デザイン・イノベーションファームTakramの田川欣哉さんがナビゲーターとなり、ビジネス、テクノロジー、クリエイティブの3領域をつなぐトップランナーを迎える連載「BTCトークジャム」。今回のゲストは、デジタル庁チーフデザインオフィサー(※)の浅沼 尚さんです。
民間とのプロダクトの違い
田川 デジタル庁の設立時にCDO(チーフデザインオフィサー)のポジションが設置されたことは、社会に対する強いメッセージになったと感じています。日本の省庁に最初からデザインオフィサーが設置されるのは珍しいことです。
浅沼 確かに画期的だと思います。おそらく「CDOのような役割が必要です」と丁寧に説明してくださった方々が大勢いらしたのでしょう。そのためにも、この役割をしっかり定義して、省庁のような組織にとっても必要な役職だと証明したいですね。
田川 デジタル庁で手がけた直近の事例は何ですか。
浅沼 わかりやすい例だと、昨年の12月に閣議決定された「デジタル社会の実現に向けた重点計画」の要約紹介があります。
これまでのように200ページ以上ある文書をPDFで配布するだけではいけないという議論になりました。第一に、視覚に障がいがある方はPDF形式だとリーダーソフトを使えないというアクセシビリティの問題がある。また、専門用語を理解しつつ200ページ全部を読まないと内容がわからない資料では読み手を限定してしまいます。読み手の立場を考慮し、より多くの方々に政府が発信する内容を伝えるためには、アクセシビリティを確保しつつ、興味を持った方が短時間で内容を把握できるものにしなくてはいけないという流れになりました。
田川 まとまったページは、とても評判が良いですよね。
浅沼 真っ先に取り組んだプロダクトは、政府が提供する「新型コロナワクチン接種証明書アプリ」です。民間でやってきたサービスの品質と進め方を基本としながら、利用者視点での行政サービスの実現を目指しました。
田川 すごくシンプルで、これまでの行政系のアプリとは違うクオリティに仕上がっていると感じました。これから国のデジタルサービスがどんどん増えていくなかで、こういう取り組みがある種の標準をつくることになるでしょうから大変だったと思います。
浅沼 民間サービスの場合、使いたいユーザーだけが使ってくれればいいというスタンスなので、プロダクトを出した後にコミュニケーションをゆっくりしていけば、ユーザーとの関係性が構築できますよね。だから、プロダクトを少しずつ成長させていくというアプローチが取れます。
しかし、国のサービスの場合は、いきなり何十万、何百万というユーザー数に跳ね上がりますから、最初の利用者でない方も含めて丁寧にコミュニケーションすることが求められます。「いつまでに、誰へ届けるか」とか「ここで使えない場合はこちらに誘導する」みたいなことを最初から想定しなくてはなりません。それが今回のリリースでよく理解できましたし、民間と大きく違う特徴だと感じました。
官民混成のチームをつくる
田川 デジタル庁のなかには今、どんなデザイン系のメンバーがいらっしゃるんですか。
浅沼 立ち上げ前に民間から募集で入ってきたメンバーが3人、アクセシビリティの専門家が3人、それとCDOなので、全部で7人です。今はさらに採用をかけているところです。
田川 僕もメンバーのなかに何人か面識のある方がいます。年齢的にはシニアにいかないような方々だけれども、スタートアップのコミュニティで仕事をしてきた実力あるキャリアの方たちです。浅沼さん自身もそうですが、民間企業で執行役とか役員を務めている人材がたくさん入っています。
でも、行政システムを回している官僚の方々のスキルやカルチャー、マインドセットに対して、デジタルプロダクトをつくるスタートアップの人たちの意識は、普通はそんなにピタッと来ないわけですよね。どのように工夫しているのですか?
浅沼 デジタル庁は行政官400名と民間出身人材200名からスタートしました。プロジェクトを進めつつ、プロジェクトの意思決定や実施プロセスについて仕組み化することにも取り組んでいて、今、まさにデジタル庁の組織基盤を固めようとしています。
そのなかで、当初デザインチームは民間出身人材がUI、UX、アクセシビリティについて業務を推進するチームでしたが、この4月以降は官民混成で「サービスデザイン」を担うチームに組成や役割を再定義しようと考えています。サービスデザインを実践する組織づくりで大事なのは、多様な視点や専門性をもつチームとすることです。民間出身人材だけで構成するのではなく、行政官もチームの一員になることを検討しています。
デザイナーは積極的に行政の仕組みを学び、ユーザー視点で政策や行政のあり方を考える行政官と一緒にサービスづくりを行う。官民混成のサービスデザインチームがデジタル庁の複数プロジェクトに横断的に入り込み、利用者視点でのサービスづくりやそれを支えるカルチャーづくりをリードすることを目指しています。
田川 それをやるには「両利き」の才能というか、ユーザーの嗜好やデザインと同時に、行政のメカニズムを完璧に理解して「どの仕組みをいじればものごとがうまく進むか、反対に複雑になってしまうか」というセンス、両方を備えたハイブリッド型の人たちを生んでいかないといけません。これは、しっかり意思をもって育てていかなければならず、自然には出てこないです。
これから他の省庁の接点がデジタル化していくと、使いにくいサービスには批判が出るでしょう。デジタル庁で経験を積んだ行政官が他の省庁に移ったときなどは、サービスデザインの本質とか、自分でプロダクトやサービスを1回つくり切った経験を伝えられるといいでしょうね。
浅沼 行政機関に入って初めてわかったことですが、行政官の皆さんは、国民の生活を本当に良くしたいという思いで夜な夜な仕事をしているんですね。その思いがストレートに、自治体だったり各省庁に向けたサービスへ直結する仕組みがあれば、今よりも効率的に仕事ができるかもしれないし、さらに新たなところに力を注げる部分もある。
サービスだけではなくサービスを生み出す仕組みについても根本的な課題をきちんと理解して、課題解決に向けて一緒に取り組んでいきたいと思っています。そういう本質的かつ実践的な取り組みが両利き人材を増やすアプローチのひとつでしょう。
行政におけるデザインの機運を高めたい
田川 デジタル庁における浅沼さんたちデザインチームの役割は、デザイン面からしっかりプロダクトを先導していくことと同時に、デジタル庁の内外の方々とコラボレーションするなかでデザインの考え方をカルチャーレベルにまで浸透させるという、なかば教育的な役割もある感じですね。
浅沼 政府としてそうしたことを実践している英国などの事例があるので、参考にしていきたいです。ただ、これは行政の話だけではないとも思っていて、私がデザイン庁の外で属している金融業界でも同じ状況です。もともとデザイナーがいないような業界に入りながら、利用者視点とビジネスをつなげていくために試行錯誤するという意味では、同じアプローチだと考えています。
田川 ここで浅沼さんのバックグラウンドにも少し触れたいと思います。デザイナーとしてのスタートは大手メーカーでしたね。
浅沼 最初のキャリアは、新卒で入社した東芝でインダストリアルデザイナーとしてスタートしました。当時は2000年代初頭、日本メーカーがまだグローバルで強くて、本当に良い環境でデザインの基礎を学ぶことができました。大きい組織で手を動かしながら、ものづくりの上流からユーザーにプロダクトやサービスを届けるまでの経験を12年ほど積みました。
その後、海外赴任の機会があり、そこで少し意識が変わったんです。現地法人のデザインディレクター職だったのですが、デザインの扱いが日本と欧米ではまるで違うんですね。デザインがビジネスのなかで必須の役割であり、マーケティングにも当然入っていく。期待値も高いし、やり甲斐もすごく大きかった。帰国後、しばらくして外資のデザインファームに転職し、UXデザインのコンサルティングを行っていました。
フィンテックのトレンドのなかで、金融の世界にデザインが入っていく機運ができ、金融という社会基盤が大きく変わる予兆を抱くようになりました。ちょうどそのタイミングで「新しい組織をゼロから立ち上げるから、そこでデザインチームを率いてほしい」と声をかけていただき、今所属している三菱UFJフィナンシャル・グループの戦略子会社に入ったんです。
田川 今、浅沼さんがデジタル庁でやっている仕事と、金融のインフラ性やデザイングループの立ち上げ経験もシンクロしています。
浅沼 そうですね。デジタル庁のCDOというポジションに応募したのも、社会インフラに貢献したい、デザインで良くしていきたいという動機がありました。これまでいろいろな業界で新規事業やサービスの立ち上げに関わりましたが、民間企業でサービスをつくる場合、ある程度のボリュームが見込めて、汎用性があって展開しやすい領域にしか取り組むことができないという限界を感じていました。民間企業の場合、どんなに重要でもパイが少ない特殊な領域には、採算性の問題からなかなか携われないんです。
だから、次に自分で何かをやるとしたら、そういった新たな領域でチャレンジしたい、と漠然と思っていたんです。民間企業だと踏み込みにくい領域も含めて、公共性をもったサービスを提供することによって、問題解決をしていく。そうした国としての基本的な考えにもとづいたデジタル庁のビジョンやこれから取り組もうとすることは、ちょうど個人的にもやりたいことでした。
田川 なるほど。浅沼さんのチームにいるデザイナーを見ていて素晴らしいと感じるのは、皆さんスタートアップで経験を積みながらも、民間からは取り残されている狭い領域に貢献していきたいというパッションをもっていることです。ただ、取り残されている領域と言っても、全国民が対象となると数十万人という感じですから、決してマイノリティと言える数字ではないですね。
浅沼 現在は、デザイナーとして社会的にインパクトが大きいものにどれだけ貢献できるかということに興味があります。これを実現するにあたり、すべての課題解決をデジタル庁でやろうという考えはありません。あくまで「皆でやっていきましょう」と推進する旗振り役になれればと。だから、一緒に課題解決を行うコミュニティのような存在がキーになるかなと思います。
自分たちがやっていることはデザイナーとして普通のことなので、この流れをトレンドにする必要はないと思っていますが、行政におけるデザインの機運を少しずつ盛り上げていきたい。
行政サービスが少しずつ良くなっていくという実感を積み重ねることで「行政機関にデザインは必要だよね」という考えが広がればいいなと思います。より良い社会の実現に向けて、デジタル庁、各省庁、地方自治体の職員や関係者の方だけでなく、利用者視点のサービス実現に共感いただける方たちと一緒に、一歩ずつ前に進めていきたいと思っています。
ーーDXにはデザインが必須です。遅れに遅れた日本のデジタル化に、政府のなかでデザインがどう貢献できるか。デザインの領域がまた広がります。電機メーカーを起点にキャリアを進化させてきた浅沼さんの姿に、共感される読者の方も多いのではないでしょうか。(田川)
写真/井上佐由紀
本記事はデザイン誌「AXIS」216号「再び、オフィスへ。」(2022年4月号)からの転載です。