介護用具にどんなデザイン性を求める?
デザインアワードを競う「ブラジル国立技術研究所」に取材 

▲今年12月に創立100周年を迎えるブラジル国立技術研究所(INT) ©Instituto Nacional de Tecnologia

「介護用具もエレガントであってほしい。」1980年代から介護関係の技術・製品の開発に取り組んできたブラジル国立技術研究所(INT)は、要介護者からのこうした要望にこれまで以上に応えるべく、昨年、新たな介護・インクルージョン研究室(LaTAI)を開設した。今回は、LaTAIとして初めて開発したクラッチ杖に加え、研究所設立以前に作られた製品を通じて、ブラジルの行政機関による介護用具開発の取り組みを紹介する。

ブラジルの科学技術イノベーション省傘下のINTは、リオデジャネイロ市に研究所を構え、今年12月に創立100周年を迎える。同研究機関では、国の様々な産業の発展を支える技術の開発に取り組んできた。INTの長い歴史における特筆すべき功績としては、サトウキビ由来の自動車用エタノール燃料の開発や「ブラジリアン試験」の名称で世界的に知られるコンクリートの引張強度試験の開発などが挙げられる。

LaTAI開設以前、INTでは、組織内の複数の異なる部署が介護関連技術の開発に取り組んできた。近年の主な製品には、車椅子、歩行器などの介護用具や視覚障害者用の色彩識別コードや算数教材などのコニュニケーション・教育資材がある。

▲ブラジルの多様な産業に技術開発で貢献してきたINT ©Instituto Nacional de Tecnologia

2016年製作の家庭用車椅子は、家屋内という限られた空間で小回りが利くことを主として開発された。この製品の特徴は、通常の車椅子では駆動輪と同軸にあるハンドリムを独立分離させ、使用者がハンドリムで行う回転運動を、歯付ベルトを通じて駆動輪に伝達する点にある。ハンドリムは、人間工学に基づいて、肩への負担を軽減できるように座席前方に配置されている。この製品の研究にあたって、社会階層の異なる市民7人の車椅子使用者の住居での使用実態が分析された。背もたれが前に倒れ、フットレストを椅子の下に収納できるため、不使用時に場所を取らないことにも考慮されていた。

▲家庭用車椅子 ©Instituto Nacional de Tecnologia

▲家庭用車椅子 ©Instituto Nacional de Tecnologia

2017年に製作された折りたたみ式の大人用歩行器「Andador Shift(シフト)」は、使用者がより容易かつ安全に椅子から起立/椅子に着席できるように、起立・着席時につかむハンドルを加え、広く設計した後脚の着地部が椅子の前脚よりも手前に深く位置付けられる工夫が施されている。さらに、両側の前後の脚が「X状」に交差しているため、折り畳むとき、より持ち運びやすい構造となっている。

▲大人用歩行器「シフト」 ©Instituto Nacional de Tecnologia

▲大人用歩行器「シフト」 ©Instituto Nacional de Tecnologia

▲大人用歩行器「シフト」 ©Instituto Nacional de Tecnologia

「INTは1980年代半ばから介護技術の開発に取り組んできました。これまでに障害者、要介護者を対象として開発した介護用具のうち30点以上を商品化し、複数の製品で国内外のデザインアワードを受賞してきました。」と語るのは、1996年からINTに勤めるデザイナーにして、新設されたLaTAIのコーディネーターに就任したジュリオ・セザール・アウグスト・ダ・シルバ博士だ。

現職の前にもINT介護技術本部コーディネーターとして関連技術の開発に取り組んできたシルバ博士は、「昨年新たにLaTAIを立ち上げたのは、これまで以上に障害者や貧困者の社会的包括に取り組んでいくためです。INTは、総合的な理工学研究所であるため、デザイン、エンジニア、化学、マテリアル、サーティフィケーションなど活動が多岐に及びます。異なる分野の専門家に、一つの同じ研究所に所属してもらうことで、介護・インクルージョンに関して多角的に活動していくことを目指しています。介護用具の開発の他には、コミュニケーション、教育、雇用の創出、サステイナビリティにおけるイノベーション、そしてパラスポーツの製品開発にも取り組んで行きます。」と語った。

▲LaTAIコーディネーターのジュリオ・セザール・アウグスト・ダ・シルバ博士 ©Instituto Nacional de Tecnologia

LaTAIの設立前から、INTはパラリンピック競技大会において、輝かしい実績を残してきた。ソウル大会(1988年)では、バスケットボールと陸上競技のブラジル代表団に車椅子を提供した。陸上種目において、車椅子競技としてブラジル初のメダル(銀)獲得に貢献した。ロンドン大会(2012年)とリオデジャネイロ大会(2016年)では、製作した円盤投げ・砲丸投げ用の台座が、ブラジル代表選手に使用された。

LaTAIの製品が世界のデザインアワードを受賞

今年、発足されたばかりのLaTAIに嬉しいニュースが届いた。およそ1年間を費やして製作したクラッチ杖「Tour(ツアー)」が、世界をリードするデザインアワードの一つである「A’Design Award & Competition」から、2020-2021年度障害者・高齢者補助デザイン部門銀賞を授与されたのだ。「ツアー」は、前腕部を支えるカフが、肘関節の屈伸方向に回転可能なことが主な特徴だ。アワードの主催者は、障害者、負傷者、あるいは高齢者など同種の介護器具を必要とする人に対して、より自立した生活と、生活への活力を与え得ることを授賞の理由に挙げた。

▲A’Design Award & Competition 2021 シルバー賞を受賞した「ツアー」 ©Instituto Nacional de Tecnologia

「INTはこれまでにもiFデザイン賞や国際産業デザイン協議会などの国際的なアワードを受賞していますが、今回の受賞は、介護用具として獲得した過去最高の評価です。私達にとっては、これまで約35年にわたって多くの研究者が介護技術の開発に尽力してきた業績が認められたと思っています。」とシルバ博士は喜びを表した。

INTとLaTAIは、プロジェクトごとに医療施設や障害者支援団体の協力を得て、技術開発を行っている。「ツアー」の開発も医療関係者と患者への聞き取り調査で挙がった声がきっかけとなった。カフとシャフト(支柱)が一体となった従来のクラッチが、歩行時に手首などにかかる負荷による痛みや疲労感のために、使用者に手放されることが少なくないことを知り、新たなクラッチの開発に取り組んだのだった。

▲カフが回転可能な 「ツアー」 ©Instituto Nacional de Tecnologia

▲カフが回転可能な 「ツアー」 ©Instituto Nacional de Tecnologia

「ツアー」のカフ部分は、地面に対して垂直に近い85度と15度の2つの角度で固定できる。これにより、肘を伸ばして支える前腕固定型と、肘を直角に曲げて使う前腕支持型の二通りで使うことができるため、同じ姿勢で杖をつくことによる手首や手の平への負担を軽減できる。また、椅子から起立する際には、カフと支柱をつなぐハンドルを緩めて使用することで、従来型のクラッチでは肘や肩などに集中する負担を抑えられる。杖先のゴムが摩耗した際には、市販の従来品と取り替えることも可能だ。また、これからの商品化に向けて、ツートンカラーの6つのカラーバリエーションを予定している。

▲カフが固定された従来品と「ツアー」とでの起立時の身体の動きを比較 ©Instituto Nacional de Tecnologia

「介護用具は機能面の改善ばかりでなく、見た目のデザインの洗練がますます重要になっています。「ツアー」の支柱のカーブやカラーバリエーションは医療器具であることの印象を薄くし、使用者側に選ぶ主体性を与えるための工夫です。一般的な介護用具は、金属とゴムやプラスティックの黒いパーツによる色彩に乏しいものが多ので、病院などの環境を直接的に想像させます。そのため周りの人から不憫に思われることを嫌って、介護用具を疎む要介護者も少なくないのです。長年介護用具の開発に携わっていますが、人権意識の高まりに伴い、最近約10年でより見た目も洗練された、優れた介護用具を求める要介護者が増えていることを感じます。」とシルバ博士は教えてくれた。

社会的包括におけるデザインの役割について尋ねると、仕事や収入を生み出すなどの経済的側面に加えて、心理的側面での役割も大きいそうだ。

「私は、デザインを通じて社会的に阻害された人に働きかけることに関心があります。心理面においてデザインは、身体のハンディキャップを軽減することで、障害者・要介護者に社会への帰属意識や自尊心を与え、自立を促しうる有効なツールだと思います。」という。シルバ氏は、海外製品の輸入に頼らず、自国で介護用具を製作する必要性についても語った。それにはブラジルの昨今の経済停滞や社会の高齢化が関係しているそうだ。

「経済の低迷とブラジル通貨の下落により、市民にとってより優れた介護用具を海外から取り寄せることは、ますます難しくなっています。介護用具の製作においても全工程を国内で完結できることが大切です。例えば「ツアー」には、既存の国産品と同じ素材を使っており、全パーツが国内で容易に調達できます。ブラジルもまた少子高齢化に向かっており、介護用具の需要が増えています。国家戦略として介護技術を開発し、確立する必要があるのです。」

ブラジルの高齢者は、65歳以上の人口が2019年現在で総人口の9.5%にあたる1996万人と、高齢者比率においては、世界一の日本(2019年現在、3588万人で総人口の28.4%)と比較すると少ない。しかしブラジルは、総人口が世界6位(2019年現在、2億1015万人)の規模であることに伴い、65歳以上の人口も世界6位と世界的に見てすでに高齢者の多い国なのである。2034年には65歳以上の人口が、総人口の15%に値する約3457万人となることが推定されており、緩やかながらも確実に高齢化社会に向かっている。

商品化への道とアワード応募の意義

INTで開発される製品の生産は、民間業者に委ねられている。ここで紹介した大人用歩行器「Andador Shift(シフト)」とクラッチ杖「ツアー」の商品化については、それぞれメーカー2社と交渉中だが、パンデミックの影響のためにメーカーが投資を延期したことによって遅れているのだそうだ。

「私達が最近開発した製品の中には、商品化が決まっているものもあります。義足用の着せ替えカバー「クリッパ」は、すでにメーカーとの業務提携の契約が結ばれ、来年発売予定です。また、視覚障害者用の点字ディスプレイ付き端末は、一般消費者への販売を対象としたものではありませんが、キャッシュディスペンサーや交通系ICカードチャージ機などに導入できる技術で、こちらも来年の発表を予定しています。ブラジルでは、長きにわたり繰り返されてきた経済危機により、生産セクターにおいて研究と発展のために投資する文化が培われてきませんでした。しかしその状況は変わりつつあり、介護技術の分野においても、消費者の声に耳を傾け、技術開発に取り組み、製品を輸出するメーカーが現れています。こうした企業に競合他社が追従することで、業界が発展していくことを願っています。」とシルバ博士は言った。

▲義足用着せ替えカバー「クリッパ」 ©Instituto Nacional de Tecnologia

▲義足用着せ替えカバー「クリッパ」 ©Instituto Nacional de Tecnologia

なお、「ツアー」の生産について交渉中のメーカー2社とは、「A’Design Award & Competition」で銀賞を受賞したことがきっかけで商談が始まっていた。

「アワード受賞は、メーカーに商品化と技術開発への投資を促す効果があります。それによって、最終的に消費者が新たな器具や技術を手にすることを可能とします。また介護用具としてデザインアワードを受賞する大きな意義は、車椅子、杖、歩行器などが、美しい家具や装飾品、あるいは最新のスマートフォンや自動車と並んで展示・発表されることで、介護器具の使用に伴うイメージの深刻さを和らげることができることです。それにより間接的にではありますが、障害者の社会的包括と社会への帰属意識に貢献できると思っています。」とシルバ博士は、介護用具でデザインアワードに応募することの意義について教えてくれた。End