複雑で不確実な社会の移り変わりのなかで、多くの企業がイノベーションを起こすためのアイデアを探しています。『デザイン・ドリブン・イノベーション(Design Driven Innovation)』『デザイン起業(Design entrepreneurship)』『デザイン手法と理論(Design methods and theory)』『リサーチ・スルー・デザイン(Research-Through-Design)』など、数多くの出版物や研究プロジェクトに携わるミラノ工科大学のルチア・ランピーノ(Lucia Rampino)教授は、イノベーションについて、今日の「厄介な問題(Wicked Problem)」に対処するうえでデザイン研究による定性的な側面が鍵になると語ります。学問としてのデザイン研究の最前線と、その意義を尋ねました。
ーー学術的にもビジネス的にも、デザイン研究の重要性が増していると感じますが、これは何を意味しているのでしょうか。
ランピーノ デザインと研究という組み合わせは、あまりピンとこないかもしれませんが、現在、ビジネスシーンにおいて、デザイン研究の手法に企業の強い関心が寄せられています。
ミラノ工科大学のデザイン研究の博士課程は90年代に設立され、この種のものとしては世界で初めてでした。それ以来、私たちは長い道のりを歩み、その領域と影響力を拡大してきましたが、工学や医学のような長い伝統を持つ研究分野と比較すると、デザイン研究の社会への貢献度はまだあまり理解されていません。
デザイン研究に投資した企業がその恩恵を享受しているという一貫した証拠がある一方で、その価値がより広く一般に認められていくためには、まだ課題があるように感じられます。その理由は主にふたつあります。
ひとつは、デザインの役割や可能性が拡大しているにもかかわらず、デザインは芸術的な活動であるという認識が未だに根強く、芸術的な実践には研究が全く必要ないという誤解があります。これは明らかに真実ではありませんが、啓蒙主義以来、科学が人文科学よりも優先されるという技術決定論に基づく西洋文化に由来するものです。つまり、研究といえば科学的な研究、イノベーションといえば技術的な革新、それが一般的な見解なのです。
そのため、単純で測定可能なわかりやすいものを好むようになり、デザインのような学問は、例えば、確立された兄弟のような存在である建築と比較すると、心配なほど曖昧でぼんやりとしたものになっているのです。多くの人は建築家が何をするのか知っていると思いますが、デザイナーはそうではありません。そのアイデンティティはテクノロジーの進化とデジタル化の流れとともに拡大し、変わり続けています。
デザインはその性質上、芸術と科学の間に位置していますが、デザイン研究者にとってこれは至福であり、呪縛でもあるのです。
デザイン研究が科学的な研究に遅れを取るもうひとつの理由は、すぐに結果が出るものではないからです。デザイン研究において一般的に求められるのは、長期的な戦略や、社会で展開されているトレンドに対する理解です。これは、現代のビジネス文化が持つ短期主義とは根本的に異なる考え方であり、結果として実践することがとても難しいのです。
はじめに述べたように変化は進んでいます。デザイン研究に対する関心の高まりは、組織や文化において数字の優位性が見直されつつあることを示しています。現在の経済は、持続不可能である以上にもはや不可能になりつつあり、技術決定論に亀裂があることは明らかなのです。
それと並行して、地球環境問題などに代表される倫理的な懸念は業界の慣行として定着しつつあり、人文科学や定性的な側面への再注目を意味しています。企業、機関、政府はこうした問題に対して、事実や数字だけでは不十分であることに気づきはじめているのです。
ーーデザイン研究とソーシャルイノベーションに関連性はあるのでしょうか。
ランピーノ もちろんありますし、複雑な事情もあります。ミラノ工科大学のエツィオ・マンツィーニ(Ezio Manzini)教授はこの分野の先駆者であり、今でも最も影響力のあるひとりです。デザイン研究とソーシャルイノベーションの関係におけるキーポイントは、ソーシャルイノベーションの本質は、デザイン研究の実践に最適な環境であるということです。ソーシャルイノベーションは、新製品の開発や市場投入までの時間といったものよりも、文化、人々、コミュニティ、地域現象といったボトムアップの取り組みなどを意味します。これらはすべて定性的であり、古典的な定量調査だけでは説明することができません。
ソーシャルイノベーションのもうひとつの側面は、北欧や英国でよく見られる、行政におけるデザインの導入です。現代デザインの偉大な理論家であるリチャード・ブキャナン(Richard Buchanan)が「第4の秩序」と定義したように、デザインがシステム、政策、環境に対して最大の効果をもたらすというものです。
ーーデザイン研究において、ビジネスや社会にも波及するようなシグナルやトレンドはどのようなものがあるのでしょうか。
先ほどの話のように、倫理的な視点は大きな問題になってきており、私たちの仕事のあらゆる側面に影響を及ぼしています。例えば、研究プロジェクトに倫理的な承認が求められることが多くなっていますが、これは主にEUにおけるリサーチ・イノベーション・ファンディングプログラムやさまざまな国際的な学術ジャーナルでの議論のトレンドに起因するものです。
しかし、私は倫理が学術的な議論の再解釈を促すだけでなく、企業などの組織においても公正、平等、公益という価値観に基づいたイノベーションを促進することの必要性に影響を与えつつあることを指摘したいと思います。
哲学と同じように、倫理は人文科学と関係があります。だからこそ、デザイナーはビジネスやテクノロジーのテーブルで重要な席を確保することができるのだと考えています。
デザイン研究におけるもうひとつの大きなトピックは、間違いなく人工知能です。このテクノロジーは、人間と製品の相互作用に関する現在の知見を覆すものです。これまでの物言わぬ人工物は、ユーザーとの相互作用によって学習し行動を変えることのできる知的な存在に取って代わられようとしています。デザイン研究の観点からも、人工知能は多角的な研究分野であると言えます。製品開発だけでなく、デザインの方法やプロセスについても見直す必要があります。
ーーミラノ工科大学における研究活動がもたらす価値をどのように説明されますか。
イタリアデザインの伝統には、常に強いヒューマニズムの側面があります。他の西洋文化に比べ、極めて直感的な方法で私たちは常にこの定性的な側面を打ち出してきました。芸術や人文科学は、昔から私たちの文化に深く関わっていて、私はこれを「イタリアらしさ」と呼んでいます。ロベルト・ヴェルガンティ(Roberto Verganti)による『デザイン・ドリブン・イノベーション(Design Driven Innovation)』の研究で予期され、いわゆる、人間中心のデザインから「ポスト・ヒューマン・イノベーション」の文脈で特に関連性が高まっている、「意味」や「価値」といったものに焦点を当てています。
ーーデザイン研究は持続可能で意味のある未来をつくるために、どのように貢献できるのでしょうか。
先ほど述べたようなさまざまな問題(例えば、サーキュラー・エコノミーなど)は、ひとつの団体や学問分野、専門性だけでは対処できないほど複雑なシステム的課題として現れています。ビジネスにおける多角化の波は、企業が直面する巨大な問題を最も端的に表しているのではないでしょうか。境界があいまいなデザインは、こうした問題を解決するための多角的な対話において、最適なファシリテーターとなり得るのです。
研究者としては、予測不可能な時代だからこそ、大学はこれまで以上に先手を打っていくべきだと思います。例えば、デザインとエンジニアリングのシナジーを育むのではなく、デザイン講義に倫理を復活させるといったことは、まさにミラノ工科大学の研究戦略の一部でもあるのです。
私たちの目標はデータやテクノロジーだけでなく、意味や人文科学に根ざした別の視点とアイデアをビジネス界に届け、不可欠な存在であり続けることなのです。