創立40周年を迎えた熊本県伝統工芸館で振り返る
秋岡芳夫のデザイン哲学

▲熊本県伝統工芸館の設計は菊竹清訓。内装の随所に、職人の手跡がわかる材料を使っている。

熊本城の隣に位置する「熊本県伝統工芸館」が今年、創立40周年を迎えた。

設立には、以前この連載でも紹介をした熊本県宇城市出身の工業デザイナー、秋岡芳夫に声がかかった。秋岡は「立ち止まった工業デザイナー」と自らを呼び、1970年代から「消費者をやめて愛用者になろう」と、便利な使い捨てのモノが溢れる高度経済成長の世の中に警鐘を鳴らし続けた人だ。

その理論の根底には、幼い頃に出会った大工や町の職人への敬意がある。1920年生まれの秋岡の幼き頃はまだ健在だったさまざまな手仕事、木や鉄、土など素材を加工するための道具、時代を越えて受け継がれてきた知恵。

懐古趣味ではなく、道具をつくり、使うことを覚えた人間の人間たる尊厳が「便利」によって失われていくことにいち早く危機感を感じていた。

立ち止まった秋岡が「誰もが寄ってきて、心ゆくまでしゃべれる場所」を東京・中野につくったのが1969年。フリーのデザイナー、会社員、主婦など、ボランティア組織「グループモノ・モノ」は秋岡芳夫とその周辺の「世に対するモヤモヤ」を抱えた人間が、「気に入ったこと」をするために仲間によって、始まった。

あたらしいモノつくりながら、
ふるい、いいモノつくりのこそう。
わるいモノつくるの、やめよう。

上記のスローガンを掲げ、1971年には日本橋の丸善にあった財団法人クラフト・センター・ジャパンの会場で「今日のクラフト展ーくらしの提案」という展覧会を企画。その反響は凄まじかったそうだ。モノを実際に触る、そのための「場」の重要性を噛みしめただろう。




さて、「経済産業省大臣指定伝統的工芸品」というものがある。伝の文字に赤丸のマークを見ると思い当たる方もいるかもしれない(伝統的工芸品産業振興協会)。100年以上の歴史や関わる事業者数の規模など、いくつかの条件を満たしたものが申請でき、認可されたものが「伝統的工芸品」だ。1974年にこの指定は始まったが、2000年まで北海道、千葉、熊本には指定される工芸品がなかった。

だが、産業化していないから記録が残っていなかったり、団体がないだけで、生活に欠かすことのできない手仕事はいくつもある。熊本県は1978年に組合や団体だけでなく個人も対象とする県独自の伝統工芸の指定制度を制定し、翌年より実施。そして、それらを一堂に見せるための「場」の構想が県で動き出し、熊本県生まれの秋岡のもとに相談がきた。

秋岡は精力的につくり手のもとを回ったそうだ。ものづくりや道具に対する知識が豊富で、モノも人も平等に扱うその人柄に、熊本県内のつくり手たちは驚き、「変わった先生」と、思ったのではなかろうかと想像する。

▲岡山のガラス作家、石川昌浩さんは、秋岡芳夫の「身度尺」という考え方が制作の指針にもなっているという。8月14日までの熊本伝統工芸館の「暮らしの道具セレクション」に参加。




先の「消費者をやめて愛用者になろう」でもわかるように、名コピーライターでもある秋岡が立ち上げた伝統工芸館のコンセプトは以下の3つ。

・市の立つ
・誂えのきく
・手で観る

「市の立つ」の「市」は、陶器市などの「市」。ここに来れば、熊本のさまざまなつくり手のものが見られる「市」であるということ。
「誂えのきく」は、工芸館に並ぶ品々を、自分の好みにサイズを変えたり、色を変えるなどの希望に応える機能を持つということ。
「手で観る」は、モノは五感を使って買うべき、という秋岡にとっては基本中の基本のコンセプトだ。

この3つの柱で開館した熊本県伝統工芸館は、蓋を開けてみると、純粋な意味での「伝統的につくられてきた工芸品(=人が、生活のために長年つくってきたモノ)」が集まった場所で、作家と呼ばれる人、クラフトマンと呼ばれる人、職人、農業との兼業者のものまでもが、一堂に並んだことに驚いた人も多かったと聞く。人によっては、「刀の鞘の装飾であった肥後象嵌のネックレスと、野良仕事に使う鎌が並ぶのはおかしい」と思うかもしれないが、秋岡にとっては同じく「モノ(者)が作ったモノ(物)」だ。

秋岡芳夫は「見つける名人」でもあった。アドバイザーとして、ものづくりに従事する人からアドバイスを求められたときには欠点は指摘せず、いいところを見つけ、そして、「でも、ここをちょっと長くしたほうがいいんじゃないか」「ちょっと軽くしたほうがいいんじゃないか」と、工業デザイナーの目線でのアドバイスをしたそうだ。モノを見つけるだけでなく、その人の良いところも見つけ、着地点に導くことを何よりも楽しんでいたようだ。




秋岡が基本コンセプトをつくったこの熊本県伝統工芸館では現在、40周年記念展が開かれている。「いいもの ほしいもの」(新潮社)という秋岡の著書になぞられた、県内工芸家約70名による作品展「くまもとのいいモノ ほしいモノ」展は10月10日まで開催。こちらはもちろん、触ることもできるし、購入もできる。会場の半分ものスペースには開館当初からの収蔵品が並ぶ。40年前には存在しつつも、残念ながら今ではつくり手がいなくなったものもある。身近な素材を生かし、無駄にせず使い尽くしてつくられた生活道具が充実している。「里の工芸」を愛した秋岡だからこそ見つけた道具も数多くある。40年前の気風を感じながら楽しみたい。

▲開館当初から使われている、工作室の椅子。時々、この椅子を作るワークショップも行われるという。

▲89歳の今も、創作意欲旺盛な宮崎珠太郎さんの作品は、常設販売されている。手前は昭和クラフトの銘品「ねじり編籠」。




8月14日まで無料公開されている展示室では、秋岡の業績が立体的に見られる「秋岡芳夫と工芸」展が催されている。館の収蔵品の他、秋岡がデザインした「あぐら椅子」や、秋岡が指導した島根・匹見の椀は、40年前から工芸館に携わる坂本尚文さんが使い続けているもので、「使い続けた説得力」が感じられる。

▲山田光の土瓶も坂本さんが使い続けたもの。秋岡から「使ってみる」ことを叩き込まれた。




秋岡とグループモノ・モノが唱え続けていた「底座の椅子の暮らし」を体験するコーナーや、秋岡の講義を受けた筆者が選んだ「暮らしの道具」の販売コーナー、秋岡が属していたデザイン会社「KAK」が手がけた「杉でつくる家具」の展示コーナーもある。

▲低座の家具は靴を脱いで体感してもらう。




設立から40年経て、開館当時を知るものは少なくなった。時代は変わったが、施設のつくりは変わらない。

常に「新しい素敵」を求めて、SNSで情報を求める人が溢れる昨今。「手の復権」や「五感で感じる」ことの価値を訴える、この熊本県伝統工芸館は現代にどう映るか。40周年は、秋岡芳夫による原初の考えを今一度、思い起こすきっかけとなった。50周年をどう迎えるか。今から楽しみだ。End

▲期間中はさまざまな展示、ワークショップが企画されている。「くまもとのいいモノ ほしいモノ」展のみ有料。(40周年記念展フライヤー


《前回のおまけ》

前回ご紹介した陶芸家、河辺 實さんの器が、熊本の料理屋さん「蘇月」で使われています。実はこちらの女将は、河辺さんの姪御さんなんです。