「そざいの魅力ラボ MOLp®(モル)」は、三井化学が約100年にわたって培ってきた素材や技術の魅力を再発見し、社会にシェアすることを目指すオープン・ラボラトリー活動である。有志が参加する部活動的なものだが、外部の企業やクリエイターとも積極的にコラボレーションし、制作したプロダクトを見本市などで展示発表するほか、一部販売も行ってきた。2015年にスタートしてから5年目を迎えた今年、世界中に新型コロナウイルスの感染が拡がるなか、彼らもまた現在と未来に向けて何ができるかを模索している。MOLp®の発案者である広報の松永有理と、参加メンバーでESG推進室の八木正に話を伺った。
商材の価値や魅力を伝えるために
松永がMOLp®を立ち上げようと考えたのは、2011年に広報部に着任したことが背景にあった。三井化学では、モビリティ、家電・情報機器、包装・印刷、ヘルスケア、建築・土木、農業など、多様な分野の製品に使用される原材料を研究開発している。だが、使用されている製品名を公表できないケースも多く、原材料はペレットや液体、ガスであることから、自社の商材の価値や魅力を人に「伝える」難しさを感じていた。
あるとき、書籍「デザインマネジメント」(日経BP)を読んで、デザインには色や形という意匠と、物語性のあるコンセプトを通じて人とコミュニケーションする機能があることを知る。商材の価値や魅力を伝える手段として有効だと思い、デザインの要素を取り入れ、ペレットや液体、ガスを可視化してコミュニケーションすることを考えた。そして、その本の共著のひとりである田子學をクリエイティブパートナーに迎え、2015年からMOLp®の活動をスタートさせた。
MOLp®では、部署を問わず有志の参加を募っている。三井化学の組織体制は縦割りで仕事が細分化されているため、担当以外の研究内容がわからないことも多いそうだが、この活動では他部署の人同士がコミュニケーションできる貴重な場になっている。また、会社が社会の中でどのような役割を果たし、何を目指しているのかを改めて皆で共有し、社内の意識を高めることも重要だと松永は考えていた。
活動は月に半日、業務時間内に行う。フリーディスカッションから始まり、議論を重ねるなかから課題が生まれ、それに必要な素材や技術に長けた研究者が集まり、自然とプロジェクトチームが生まれていくという。参加人数は計30人ほど、プロジェクトは同時に8つほど動いていて、常時、情報交換しながら別々に進んでいく。
クリエイターとの協働から引き出される
制作したプロダクトは、ミラノサローネやIFFT(インテリア ライフスタイル リビング)などのデザイン見本市で発表している。2018年に青山で開催した自社イベント「MOLpCafé(モルカフェ)」では、その後につながる多くの出会いが生まれた。同展では、調光(フォトクロミック)機能を持つ素材「SunSensorsTM」を用いて制作したボタンとバングルを発表した。それに興味を示したのが、素材やテクノロジーを駆使し、従来の概念を超える独創的な衣服を展開するANREALAGE(アンリアレイジ)のデザイナー、森永邦彦だった。
SunSensorsTMは、メガネレンズに使用されている素材で、室内では無色透明だが、屋外で太陽光に反応して色づき、眩しさや紫外線から目を保護する役割を果たす。三井化学はメガネレンズの世界トップシェアを誇るが、これまでフォトクロミックはメガネレンズにしか使用されず、一般の人にあまり認知されていない素材だった。
森永とのプロジェクトでは、この素材をボタンやアクセサリー、糸に応用して開発し、2019年春夏パリ・コレクションで発表された。モデルの服は、ランウェイを歩いている最中に黒から次第に色が薄くなり、最後には透明に変わる。時間の経過とともに変化し、多彩な表情を楽しめるファッションの新たなかたちを提示し、大きな反響を呼んだ。
さらに、このフォトクロミックを使用した服がLVMHグループ会長の目にとまり、2020-21年秋冬パリ・コレクションではANREALAGEとFENDIと三井化学のコラボレーションが実現し、キルティング素材に応用した服が発表された。
素材メーカーが社会に対して何ができるか
このような外部の人からの視点や発想によって、自社の素材や技術の新たな価値や魅力が引き出されるケースも多いという。TBWA/HAKUHODOチームとのプロジェクトもその一例だ。同社のクリエイティブディレクター、佐藤カズーの提案により、最初に三井化学が根底に持つ想いを掘り起こすことから始められた。
そのひとつに、社会貢献がある。素材メーカーという立場からどのような社会貢献できるかという議論を重ね、地球上で起きている問題や課題を洗い出し、数ある中から難民キャンプで脱水症状になり命を落とす乳児を救うためのプロダクトを開発することに決まった。それが栄養素を補給でき、携帯や保存、衛生面にも優れた「FASTAIDTM」である。液体と粉を別々の室に入れて、使用直前に軽く握ることで混合できる素材「ロック&ピール®」が使用されている。これも医療用点滴バッグなどにしか使用されていない技術だった。
2016年3月に開催された持続可能な人道支援のあり方を目指す「Humanitarian Innovation Forum Japan 2016」で、FASTAIDTMの実演プレゼンテーションをしたところ、コンセプトと商品の高いデザイン性が参加者に強いインパクトを与え、可能性を秘めた商品として注目を集めた。
このフォーラムを機に、災害支援イノベーション共創イニシアチブ「More Imapact(モア・インパクト)」が設立され、その活動に三井化学も参画。ESG推進室に所属しMOLp®のメンバーの八木が中心となり、彼らとともにFASTAIDTMのコンセプトを発展させて、災害時に向けた次亜塩素酸ナトリウムと圧縮タオルを2in1パッケージにした「FASTAIDTMウイルス・スウィーパータオル」を開発。コロナウイルスの感染拡大に伴い、衛生面に敏感になるなかで病院や介護施設、ホテル、乗り物などでの使用も想定されるほか、化粧品のような他分野での活用も期待されている。
少し先の未来に向けて
MOLp®では、今年も展示会などで新しいプロダクトを発表する予定だったが、コロナ感染拡大によりすべて中止された。一方で、三井化学の素材や技術は、さまざまな場面で活躍している。マスク用不織布やマスクの鼻部分に挿入されるテクノロート®(形状記憶プラスチック線材)、消毒液、消毒用ボトルなどである。さらに、この4月にはコロナ感染防止に向けて活動する医療従事者のためのガウン用不織布を月1,000万枚相当の量を生産する体制を国内に整えた。
「世の中が大きく変化し、今後さらに変わっていくなかでMOLp®の活動においても素材がどのように貢献していけるかを真摯に考えていきたい」と松永は言う。八木は「まだ生かしきれていない素材や技術が多数あり、埋もれている価値をさらに発見して新しい未来を切り開いていきたい」と語る。価値観が大きく揺れ動くなか、MOLp®メンバーらは現在、オンライン上でディスカッションし、思考を深めているところだという。社会貢献とデザインを軸に据えた彼らの次なるアイデアの発露に期待が高まる。
そざいの魅力ラボ MOLp®/「感性からカガクを考える」をテーマに、さまざまな素材のなかに眠っている機能的価値や感性的な魅力を、あらゆる感覚を駆使して再発見し、そのアイデアやヒントをこれからの社会のためにシェアしていく、三井化学グループのオープン・ラボラトリー活動。
松永有理(まつなが・ゆうり)/三井化学株式会社コーポレートコミュニケーション部広報グループ課長。2002年神戸大学経営学部卒業、同年、三井化学入社。食品パッケージなどの素材であるポリオレフィン樹脂の営業・マーケティングを経て、2011年6月より現職。主にPR業務や社長発信資料に加え、製品マーケティング支援を担当。2015年に「そざいの魅力ラボ MOLp®」を設立、B2B企業における新しいブランディング・PRを実践している。
八木正(やぎ・ただし)/三井化学株式会社ESG推進室。1990年、三井化学に入社。バイオマスプラスチックのマーケティングに携わり、新しい価値やエシカルな製品を世の中に問う「モノつくりからコトつくり」の大変さと重要さを痛感。2013年に当時のCSR部に移り、デザイン学校とのコラボを企画しデザインと化学・素材の可能性を感じる。またNPOとの対話による現場ニーズと化学メーカーのシーズの組み合せに可能性を感じ、東日本大震災で被災した南三陸町の復興に向けた共創活動、ならびにMOLp®での活動などを通じて、化学と素材の力で社会課題解決型の製品・サービスを提供し、役に立てないかを模索する。