単なるファッションアイテムとしてだけではなく、個人の思い出や哲学を映し出した、象徴としての価値が腕時計にはあるはずです。腕時計をめぐる物語を大事にする、デザインにまつわるプロフェッショナルたちに、腕時計を持つ理由や出会いをうかがいました。
中山英之(建築家)
もともと腕時計をする習慣も欲しいと思ったこともなかったのですが、5年くらい前に偶然通りかかったヴィンテージ時計のポップアップショップを何の気なしにのぞいて「なんて綺麗なものなんだろう」と目が離せなくなったのが、この「タンク ルイ カルティエ」です。
腕時計に興味を持つ自分を想像したこともなかったので、なんだかそれが面白くて、その場で買って帰りました。だから、特別な理由があって着けているわけではなくて、なぜ自分はこれを美しいと思うのか、ずっと眺めていたいという気持ちになるのか、そういう“謎”を連れ歩くことを楽しんでいるのだと思います。
ミニマルでシンプルな印象を持ちますが、よく見たらディティールがいっぱいあるんですよ。だから、要素を削ぎ落としたり幾何学を研ぎ澄ましていくミニマルさ、シンプルさとは違う。シンプルという言葉がちょっと違うのかもしれないですね。「透き通ったデザイン」とでも言えばいいのかな。とても透明な感じがするんです。
針だけが青いところも気に入っています。なぜ青いのか不思議だったのですが、ある時計メーカーとお仕事をする機会があったとき、金属に絶妙な焼きを入れることで青を発色するのだと教えてもらいました。つまり、酸化させることで防錆していたのだと。これでひとつこの時計の謎が解けてしまいました(笑)。
他の腕時計を買おうとは思いません。身にまとう謎はこれだけで十分なので。(文/喜多見仁子、写真/田口純也)
本記事はデザイン誌「AXIS」208号「腕にまく未来。」(2020年12月号)からの転載です。