INSIGHT | ソーシャル / フード・食 / プロダクト
2022.03.18 09:39
城谷耕生は故郷である長崎県雲仙市小浜町を拠点に、ものづくりの思考を深め実践を繰り広げてきたデザイナーである。彼が「耕した」土地で変化が起こり始め、営みのデザインが目に見えるかたちになってきた矢先、城谷は2020年12月に突然逝ってしまった。ここでは回顧録としてではなく現在進行形のプロジェクトとして、ふたつのパートに分けて彼の仕事を考察する。彼が耕した土地から、すくすく、のびのびと多くの存在が育っているからだ。
若い人とともにこの街を変える
「それまでの僕は、小浜で─他の人はわからないかもしれないけど、文化的・都会的な暮らしをして、“自分”が楽しもうという意識でいたんです。でも、“彼ら”が来て、自分と同じ趣味の人がいたり、僕が快適だなと思える店がちらほらできたりして、彼らと一緒に小浜全体を文化的な街にしたら、もっと居心地がよくなるのではないかと思うように、“彼ら”のおかげで変化したんです」。
城谷耕生がいなくなって半年が過ぎた小浜。でも、そこで“彼ら”に会うことができた。
冒頭の発言は、2020年6月に私がホストのひとりを務めるネット配信番組「山水郷チャンネル」で、城谷が語った言葉だ。番組を気に入ってもらったのか、数カ月後彼から電話があり、小浜から「山水郷チャンネル」を配信して若い移住者たちを取り上げてほしいという相談があった。じゃあ行こうとなっていた矢先に帰らぬ人となった。長崎県・小浜温泉は島原半島西岸に位置し、日本一の源泉温度105℃を誇り、街には常に湯煙が立ちのぼっている。城谷はここに生まれ、10年間ミラノで活動した後、02年からこの地に戻り仕事をした。
小浜の温泉街は2本の通りから成っている。ひとつは、ホテルや旅館が建ち並ぶ海岸沿いの国道。もうひとつは、その裏手を通る旧道で、商店やレストランやスナックなどが点在する。
城谷が13年にオープンした刈水庵は、この旧道からさらに山側へ数分歩いた刈水地区にある。細い路地からなる斜面地で、坂道の傾斜はきつく曲がりくねっていて、自動車は入れない。自転車にも向かない。絶えず水が湧き出て、至るところで水路を流れる水の音がする。もともと大工の家だった空き家を改装した刈水庵は、1階がショップで 2階がカフェ。納屋だった別棟の2階は、城谷が仕事場として使っていた。どちらの2階からも海が見える。
エコヴィレッジ構想を実現する
もともと城谷の仕事場は、温泉街の中心から2kmばかり離れた海辺にあった。それを刈水に移し、刈水庵を開いたきっかけは、2012年に行ったデザインワークショップであった。当時、小浜では長崎大学環境科学部が中心となって地熱バイナリー発電の実証実験が進められていた。小浜の温泉水は豊富で、その7割は利用されずに海に流されている。それを発電に使おうというのである。発電設備をつくるにあたって、デザインの力で地元の理解を促してほしいという依頼が城谷にきた。彼は、地熱発電の仕組みをイラスト付きでわかりやすく説明するチラシやパンフレットをつくるというような誰でも思いつくような解決策をとらなかった。
イタリア時代からの盟友で、ローマ在住の演出家・批評家の多木陽介を小浜に招き、ふたりで街を歩いて方策を練った。「過疎化しているけど面白い場所がある」と城谷が多木を連れて行ったのが刈水地区だった。当時、人口は50人、36軒ある民家のうち空き家が14軒。狭いからこそリサーチもしやすい。この地区を、エコロジーを考えるきっかけになる場所にすることができれば、再生可能エネルギーである地熱バイナリー発電を街の人に認識してもらう契機にもなる、と考えて、刈水でデザインワークショップを行うことにした。5日間のワークショップには、城谷と多木、スタジオシロタニのスタッフ2名と学生5名が参加した。「美しく公正で自律した生活の場所づくりをしよう」というのが城谷と多木の間のキャッチフレーズだったという。一軒一軒家を訪ねて住民に話を聞くなど綿密なリサーチを行い、景観・施設・菜園の3つのテーマを設定し「北刈水エコヴィレッジ構想」(のちに刈水エコヴィレッジ構想と呼ばれるようになる)をまとめた。夜道を足元から照らす LED照明や、空き家を改装した食堂やギャラリーや工房、さらに、家庭菜園を地区外の人が関わりながらサスティナブルに支える仕組みなどを提案した。
依頼されたプロジェクトとしては成果発表会をして終了だったが、城谷はこれを構想だけに終わらせなかった。自腹を切って2軒の空き家を借りた。発表した構想では食堂と想定していた空き家が刈水庵となった。改修作業は、城谷と事務所のスタッフでやった。平日は午前中の2時間、休日は終日、竹藪を刈り、廃材を一輪車で運び出し、柱や壁を補強した。
刈水庵に向かう路地の中途にある、もうひとつの空き家は、スタッフ山﨑超崇(きしゅう)が住むことになった。住みはじめの頃、親しくなったおばあちゃんが、バターを塗ったトーストをラップにくるんで玄関先に置いていってくれたこともあった。今も地元の人が野菜や釣った魚を差し入れてくれる。他の空き家にも移住者が住まうようになった。山﨑の家の向かいには、家一軒分の敷地の小さな菜園がある。「自由に使ってくださいと言われて、ふんわりと借りているんです」と山﨑。本業は空間設計やプロダクトデザインなどだが、休日は夫婦で畑仕事をしている。「菜園でつくった野菜は、誰が採っていってもいいんです。城谷さんや奥さんが、ミニトマトとかバジルを『これ今日もらってくね』って使ってもらっていたのが、僕はうれしくて」。東京から移住したフレンチレストランのシェフにも野菜を使ってもらっている。ふんわりゆるいコモンが、生活空間にも人の心にも広がっていた。
どんどん面白くなっていく街
古庄悠泰は、学生のひとりとして先述のデザインワークショップに参加した。大学卒業後、小浜へ移住し、刈水庵の初代店長をしながらスタジオシロタニで主にグラフィックデザインを担当した。
今は温泉街の旧道に面した3階建ての建物に自分のデザイン事務所を構えている。依頼者から「それ、デザインに関係あるんで すか?」って言われるほど、その人の生き方や関心事を聞き出してからデザインするのが、古庄の仕事の流儀。それも城谷から学んだことのひとつだ。
事務所の1階は「景色喫茶室」という名のカフェにして、土日は店主をしている。コロナ禍になる前までは、そこで「景色呑み」という名で月1、2回食べ物や飲み物を持ち寄る呑み会を行っていた。知り合いが知り合いを呼び、移住者だけでなく、地元の農家や漁師や市役所の職員もやって来た。「仲間が増えて、ますます生活が楽しくなっています」と古庄。「小浜に来た人に、どこかオススメのところありますか?ってよく聞かれるんですが、オススメがどんどん増えています」。そう言って窓から見えるはす向かいの工事中の店を指さして、「イタリア修業経験のあるシェフが Uターンして小浜でブドウを育てていて、そのワインを飲める店を開くんです」。
古庄の事務所から5、6分歩いた国道沿いには、刈水庵の2代目店長の尾崎翔が開いたカレー屋「カレーライフ」がある。雑誌などで紹介され、すでに小浜の有名店だ。
3代目として現在刈水庵の店長を務める、諸山朗は今、刈水地区にゲストハウスを開く準備を進めている。生前、城谷は街に点在する空き家を宿に改修し街全体を宿泊施設にするアルベルゴ・ディフーゾのようなものをつくりたいと言っていたという。「私がお試しでひとつつくってみて、城谷さんのビジョンを実現させたいとずっと思っていたんです」。
“彼ら”は自分たちなりのやり方で「美しく公正で自律した生活の場所づくり」を始めていた。それぞれがつくった居心地のよい場所は、人と人のつながりを生み、刈水に、小浜に、濃密ながらもふんわりゆるい自立共生の文化を生み出そうしている。
人の営みをデザインするってこういうことだったんですね、城谷さん。営みのデザインに終わりはないですよね。
ーー本記事はAXIS212号(2021年8月号)からの転載です。