いくら3Dプリンタが普及しても、形だけでは人は満足できない。工芸に携わる人は、つねに素材の重要性を考える人でもあるだろう。
ウッドショックやメタルショックといった原材料の値上げ、輸入量不足などに不安を抱える声があるなかで、現在リビング・モティーフで開かれている「日本の道具」展に参加しているつくり手たちは、素材にこだわり、壁にぶつかってはさまざまな試みをしている。
今回は素材をテーマに、そこから生まれる彼ら彼女らの手仕事を紐解いていく。
和綿(丹波篠山)と森田耕司さん
「素材をつくる」ところからスタートしたブランドがある。丹波篠山の「mani e cotone」だ。元々、Iターンで無農薬有機栽培の農業を目指してこの地に来た森田耕司さんは数年前、アパレルメーカーから無農薬の和綿栽培の相談を持ちかけられる。栽培を試みると、食べ物と違い、獣害に遭わないことがわかった。収穫後には種取りという作業を経なければならないが、その仕事を受けてくれる施設も見つかった。
しかし、和綿という日本古来の種類は綿のなかでも繊維が短く糸にしづらいとされ、「和綿を活かしたい」という野望はあっても、商売として長続きはしなかった。当初の依頼は残念ながら断念することになってしまったが、森田さんの綿栽培は3年続いており、綿に対する愛情も湧いていた。作付の計画も立てていたので、取り敢えず栽培は続けることにする。ものづくりの人は目的があって素材を探すが、素材をつくる森田さんは「ある素材をどう生かすか」というところから発想をする。仲間と今一度、和綿の特性を考えることにした。
綿の繊維は短く、それらが絡みあうことから空気をたくさん含み、保温性と吸湿性をもつ。干せば湿気を放出し、またふかふかの状態に戻ることから、布団にすることで、その能力を最大限、発揮するという結論に達する。目的が決まった森田さんの動きは早く、一路、京都の布団屋さんに向かった。本来なら一見の仕事は受けない職人さんも、森田さんの勢いに押されて仕事を受けてくれることに。
ブランドとしての構築を、影に日向にとフォローしている神戸のオーガニックレストラン「MONTO TABLE」のオーナー川浪典子さんがこの春に企画したのは「眠りの会」。「今までと違う眠りを体験しませんか」と誘われ、見事に釣られたのが筆者だ。
この布団を知るために、川浪さんの案内で丹波篠山に向かう道中、昨今の世界の環境問題、農業が直面する遺伝子組み換えの問題、綿産業の労働や農薬の問題、たくさんの話を伺った。この布団は簡単に手に入れられる値段ではない。だが、世界が抱える大きな問題の解決への一縷の灯火として考えると、納得がいく。「信頼できるつくり手から得られる安心」そして「信頼できる素材をつくる人への応援」がこの価格には含まれている。もちろん、1日のなかで多くの時間を占める睡眠の質を上げてくれることは言うまでもない。冬に向かう今の季節は、綿布団を使い出す最高のタイミングだろう。
九谷土(小松)と西田健二さん
久々に九谷焼の産地、石川県は小松の西田健二さん(西田製陶所)を訪ねたときのこと。「製土屋に興味があるなら」と、今では九谷に2軒しかないという工場のうちのひとつ二股製土所へ。2020年には文化庁の日本遺産「小松の石文化」として一般の人への解説パネルも設置されたが、これほど生々しく製土作業を見学できる工場は貴重だ。明治創業で4代目という二股さんの土に、西田さんが全幅の信頼を置いていることが感じられた。
九谷焼を九谷焼たらしめるのは花板陶石と呼ばれる地元の陶土。採掘された花板陶石の原土を、粉砕、攪拌/水簸(濾す作業)、脱水・真空土練(空気を抜きながら、筒状の塊にする)する工程を見ることができる。昔ながらのいい仕事をしていることは、土を扱わない門外漢でも感じ取れることだった。
工場は川に隣接されてつくられ、自然の流れを利用して作業は行われていた。だが今年8月、豪雨がこの地方を襲う。西田さんから「案内した製土場が被害にあった」と連絡があった。地元の新聞記事を送ってくれたが、甚大な被害に言葉を失った。こういうときはとにかくマンパワーが必要。ボランティアにより少しづつ復旧を目指しているようだが、二股さんの精神的なダメージも大きいと聞く。一口に「九谷土」と言っても、工場によって個性がある。別の陶芸家からも、いかに二股さんを頼りにしていたかを聞いた。あそこの土が使えないと、つくれないものがあると。微力ながらも、この場で文字にすることが復旧の一助になることを祈るばかりだ。
追記:
西田さんから「二股製土場が再稼働した」と連絡がきました。心から安堵した様子がうかがえました。本当に、よかったです。
相思樹/琉球ガラス(沖縄)とLuft
Luftは沖縄と東京を拠点に活躍するデザインスタジオ。メンバーの桶田千夏子さんは元々食堂を営んでいたこともあり、食に関わる道具へのこだわりはひとしお。クッキング&サービングスプーンと名づけられたプロダクトはその象徴だ。サービングセットのスプーンといえばそうだが、微妙なカーブと幅はやはり別物。「スプーンだけでこんなに便利」と気付かされるアイテムだ。
そんなLuftと名護の木工家、渡慶次弘幸(とけし・ひろゆき)さんが主催する中山木工が取り組んだのがサービング & カッティングボードとカトラリーレスト。沖縄の木を愛する渡慶次さんと桶田さんが選んだのは相思樹。石川県の輪島キリモトで、みっちり鉋(かんな)の技術を学んだ渡慶次さんは、指示がなかったカトラリーレストにも鉋を掛けて仕上げてくれ、Luftの考えたサイズ感と合間って単なる木端が品よく仕上がった。
陶磁器は糸満の工房に頼んでいる。瀬戸で修行した陶芸家で、原型づくりも含め器用になんでもこなしてくれ申し分ないが、料理をする桶田さんは「この形に益子の郡司製陶所の釉薬をかけたものをつくりたい」という思いに駆られ、一部の色は、沖縄と益子を横断することになった。「ある中から選ぶ」ことに甘んじない、桶田さんの執念すら感じる。
最新作の琉球ガラスもまた面白いことをやってくれた。琉球ガラスといえば、起源はコーラ瓶のリサイクル。今は焼酎瓶のリサイクルというのが定石だが、依頼した工房では、車の窓ガラスを利用しているという。明るいグリーンはフロントウインドウ。深いブルーはリアウインドウ。「最近、車を見ると、素材に見えてくる」と、桶田さんは笑う。
いずれのアイテムも、沖縄と言われなければ沖縄の気配を感じない。だが立ち止まって自分が思う「沖縄らしさ」を考えると、それは定型に当てはめ、決めつけたものなのではないかと思うのだ。「琉球の工芸」を無意識のうちに漆器や陶磁器というテンプレートに当てはめていた自分の意識を正すのだった。