近い将来、フィジカルとバーチャルを横断するくらしが当たり前となっていくだろう。これからのくらしのなかで豊かさを生み出していくためには、バーチャルな世界のフィルターを通して見たフィジカルな世界の価値を再認識し、未来に向けて実装していく必要があるのではないか。 「Creators Session」では、パナソニック未来創造研究所とアクシスデザイン研究所がさまざまな分野の若手クリエイターたちとともに、全5回のセッションを通じて未来のくらしを思考する。第2回はメタバース文化エバンジェリストのバーチャル美少女ねむを迎えた。
登壇者
バーチャル美少女ねむ
齋藤直輝(パナソニック デザイン本部 未来創造研究所)
迫 健太郎(パナソニック デザイン本部 未来創造研究所)
小山真由(パナソニック デザイン本部 未来創造研究所)
モデレーター
遠藤えりか(アクシスデザイン研究所)
魚住英司(アクシスデザイン研究所)
メタバースで人生を送る
——ねむさんはどんな活動をしているのか教えてください。
バーチャル美少女ねむ(以下、ねむ):「バーチャルでなりたい自分になる」をテーマに個人系VTuber(バーチャルYouTuber)として活動しながら、メタバース文化のエバンジェリストとして、メタバース上で生まれている、現実では考えられないような新しい文化について発信しています。 また、メタバースは人類にとってどんな意味を持つのかというコンセプトをもとに、「ソーシャルVR国勢調査」と銘打った大規模な統計調査をまとめた『メタバース進化論』という書籍も執筆しています。
遠藤えりか(以下、遠藤):ねむさんにとってメタバースの定義とは?
ねむ:メタバースとは、もともと「現実を超えた世界」というのが語源です。私のなかでは「空間性」「自己同一性」「大規模同時接続性」「創造性」「経済性」「アクセス性」「没入性」の7つの要素を兼ね備えた空間をメタバースと呼んでいます。
特に重要な3つを説明します。ひとつは「創造性」です。メタバースでは、モデリングやプログラミングが自由にできるので、現実よりもものづくりがしやすい環境です。ふたつ目は「経済性」で、現実と同じように経済活動ができるということ。例えば、いま私の利用している「NeosVR」というソーシャルVRサービスでは、美容院のようにアバターのヘアアレンジをしてもらうことが可能です。その対価として仮想通貨を使ったやり取りをすることもできます。3つ目が「没入性」です。現実を置換するほど充実感のあるコミュニケーションを実現するには、これが必須要素になります。
一言で言うと、メタバースは「人生」を送ることができる仮想空間なんです。
小山真由(以下、小山):私を含め、まだメタバースやソーシャルVRの世界を体験したことがない人が多いと思うのですが、まずどんなことから始めたらいいでしょうか。
ねむ:VR機器を持っていない人は、スマホなどさまざまな環境から入れる「cluster」というサービスから使いはじめてみると良いでしょう。現実とは異なる名前でアカウントをつくり、別の人格になって新しい人間関係を構築するのがこの世界を楽しむポイントです。
小山:SNSなどでアカウントをつくるとき、私はどうしても自分の本名の一部を残した名前を付けたくなってしまいます。別人格になるには少し勇気が必要ですが、そうすることでより没入できそうですね。
アイデンティティのコスプレ
ーー別人格になるとはどういうことでしょうか。
ねむ:メタバースで他人を認識する要素は名前と見た目、声の3つです。私の場合はこの3つを現実とは異なるものに変えることで、メタバースではまったく違う自分として生きています。これを「アイデンティティのコスプレ」と呼んでいて、実は人類史における革命だと思っています。
今までの社会の様式は「個人主義」でした。私たちが国民国家をつくり、現在の社会をつくるという根本的な概念です。ここに作家の平野啓一郎氏が唱えている「分人主義」という概念を取り入れてみます。人間ひとりの魂を分割可能な複数の分人として認めて、自由に活動しても構わないのではないか、というのが分人主義です。メタバースでは分人として独立した新しい人生を歩むことすら可能になるのです。
さらに、プラトンのイデア論を借りて説明します。今までは現実というひとつの空間に投影された、自分の魂がつくり出したひとつの影しか見えていませんでしたが、メタバースでは空間を無限につくることができます。自分の魂に違う方向から光を当てたら現実とは全然違う新しい自分のあり方が見つかるかもしれない、自分の魂をより立体的に捉えられるようになるかもしれない。これをメタバースにおける自己のイデアの発見と言っています。
魚住英司(以下、魚住):素朴な疑問なのですが、なぜメタバース空間では美少女になる人が多いのでしょうか。ねむさん自身は、美少女を選ばれたのは何か理由があるのでしょうか。
ねむ:一般的には女性アバターのほうがファッションを楽しみやすかったり、コミュニケーションがしやすいという理由が多いです。私自身は当初、思いつきで始めました。ただ、もともとVTuberがブームになる前からアバターが与える精神の影響に興味があり、実験のような側面もありました。私の場合は「美少女」をやっていると自分の感情を出しやすかったり、「かわいい」と言われることへの喜びを感じたりします。
メタバースの世界では見た目を褒め合うことが美少女同士の当たり前のコミュニケーションになっています。その人が自分で見た目を選んでいるので、褒め合うことがコミュニケーションの良いきっかけになるんです。
魚住:確かにアイデンティティを自分で選べるというのは、現実とは大きく違いますね。
迫 健太郎(以下、迫):アイデンティティのコスプレを少し応用すると、例えば小学生などが自分の将来を考えるとき、職業から選ぶのではなく、なりたい姿をアバターを通じて疑似体験するというのは面白いかもしれません。なりたい自分になれるとしたら、あなたはどういう姿になりたいかという問いがあると思いました。
ねむ:それは究極の問いかもしれません。なりたい自分は、最初は誰もわからないというのが私の結論です。私は美少女になりたいと思ったことは一度もありませんでした。なってみて初めて「あ、これだ」とだんだんわかってくると言いますか。一般人がなりたい自分を探せるというのは革命的だと思います。
コミュニケーションのコスプレ
ねむ:次に「コミュニケーションのコスプレ」という概念を紹介します。現実とは違うアイデンティティを手にした人類は、果たしてどういうコミュニケーションをするのかという話です。
メタバース上では、人同士の距離感が縮まりやすくなります。一例としてメタバース上でよく行われている「VR飲み会」を取り上げます。以前、「ZOOM飲み会」が話題になりましたが、これがなぜ流行らなかったのかというと、そこに「空間性」が欠如していたからです。現実の飲み会だと「あっちのほうで偉い人が喋っていてイヤだな。新人同士で集まって上司の悪口を言おう」ということがあったりしますよね。
空間には個人を識別する機能があります。お互いの心の距離感が現実の距離感とリンクしている。メタバースも同様です。加えて、現実よりもスキンシップが取りやすくなるので、メタバースのコミュニケーションは現実とはまったく違うものになっています。もともとコミュニケーションをしたい人が集まっているというのもありますが、空間が存在することでお互いに仲良くなりやすい環境と言えます。
恋愛もわかりやすい例です。メタバース上で恋愛をすることは当たり前になりつつあります。その際、相手の生物学的な性別は重要でないと考える人は75%にのぼり、相手に惹かれるときも見た目ではなく、性格がきっかけになることが多いということが大規模調査でわかりました。
また、メタバース上のコミュニケーションにおいて重要な役割を果たしているのがファントムセンスです。例えば、レースゲームのなかでマシンが落下するときなどに、実際に「ヒュッ」と落ちたように感じる人がいると思います。こういった視聴覚の情報から他の感覚が想起される現象のことをVR感覚とかファントムセンスと言っています。
実際にVRユーザーにアンケートを取ったところ、吐息や触覚、温度を感じたことがあるユーザーが多いことがわかりました。今までは、現実の肉体を通したものでしか世界を感じることができませんでしたが、その制約からついに人類が解き放たれるかもしれません。
小山:まだメタバースに馴染んでいない初心者が「メタバース原住民」とコミュニケーションするためのヒントがあれば教えてください。
ねむ:初心者案内イベントがあったり、ランクという概念が可視化されているので初心者として接してもらえるカルチャーがすでにあり、初心者の方も気軽に参加できるようになっています。ただ、メタバースの住人が現実とは違う自分でいたいという感覚は理解しておくといいかもしれないですね。統計的には、見た目は美少女で声は男性というパターンが多いのですが、それが当たり前の世界として存在しています。
齋藤直輝(以下、齋藤):ねむさんの著書で面白かった話のひとつが、美少女は枯山水であるという話です。人形浄瑠璃や歌舞伎の世界の、男性が演じていても女性と捉えるという感覚と似ていて、メタバース上ではなかの人を気にせず美少女を美少女として扱う文化が確立されていそうですね。
例えば、ディズニーランドの来園者たちも、架空の世界でキャストとなって楽しむという一体化した世界があります。メタバースもこのような暗黙の了解により成り立ち、楽しむような世界なのでしょうか。
ねむ:ディズニーの理論はわかりやすいですね。ただ、ミッキーと恋愛して恋人同士になることはできません。メタバースの場合は架空の世界で生きてゆくことができるのがポイントかなと思います。だからこそ、これほど多くのユーザーがメタバースに移住してきているのでしょう。
メタバースにおける今後の課題と可能性
魚住:これは杞憂かもしれませんが、今後リテラシーの低いユーザーが増えたときに、運営側がルールをつくらないと秩序が保たれないのかなという気がしました。
小山:私は、それはそれで多様でいいのかなと思います。現実世界でも悪い人は必ずいて、悪い人が溜まる場所がないと都市は成り立たないという側面があります。彼らが包摂されることも大事ではないでしょうか。
遠藤:現実だと空間的に制限がありますが、メタバースでは街ごと遠くに移すこともできるかもしれませんね。
ねむ:コミュニティの分断が起こるのはある程度仕方がないことで、多様性や自由度が保たれる限り、それ自体は問題ないと思います。問題なのは、無理やりルールをつくろうとしてしまうことです。
メタバースをゲームの延長として捉えてしまうと、ホワイトリスト方式にしたくなるんですよね。できることだけを少しずつ解放しようという考え方になってしまう。けれども、現実世界はブラックリスト方式です。基本的には何でもできて、一部の振る舞いだけが禁止されている。メタバース上で生きている人が出はじめている以上、現実世界に近い価値観を目指すべきだと思います。ユーザー側のリテラシーも求められますが、運用側のリテラシーも強く求められます。
結局、人と人の関係なので最後は思いやりで解決するしかないんですよね。変にシステム的な介入をするよりも、住人のマナーで解決していくのがいいと思います。
齋藤:最近、Midjourneyのような画像生成AIが話題になっています。すぐではないにせよ、今後メタバース上でもワールドやアバターづくりにおいてAIが活きてくるのではないかと思っています。メタバース上でのクリエイティブな活動において、人間にしかできない部分は残されるのでしょうか。
ねむ:AIは、本質的に数式にできるものはすべて自動化しようという技術です。今までのIT技術は、機械ができることは機械にやらせようというものでした。その究極がAIかもしれません。ただ、私が実際に使っていて感じるのは、メタバースはAIと真逆の技術ということです。
メタバースは究極的には数式にできない、いちばん人間のアナログな部分を初めてデジタルに持ってきた技術です。AI技術がどんなに進んだところで、人間がやらないといけない部分はたくさんあるし、本当の意味でのクリエイティブは人間にしかできないと改めて感じています。
本質は、メタバース上で生きている人間がいるということだと思います。それがメタバース上のすべての価値を生み出しているので、便利になることはあっても、根本ではAIとはあまり関係ないというのが私の見解ですね。
ねむさんにとってのフィジカルとは?/バーチャルとは?
ねむ:フィジカルとバーチャルは対立概念ではないというのが私の答えです。今までインターネットは非力だったのでフィジカルなことができませんでした。だから、あくまでそのなかの生活はおまけにすぎなかった。現実生活を豊かにするために、インターネットを使うという発想が限界でした。
しかし、フィジカルな人生、体験、コミュニケーション、すべてのやり取りをデジタル空間で体験することができるようになりました。フィジカルとバーチャルがひとつになった状態、これが私にとってのメタバースです。
パナソニック 未来創造研究所 X アクシスデザイン研究所 Creators Session
第1回「メタバースにおける空間設計とコミュニケーション」ゲスト:番匠カンナ
第2回「もうひとつの世界で生きる」とは? ゲスト:バーチャル美少女ねむ
第3回「バーチャルな社会のつくり方」ゲスト:加藤直人
第4回「身体感覚・体験を共有する未来」ゲスト:玉城絵美
第5回「人類が調和する社会」とは? ゲスト:佐久間洋司
(文/水谷秀人、写真/西田香織)