札幌を拠点に
「もの・こと・ば」の領域で活動する、伊藤千織の仕事

▲壁のないオープンなつくりの東川町立東川小学校・地域交流センター(2014) Photo by Koji Sakai

伊藤千織は、地元の北海道・札幌を拠点に、「もの(=product)・こと(=activity)・ば(=space)」の3つの領域を横断しながら、家具や日用品、空間デザイン、ワークショップなどの活動を展開している。東川町立東川小学校・地域交流センターせんとぴゅあといった道内の仕事に多数携わり、昨年はコロナ対策のために地元の有志と立ち上げた「しくみプロジェクト」がテレビやウェブサイトに取り上げられ話題を集めた。デンマークでの学びと体験、公共空間デザインに対する興味、今年で発売から10年目を迎えるペーパーリース作品について想いを聞いた。

▲座と脚をあられ組みでジョイントしたインテリアNASUの「BATTEN stool」(2003) Photo by Masaki Naka

アートやデザインに触れて過ごした幼少期

伊藤は1966年に札幌に生まれた。両親は共に美術教師で、アートやデザインに関わる仕事をする親戚も多く、叔父には資生堂のショーウィンドウデザインなどで知られる造形家の伊藤隆道がいる。その叔父の知り合いの宮脇檀が設計したモダンな家には、建築家やデザイナーがたびたび遊びに訪れた。

当時、自身にとってその環境が特別とは感じていなかったそうだが、日々の生活のなかでアートやデザインに触れて過ごすうちに自然と興味を抱くようになったという。

▲自身がいつもバターナイフの置き場に困っていたことから考えた、自立する「ogバターナイフ」(2008)

高校を卒業後、女子美術大学に入学。最初はグラフィックを学び、その後、天童木工の「ムライスツール」を手がけた田辺麗子の講義を受けて家具デザインに興味をもった。大学の課題作品を著名な建築家やデザイナーも発注する試作会社で本格的に製作し、寸法やRなどのディテールを詰めていく作業に面白さを感じた。

また、さまざまな事務所でインターンシップやアルバイトを経験し、そのなかでGKデザインや大野美代子の公共の仕事に強く惹き付けられた。大学卒業後は、自身が興味のある家具・建築・空間すべてを網羅している宮脇檀建築研究室に入社し、インテリアセクションで働いた。

▲「札幌市生涯学習センターちえりあ・教育センター」(2000)。デザインチームの一員として、待合室のアートオブジェと家具のデザインを担当。多様なテクスチャーに触れることで会話が生まれる装置を考えた Photo by Masaki Naka

デンマークでの学びと体験

その後、宮脇の事務所を退所し、1992年から2年間、政府給費生としてデンマーク王立芸術アカデミー建築学校に留学。家具や空間デザインを学ぶかたわら、他学科の公共空間や都市景観のプロジェクトで知られるヤン・ゲール教授の講義などで多くのことを学んだ。このデンマークの学校での学びと日常の体験によって、公共の仕事に対する興味がさらに高まったという。

「デンマークでは、バス停や駅舎、役所、電車といったパブリックスペースにも建築家やデザイナーの手が入り、丁寧にきちんと考えられてデザインや設計がなされています。新しくつくられたものがあれば、新聞に評論家の批評文が掲載されて市民の間で議論されます。この国のデザインに対する意識と生活デザインの質に民度の高さを感じ、私もこうした人の行動や生活を中心に考えたデザインの仕事をしていきたいと思うようになりました」と伊藤は語る。帰国後、札幌を拠点にフリーランスで活動を始めた。

▲沼田小学校(2013)の設計は、アトリエブンク。建物中央部分が吹き抜けになっている Photo by Fumiaki Sato

印象に残る、地域に根ざした公共プロジェクト

空間の仕事は、道内のプロジェクトが多く、そのなかで自身にとって特に印象に残っている仕事を挙げてもらった。そのひとつが、2013年に完成した沼田小学校だ。「ひかりの原っぱ」がコンセプトの、自然光が差し込む吹き抜け空間とつながる図書室とパソコンルームが一体になったオープンスペースを担当した。子どもの遊び場としての原っぱの要素を家具で表現しようと考え、第2の床のような大きなベンチを設置し、一角にはいくつかの本棚による落ち着ける場所をつくった。建築のコンセプトを読み解き咀嚼し、居心地のいい空間を家具によって拡張したもので、協働の面白さを改めて感じたプロジェクトだった。

▲以下の3点は、東川町立東川小学校・地域交流センター(2014)。全長270メートル、1階建ての7棟から成る Photo by Koji Sakai

▲長い廊下を楽しく歩けるように、伊藤は棟の境をゲートのように色で囲み、子どもたちの心理に働きかけるデザインを考えた Photo by Koji Sakai

▲地域交流センターのオープンスペースには、地元の家具工房の椅子を1脚ずつ入れて、市民が体験できる家具のショールームの機能をもたせた

印象に残っているもうひとつの仕事は、2014年に移転・新築された東川町立東川小学校・地域交流センターだ。行政、教育委員会、教師、建築家など多くの人が関わり、今まで経験したなかで最も大規模なプロジェクトだったという。伊藤はそれらの人々の考えや思いをヒアリングし調整する、デザイナーというよりコーディネーターという立場で携わった。

具体的な作業では、全体のディレクションとサイン・色彩計画、学校で使う家具の種類や寸法の調整、地産地消のコンセプトのもと、これまで育んできた人脈や経験を生かして東川にある工場やメーカーの技術や製品、地元のアーティストの作品や小さな家具工房の椅子を積極的に取り入れることを提案した。今まで学び経験したことを最大限に発揮し、公共施設の仕事での自分の新たな立ち位置や役割を発見したプロジェクトだった。その後、同じメンバーと旧東川小学校を改修し、複合文化施設のせんとぴゅあI(2016年)、せんとぴゅあII(2018年)として生まれ変わらせた。

▲せんとぴゅあI(2016年)は、ギャラリーやコミュニティカフェのほか、織田憲嗣の椅子のコレクションを常設展示している

▲せんとぴゅあII(2018年)には、東川写真コレクションや大雪山アーカイブス、最大75,000冊を所蔵できる図書スペース、さまざまな家具やアートが共存する、東川町の多様な文化を発信する拠点となっている

デザインを駆使して社会の課題解決を図る

最近の活動では、昨年2月末に、全国に先んじて北海道に緊急事態宣言が発令されたことを機に地元・札幌の有志で立ち上げた「しくみプロジェクト」がある。コロナ対策に向けた地域の課題解決に向けて、デザイナーにできることは何かを話し合い、何か実装できる、社会に役立つことをしたいと考えた。

ソーシャルディスタンスという言葉がまだ出始めた頃で、半ば手探りの状態のなか、札幌市に相談をもちかけ、5月からコロナ対策の実証実験を行うことになった。ひとつは札幌市民交流プラザのベンチに、アクリルや木を使って3密回避のためのパネルを製作。もうひとつは、札幌三井JPビルディング・赤れんがテラスのアトリウム空間に巨大な岩のオブジェを使って感染予防を呼びかける空間を提案した。

▲「しくみプロジェクト」(2020)のコアメンバーは、プロジェクト発起人のイベントプロデューサーの山岸正美、クリエイティブディレクター/グラフィックデザイナーの佐々木信、ICCのディレクターのカジタシノブと、伊藤の4名。さまざまな表示やパネルを試作し、最適なものを探るために実験を繰り返した

▲「あなたの命を守るための実験」をコンセプトに、赤れんがテラスのアトリウムでの新型コロナ感染防止のための実験空間を提案

「しくみプロジェクト」のように、今後もデザインを手段として課題解決することに関わりたいと伊藤は考えている。

「コロナの影響で社会構造が大きく変わり、いろいろな価値観が再構築されました。また、SNSによって個人から発信されたものに共感がつながり、それが世界的なうねりになるという流れになっています。そのなかで大きなイノベーションではなく、個人レベルの小さな意識改革や生活の見直しを図ることに興味があります。榮久庵憲司さんの『美の民主化』という言葉がありますが、デザインは特定の人だけでなく、すべての人のためにあります。個人の生活は社会に直結しているので、課題解決の手段としてデザインがさまざまな領域で活用されれば、私たちの暮らしは今よりもっと良くなると思っています」。

▲「ペーパーリース」シリーズ(2011年〜)。強くてしなやかな素材「ユポ」を使用している Photo by Yasuyoshi Ootaki

ペーパーリースに込めた想い

今年は代表作のひとつ、ペーパーリースの製品化から10年目を迎える。今から10年前といえば、東日本大震災が起きた年だった。「毎日悲惨なニュースをテレビで観ているなかで、ふと自分の部屋の白さが目に入り、胸が痛くなりました。私たちの今いる世界は、なんて機能主義的で無機質なのだろうと。そして、機能性はないけれど、心を和ませたり、潤いを与えてくれたりするものが人間には必要だと感じました。そういう想いからこのリースをつくり始めたのですが、10年経ってまた今のような状況になり、改めてこのリースをつくる意味を考えています」。

これから先の未来を考えたときに、先輩女性デザイナーの活躍が刺激になるという。「歳を重ねれば重ねるほど、みなさんアバンギャルドになっていくところが痛快で、希望が湧きます」。そう語る伊藤も、常に好奇心と探究心をもって、真摯に情熱を傾けて打ち込む姿勢が印象的だ。伊藤の活動を詳しく知りたい方は、ホームページをぜひご覧ください。


伊藤千織(いとう・ちおり)/デザイナー。1966年北海道生まれ。1990年女子美術大学産業デザイン科インテリアコース卒業。宮脇檀建築設計室を経て、1992年から2年間政府給費生としてデンマークに留学。1999年に伊藤千織デザイン事務所を設立。2000年北海道教育大学大学院教育学研究科修了(美術教育)。家具や日用品、オリジナル製品「chiori design」の開発、公共建築へのインテリア提案など、幅広くデザインを手がける。北海道デザイン協議会理事。北海学園大学・東海大学非常勤講師。