創業した著名な起業家マーク・ロアの新事業であるテローザや、「ペナン2030」構想の一環となるオーシャニクス・シティが、計画の初期段階にあるのに対し、OSCは発表間もないにもかかわらず、すでに工事が始まっている。もともとノルウェーは石油や天然ガスといった豊富な資源の産出国として知られるが、サイエンス系のインキュベーターやスタートアップを誘致したいという将来的な野心がある。ノルウェー政府は、45年までの地域経済成長率22%を目標に、OSCに公金を投入して、オープンコールでマスターアーキテクトを募ったのだ。

自転車、電動バイク、電気自動車、電動トラムなどのシェアリングモビリティがオスロ・サイエンス・シティでは奨励される。トラムが走る路線と歩道は完全に分離され、歩行者の安全が図られる。

テーマは、テクノロジーではなく健康

インゲルスは、かつて筆者に「都市に存在する既存のルールが、新しいことを遂行する際の妨げになる。環境問題の解決などには新国家を建設するほうが実現は早いかもしれない」と語ったことがある。米国ブラックロック砂漠で開かれる「バーニング・マン」がオフ・ザ・グリッドでサスティナブルなコミュニティの形成に成功しているように、人の住んでいない火星に同じ志をもつ人を募ったほうが実験的なことをするには容易だとインゲルスは言いたいのだろうが、現実の都市開発ではそうはいかない。

「スマートシティではパブリックとプライベートのバランスの取れた共存が目的で、行政との協力体制がその成功の鍵を握るが、実はこれがなかなか難しい。そのなかにあって、OSCは行政が推進している点が特徴だ」(インゲルス)。加えて、ザールはスマートシティには人々が納得できる視点が必要だと言う。「人々は、より良い未来を求めています。その未来がテクノロジーの発達によってつくり出されることも理解していますが、もしスマートシティの背後に巨大テック企業がいるとしたら、どう思うでしょうか。心のうちではSF映画のようにテクノロジーが人々を支配するような未来は望んでいないのです」(ザール)。

グーグル、メタ(フェイスブック)、ウーバーなどと技術提携したトロントのサイドウォークでは他のスマートシティと同じようにサスティナブルを謳い、木材を多く使用した建物や歩行者優先のまちが目指された。しかし、まちの至るところで個人データを取得することを発表して以来、行政にその用途を疑問視されただけでなく、地域住民の不信感も煽ってしまったのだ。コロナ禍の経験から密集した都市空間を避け、より安全に快適に生活したいと考える人は確実に増えた。BIGはOSCでテクノロジーを前面に押し出すのではなく、人間の究極ともいえるテーマ「健康」を掲げ、人々の理解や信頼を得たうえで、サスティナブルな生活をリードしようと考える。

OSCの建設地には現在、300余のスタートアップ企業、7,500人のリサーチャーと1万人の医療従事者、3万人の大学生がいるが、2045年の完成時には15万人の科学者、学生、起業家たちが、働き、生活するまちへ変化する。同時に、医療分野だけでなく、地質学、エネルギー技術、水や空気といった自然科学の研究所をはじめ、コンピュータやAI技術のラボも設けられ、異分野のホリスティックな研究が期待されている。

病院を、知識を共有する場にするために

「新しい“住まい”と“働く”空間が開発されることで、より多様な人々がOSCで活動することになる。既存のコミュニティや近隣地域を含めたすべての人々が知識を共有できる場、それをデザインの中心にしようと私たちは考えた」(インゲルス)。確かにマニフェストには、「ノルウェーの知識が集約されたエリア開発」と謳われている。

オスロ市内より北西部に存在する建設地には、オスロ大学の理系学科のキャンパスが点在しているが、そのネットワークは決していいとは言えない。ノルウェーのサイエンスハブとして活性化させるためには、バイオやテック企業の誘致も大切だが、それ以上に大学に併設する総合病院を、知識を共有する中心地として蘇らせることが最も重要だという。「人々は病院を治療のためだけの場だと考えています。それゆえ、大きな病院はまちの中心から離れたところにあり、周辺にあるのは巨大な駐車場。皆、治療が終わればさっさと帰路に着き、人の交流はゼロです。本来、病院はまちのネットワーク形成にとって重要な要素であり、“健康と科学の博物館”として人々に知を提供する場としても機能するはずです」(ザール)。

OSCでは、巨大駐車場を廃し、病院の周囲にカフェやレストランといったさまざまなアメニティを設け、人々が集う地域へと変化させるというのだ。「例えば、癌を患い入院している祖父を見舞う幼い孫が、もし病院やカフェで癌の最新治療のエキシビションを鑑賞できたなら、知識を深めることができます。加えて、病状の話に終始することなく、ニューサイエンスをテーマに会話ができるようになるのです」(ザール)。

OSCには26年までにノルウェーで最大規模のライフサイエンスに関するリサーチセンターが建設されるという。BIGはサイエンスに携わる人も、そうでない人もホリスティックに健康について語れる場を病院以外のまちのさまざまなところに設けたいのだ。

BIGによる病院を人々の知識の場として蘇らせようという試みは、オスロ・サイエンス・シティのみにとどまらない。2022年3月に発表された「デンマーク・ニューロ・サイエンス・センター」は精神医学と神経科学という本来、異なる医療分野の専門家が同じ屋根の下に集うことで、脳の病気を総合的に研究および治療しようという世界初の試み。

スマートエネルギーなくして語れない

「今回のマスタープランでは、複合的な機能を兼ね備えた建物とまちなかには珍しいオープンなスペースが、はてしなくループして人々を迎え入れることで、魅力的な都市空間をつくろうと考えている」(インゲルス)。140万m2という広大な敷地内に、ふたつの主要駅を含んだ4駅がループするようなトラムも建設されるという。

「緑が大切です。駐車場を廃した新しい街角には環境植樹も予定しています。もともとこの地域は森深い場所で、どの駅で降りても公園がすぐそばにある。病院への来訪者は一駅前で降りて30分ほどウォーキングを楽しむとともに、冬はノルウェー人らしく丘陵でスキーをすることで人々の交流も図れるでしょう」(ザール)。

オスロ市は空気汚染の緩和や炭素排出量ゼロを目指し、15年より段階的に市内への自動車の乗り入れを規制してきた実績と、それを支える市民の理解がある。OSCでも当然ながらイノベーション特区として、建設中から建設後までの「ネット・ゼロ・エミッション」が掲げられている。

「用いる素材などの関係から、現時点の大規模な建築プロジェクトで、100%のサスティナビリティを実行すると謳うのは過大広告です。“ネット”と付けた目標とするほうが正直な建築家の姿勢だと思います。ノルウェーは電力の9割以上を低炭素の水力発電で賄っていますし、われわれの本拠地であるデンマークはバイオマスが盛んです。サスティナブルな議論はその産物だけでなく、製造・建設プロセスや完成後の生活にも目を向けないと意味がありません」と、サスティナビリティについて語るザール。彼はほかにもひじょうに画期的な工場建設を主導する。

プラスの形をした新工場は、ノルウェーの家具メーカー、ヴェストルの完成イメージ。同社3代目社長のサスティナビリティへの想いは深く、彼はついにノルウェーのビジネス省に入省し、自国の経営者たちのサスティナビリティを指導する立場になったという。

「ザ・プラス」は、スウェーデンとの国境ノルウェーのマグノールの深い森の中の家具工場。1,200枚のソーラーパネルとともに、生産中に排出される熱を室内の暖房や物の運搬に転用するなど、6,500m2の工場建屋は同じ面積の建物より90%もエネルギー消費量が低いという。

「木をできるだけ伐採せずに工場を建てるだけではなく、使用する場合もその地にあるものを用いる。同時に、家具の製造風景やオフィス空間も、森の中をハイキングする人々に見てもらいたい。これからの製造業は、隠すのではなくすべてを見せるという透明性が求められる。それにより、人々のサスティナビリティの意識が共有され、共感につながっていくのだ」とインゲルスは語った。

OSCも電気自動車が走り、バイオマスによる廃棄物の管理といったサーキュラーエコノミーが実現される予定だが、インタビューでそうした話はついぞ上らなかった。それは、サスティナビリティのテーマがすでに火力に頼らない高効率エネルギーのソリューション開発やその普及、持続性へと移り、スマートシティというかぎりスマートエネルギーを用いることは大前提だという認識が浸透しているからだ。OSCは、健康というテーマはもちろんのこと、サーキュラーエコノミーやスマートエネルギーについても多くの示唆に富んでいる。End

ーー本記事はAXIS 217号(2022年6月号)からの転載です。