INSIGHT | プロダクト / 工芸
2022.03.23 09:50
ソウル市のイェオル・ハノク・ギャラリーで2013年1月に「扶余(プヨ)プロジェクト」展が開かれた。それは、韓国の新たな伝統工芸の姿を模索しながら、ものを超え、伝統そのものを再構築する試みだった。主導したのはひとりの日本人デザイナー、城谷耕生である。デザインがかたちを与えるだけでなく、考える力、変化をもたらす力となった本プロジェクトは、今も多くの示唆に富んでいる。
伝統は受け継ぐもの?つくり出すもの?
ある集団社会において、歴史的に形成・蓄積され、世代をこえて受け継がれた精神的・文化的遺産や慣習。(大辞林第三版)
「伝統」という意味を、あえて辞書で調べてみるとこのように解説されている。確かに、「伝統」は“世代をこえて受け継がれた”もの、と何の疑問もなく信じていたように思う。しかし文化人類学や歴史学の世界では、辞書の定義をそのまま鵜呑みにはしていなかった。例えば、2012年、95歳で没した英国の歴史家、エリック・ホブズボウムの、テレンス・レンジャーとの編著『創られた伝統』では、「伝統」と呼ばれているものの多くは実は近代になってつくられていると論じている。私たちは「伝統」という紋をかざされると無言でひれ伏してしまう傾向があるが、まずはそうした慣習から抜け出すことが必要なのかもしれない。
韓国文化遺産保護の拠点、イェオル
ソウル市のイェオル・ハノク・ギャラリーで展示された「扶余プロジェクト」は、日本人デザイナーの指導の下、伝統工芸の将来の担い手である韓国人学生と現役作家、計12人が参加したワークショップである。指導したのは、長崎県雲仙市を拠点に活動するデザイナーの城谷耕生。かねてから、福岡・東峰村の小石原焼、別府の竹工芸など、若い職人たちとともに現代における伝統のあり方を模索し、それをかたちにしてきた。
数年前に城谷は、韓国伝統文化大学校のチェ・コンホウ教授の知己を得て、韓国の伝統工芸に目を向けるようになった。この交流から「扶余プロジェクト」は生まれるのだが、その基盤となる考え方が特殊である。というのも扶余という土地には、代々受け継がれる伝統工芸が存在しないというからだ。ではいったいどのように「伝統」と取り組んだのだろうか。
遠い伝統、親密な伝統
まずは「扶余プロジェクト」の舞台を訪れるため、ソウル市内から約2時間バスに揺られて忠清南道(チュンチョンナムド、韓国中西部の行政区)の南部、扶余郡へ向かった。この地は遥か昔の538年に、百済最後の都、泗沘宮(サビクン)が建設された場所だ。しかし唐・新羅連合軍が百済を滅ぼすと、その文化も徹底的に破壊された。
近年、扶余には百済の文化を再現した広大なテーマパーク「百済文化団地」が建設され泗沘宮も再現されている。これも伝統を継承する1つのかたちではあるが、人と対象の距離が遠く隔たっているように見える。このようなかたちで現代の扶余には百済の伝統の型が蘇ったわけだが、伝統工芸の姿は見当たらない。それは手仕事の産業がないということでもある。
「伝統がなければつくればいいんです」と城谷は大胆に言う。彼もホブズボウムの『創られた伝統』から少なからず影響を受けたひとりだ。
「扶余プロジェクト」が将来の伝統の基盤を地域でつくろうという試みであって、彼らがこれから「伝統」の種を蒔こうとしている、と想像するのは楽しい。そこにあるのは、自分が生成しつつある有機体の一部だと感じられるような親密な伝統だ。
「多くの学生は伝統工芸をそのまま継承することに喜びは感じていませんでした。ところがそこに創造的な要素が加わると急に生き生きとするんです」。
城谷は2012年3月から月に1度扶余を訪れ、作家や学生らと対話を続けた。韓国、そして扶余の文化を陶芸、絵画、木工の3部門でリサーチし、整理したうえで伝統を引用、城谷がかたちを与えた。こうした長いプロセスを経て制作されたのがイェオルに展示されたプロダクトなのである。
工芸とデザインの協力体制を育てる
扶余では、プロジェクトに参加した職人たちからこんな話を聞いた。
「今回のプロジェクトでは、私個人の作家活動とは違って難しい部分もありましたが、以前より視野が広がりました。制作にとりかかる前のリサーチのプロセスが面白かった。博物館にありながらあまり日が当たらなかった作品にも、改めて目を向けることができました」(民画家、ユン・ジョンスク)。
「木工作家としてマンネリ状況にあったところでしたが、若い学生たちの新鮮な発想に大いに刺激を受けました。今後もぜひ続けていきたい」(木工作家、ボク・ジョンソン)。
「城谷さんにデザイン画を出したところボツになることがあったのですが、なぜダメなのかを合理的に説明をしてもらい納得できました。陶芸におけるデザイン的な側面も初めて考えるようになり、これを今後の課題としたいと思います」(陶芸家、ガン・テチョン)。
「工芸とデザインがともに協力し合うことが大切な時代になる」と城谷は考える。「伝統」とは決められた型に従うものだが、ではどうしてそのかたちがいいのかと考え、時には型を検証し直すことも必要となる。その際、デザインはかたちを与えるだけでなく、考える力、変化をもたらす力となるはずだ。
「扶余プロジェクト」以前はデザインを否定的に捉えていたというチェ教授は、「デザインという仕事は、一部の金持ちのために贅沢品を提供するものだと思っていましたが、その意識が変わった」と語る。「今世界は物質主義からセラピー的なもの、アジア的な価値を再発見しているように思います。ものを通じて人と人の生活を見るようになった。ものから人間へと視線が移りつつあると感じています」。
デザイン的思考が工芸に必要となるだけでなく、工芸がデザインに与えるものこそ、これからますます重みを増すだろう。
冒頭で紹介した歴史学者、ホブズボウムは、「伝統」がいくつかのケースにおいて、階級を維持するために意図的につくられたことにも言及する。しかしそれも結局は、受け手の判断に委ねられている。そこで大切な役割を果たすのが職人だ。
職人は、人々の記憶の深い部分にあるかたちやテクスチャーを、手を媒体にものに吹き込む力を持っている。手の仕事は「意図」を超えることができるのだ。こうしてあるものに、集合的な記憶を呼び起こす力が宿ったとき、それが「伝統」と呼ばれるのかもしれない。
ーー本記事は、AXIS163号(2013年6月号)掲載分を一部加筆修整して転載したものです。