手工業デザイナーの大治将典は、日本各地の地場産業の仕事を中心に、暮らしを豊かにする美しい生活道具を多数生み出している。ものを「つくる」だけでなく、「売る」仕組みづくりも含めて取り組み、中量生産・手工業品を専門とするててて協働組合や、海外に向けた販売代理店IFJ Tradingsの設立にも携わった。活動の拠点である川越の自宅兼事務所を尋ねて、ものづくりに対する想いを聞いた。
書道の体験からこの世界に興味を持った
高校生のときの部活動は、書道部。顧問の先生がユニークだったことから入部を決めた。「先生はどんな文章でも、流行りの歌の歌詞でも、お手本を書いてくれて、毎回、『何を書きたいのか』『誰に見せたい(伝えたい)のか』『どこに飾りたいのか』と訊かれました」と大治は話す。書道で大切なのは、アートとしての表現はもちろんありながら、相手のことやしつらえを考えることだと知って、さらに面白くなり夢中になった。この書道の体験がデザインの世界に興味を持つきっかけとなり、今もものをつくるときに、この言葉を思い出して考えるという。
高校卒業後、地元の広島工業大学の環境デザイン学科へ入学。そこで建築を学び、大学卒業後に東京のアトリエ系の建築事務所に入所したが、自分がやりたいことと違うと感じて3カ月で辞めて広島に戻った。
広島に戻ってから、幼なじみの友人とグラフィックデザインの事務所を立ち上げた。90年代末、ユニットを組んでものをつくり、東京のデザインイベントで発表する若い世代が急増した時代でもあった。それに刺激を受け、大治たちはペンを収めるくぼみを設けたスケッチブックと、ミシン目を入れたメモ帳をつくった。しばらくして大学の同級生が勤める地元の雑貨メーカーに、インテリアスタイリストの岩立通子が来ることを知った。社長に懇願して打ち合わせ時に自分たちがデザインしたメモ帳を使ってもらったところ、岩立がそれを気に入り、東京のショップで扱ってもらえるようになって山積みの在庫がすべてはけた。
ものをつくって売る楽しさを味わい、大治はプロダクトデザインに興味を持った。その後、グラフィックの仕事をする傍ら、いろいろなプロダクトのコンペに応募してみるが、賞を獲得しても製品化されることが少ないという現実を知る。グラフィック事務所を友人に託し、東京に新たに自身の事務所を開設することを決めた。
地域のプロダクトの仕事に携わる
東京に来てから、最初はグラフィックの仕事もしていたが、次第に地域のプロダクトの仕事に携わるようになっていく。その背景には、信頼を寄せるさまざまな人からの紹介があった。
東京の白木屋傳兵衛とは、プロジェクトデザイナーの萩原修の声がけにより、デザインイベントに参加して知り合い、2005年に「掃印(そうじるし)」の掛けほうきが生まれた。また、秋田の柴田慶信商店とは、スタジオ木瓜の日野明子の紹介によって出会い、2007年に曲げわっぱの「マゲワ パン皿」が誕生した。いずれも大治が彼らのつくるものに惚れ込み、自ら企画提案し、プロジェクトに結び付いたものでもあった。
大治の代表作のひとつとなり、その名が広く知られるようになったのは、富山県高岡の真鍮鋳物メーカーの二上との仕事だ。デザイナーの山崎宏によるイベント企画「センヌキ ビール バー」のための栓抜きのデザインを考えていたときに、「富山デザインウエーブ」のワークショップに参加。そこに技術指導に来ていた二上に出会い、栓抜きの製作を依頼したいと思ったところ、同社からも相談を受けた。ライフスタイルの変化によって仏具の需要が減少し、模索していたところだったという。
真鍮製仏具は、研磨や着色によってピカピカに磨き上げるのが一般的だが、大治は砂型から取り出したときのざらりとした鋳肌が美しいと感じ、その素材感を活かして製品をつくることを提案。2009年に真鍮の生活用品ブランド「FUTAGAMI」が生まれた。従来の仏具のような表面処理を施さないことから半製品と捉えられる懸念や、市場に受け入れられるのか心配はあったが、地道な販売活動もあって国内外で売れ行きを伸ばし、ロングライフに愛されるブランドに育った。
家族のような気持ちで寄り添い、育てていく
その後、大治はさまざまな地場産業の仕事に携わるようになっていくが、一方で、地域のメーカーの多くはそれぞれに問題を抱え、新しい活路を見出したいと考えている。そうした想いにどのように向き合い、プロジェクトを進めていくのだろうか。
「問題を解決することは、根本的な解決にならないと感じています。例えば、漆器は、漆塗り作業に手間ひまがかかり少量しかつくれないので、あるところでは合成樹脂を使うようになった。格段に生産量が上がりましたが、それが漆文化の衰退にもつながっています。問題を解決することで新たな問題を生む、そういう繰り返しをやめ、問題を魅力として捉えなおそうと思っています」と大治は語る。
そこで最初に食事やお酒を交えながら、問題や悩みも含めていろいろな話を聞いて、工場や蔵を見せてもらい、そのメーカーや素材が持つ固有の魅力を見つけるところから始めるという。そして、家族のような関係性で寄り添いながら、ブランドや製品を一緒に育てていくことを大切にする。
国内と海外の販売流通網を考える
これまで携わったメーカーの多くは、問屋制度が崩壊し、ものをつくって売るところまで自分たちで行わなければならない状態にあるため、大治はデザインだけでなく、ブランディングやパッケージ、流通に至るまで統合的に考えるようになった。そして、自身が手がけた製品を大規模な見本市に出展していくなかで、少ない生産量のものを展示販売する場がないことに気づく。同じ想いを抱いていた仲間とともに2011年にててて協働組合を設立し、中量生産・手工業品を専門とする商談会や商店街(販売会)を毎年開催するようになった。
海外の流通については、地域のメーカーでは海外店舗から製品を扱いたいという連絡が来ても、手続きを面倒に感じて断るケースが少なくない。そこで、ててて協働組合の運営メンバー(現・相談役)のまつおたくやとともに、日本と世界をつなぐ中量生産・手工業品の海外販売代理店としてIFJ Tradingsを2010年に設立。現在、大治を含めた8名のデザイナーと、22のメーカーの製品を扱っている。
大治の製品は、海外では北米や欧州を中心に約40カ国の店舗で扱われていて、10年以上継続して販売されているところもある。興味を持ってくれたところには、IFJと共同企画した展示会を開催し、店のオーナーが日本に訪れた際に自宅に招くなどして交流を深め、つながりを育んできた。
地場産業の仕事に携わるようになってから、10数年余り。地域のものづくりの環境を、多くの作物が育ち実る豊かな土壌にすることにも尽力してきた。そのなかで大治が抱いている思いは、昔も今も変わらない。「とにかく会ってみて、ご飯を食べて、一緒につくっていきたいと思える人と仕事をしていきたい。人の体温が伝わる、適量生産のものをつくりたいと思っています」と言う。
現在は、木彫の町、富山県南砺市井波でコラレアルチザンジャパンを運営する建築家の山川智嗣らとともに、「お抱え職人文化を再興する」という新たなお題に取り組んでいる。今後の展開が楽しみである。
大治将典(おおじ・まさのり)/手工業デザイナー。1974年広島県生まれ。建築設計事務所、グラフィックデザイン事務所を経て、1999年「msg」を設立。2004年に拠点を東京に移し、2007年「Oji & Design」に社名変更。日本のさまざまな手工業品のデザインと、それら製品群のブランディングや付随するグラフィックなどを統合的に手がけ、手工業品の生い立ちを踏まえ、行く末を見据えながら適量生産のものづくりに取り組んでいる。2011年にててて協働組合共同設立、現在は相談役。