【対談】BTCの視座から更新され続けるポケモンのビジョンとプロダクト。
Takram田川欣哉×ポケモン石原恒和

デザイン・イノベーションファームTakramの田川欣哉がナビゲーターとなり、ビジネス、テクノロジー、クリエイティブの3領域をつなぐトップランナーを迎える連載「BTCトークジャム」。今回のゲストは、ポケモン代表取締役社長の石原恒和さんです。




ポケモンのプロデュースとは

田川 石原さんは筑波大学の総合造形出身ですよね。メディアアートが盛り上がりつつあった時代だと思うのですが、クリエイターを目指して進学されたんですか?

石原 どの程度コンピュータが普及していたのかわからない、今から見たら原始時代みたいな話ですが、筑波大学の計算センターというところでビデオやコンピュータといったテクノロジーに接することでインスパイアされ、ものをつくることがいちばん面白かったんです。ただ、大学院のときの修了制作を最近見て自分でも驚いたんですが、クレジットにちゃんと「プロデューサー」って書いてあるんですね。

田川 その頃からプロデューサー志向だった。

石原 アーティストだと彫刻や絵画という作品は、すべて自分ひとりがやります。いろんな人に手伝ってもらってまとめ上げるプロダクトづくりには、どうしても編集者的だったり、あるいはプロデューサー的な立場が必要になる。やっぱり「プロダクトを目指したい、だからプロデューサーになろう」という考えがあったのを再確認しました。

田川 この連載で言っている「BTC」に当てはめると、社会に出てゲームプロデューサーの仕事を始められたときから、すでにビジネスも設計するし、コードは書くし、絵も描くしということだったんですよね。スタートアップの経営者の場合、最初は人もそんなにいないし、専門家も集まってこないから、やれることを全部、少人数でやり切っていく。産業的に未成熟な業界ほど、全部がなんとなく俯瞰でわかるようになるという話をよく聞きます。

▲石原さんの筑波大学での修了制作。画像処理プログラムやXYプロッターの制御アルゴリズムを用いて描画・印刷を施した冊子の奥付には「Producer: TSUNEKAZU ISHIHARA」の記載がある。

石原 今のゲーム制作の現場はもう40〜50人の単位で、必要とあれば200人といった巨大なプロダクション体制になっています。でも、昔のゲームづくりは本当に少ない人数から始まって、プログラムと音楽とか、絵とシナリオとか、役割分担しながら大体4〜5人でつくるイメージでした。そんな感じなので、ひとりが少なくともふたつ以上のことをできないといけなかったんです。

田川 今、会社にいらっしゃる方々は、どういうタイプの人たちですか。

石原 基本は「ポケモンを成長させるために必要な人たち」を集めています。映像であっても、グラフィカルなものであっても、プロダクトの商品設計でも、いろんな分野の人に関わってもらうことによって、ポケモンは成長できます。テクノロジーでも、マーケティングでも、さまざまな面で設計ができる人たちを呼びたいです。

田川 コーポレートサイトに「株式会社ポケモンは、ポケモンのプロデュースをする会社」と書かれていますね。プロデュースするということは、それぞれの領域をまたいで、行ったり来たりする必要があります。ポケモンという会社におけるクリエイティブとビジネスの間における関係はどういう感じでしょうか。

石原 私たちは「ポケモンという存在を通して、現実世界と仮想世界をともに豊かにする」という社是にとって必要なことをやります。だから、ポケモン以外のことはやらないんですね。さまざまな場面で上がった収益はすべてポケモンに再投資されます。マーケティングとクリエイティブが衝突するようなことはなく、できたものはもう1回そこに戻ってくるだけという感覚があります。ただ循環しているという感じで、「こっちは儲けないといけない」とか「こっちはいいものをつくらないといけない」という考えが、そもそもないんです。

▲石原恒和(いしはら・つねかず)/1957年三重県鳥羽市生まれ。83年筑波大学大学院芸術研究科修了。96年にポケモン関連商品の原点となった「ポケットモンスター 赤・緑」をプロデュースし、その後、ポケモンソフト全作品にプロデューサーとして携わる。98年ポケモンセンター(現・ポケモン)設立と同時に代表取締役社長に就任。ゲーム、カードゲーム、テレビアニメ、劇場映画など、ポケモン全体のブランドマネージメントを手がけている。

プロダクトが進化し続ける

田川 ポケモンのビジネスやクリエイティブのかたちは、テクノロジーが進化することで大きく変わると思います。最近の出来事として、アプリゲームの「ポケモンGO」はやはり大きかったと思うんですね。もともと石原さんご自身がテクノロジーにもクリエイティブにも通じていたので、新たなテクノロジーの変化を受け入れる素地があったと想像するのですが。

石原 ポケモンGOのプロジェクトが始まったのは2014年くらいでした。もともとグーグル内のスタートアップだったナイアンティックと始めて、途中で彼らはグーグルを辞めてスピンオフしてしまうのですが、それでも「つくり続けるから付き合ってほしい」という話をされました。途中、かなり難しい状況もクリアして2年くらいでかたちになり、16年にサービスがスタートできました。そこから現在に至るまで、ずっとプロジェクトが続いています。

田川 ポケモンGOのユーザーは、全世界でどれくらいいるんですか。

石原 10億ダウンロードを超えたところです。私から見ると、これまでのゲームソフトはプロダクトを完成させて、それが100万本、200万本と売れるのが基本的なビジネスの骨子だった。でも、ポケモンGOではプロダクトの完成形が納品されたのではなく、サービスをローンチした時点が開発のスタートとでも言うような。

ポケモンをただ捕まえるだけの時代からユーザーは付き合い始めてくれて、今はより豊かな遊びの世界に進化できている。最初の頃に出てきた地図やビジュアルとは「これ同じ商品ですか?」というくらいに今は違っていますし、ポケモンの種類も、いろんな機能も、どんどん進化を遂げていっています。単なるアップデートというよりは、もう根本的に変わってきているところもありますね。


▲東京・六本木ヒルズ内にあるポケモンのオフィス。サインや展示品など空間のいたるところでキャラクターを目にすることができる。

田川 僕も家族でプレイしていて、そう思います。

石原 ここまで進化させるロードマップは、16年の時点で確かに描いていたんですが、それを3年かけてちゃんと目標通りに遂げられた。これまでやってきたものづくりでは、最も画期的じゃないかな。つくりながら自分たちで変えていくわけですから。パッケージを完成させて、値段を付けて売っていた時代からすると、「よくぞこんなことをやれているな」という世界です。

その大元をつくったのがグーグルマップのチーム。位置情報を手に入れ、みんなが自分の場所を表示できるようになったら、地図は一段階、進化できる。さらに、それをいろんな人と共有したら、こんなサービスを生み出せる。あるいは、人が集まる仕組みをつくったら……という具合にビジョンが次々と広がっていき、そのプロダクトを進化させられる素地がある。こんなサービスを生み出せるチームは、そういないと思うんですよ。彼らと仕事ができたのが、すごく大きいことだったと思います。

田川 ポケモンGOは、ポケモンの皆さんとナイアンティックの皆さんが一体になったチームということですよね。

石原 そうです。毎週打ち合せをして「こういうサービスの中にこれを入れ込むと、こんな価値が生まれる」みたいな話を重ねていますから、本当に混成のチームでつくっています。




社会を変革する新たな力

田川 2年ほど前には、社内に「アート推進室」という部署を立ち上げられました。これはポケモンGOの成功も影響していたのでしょうが、会社として、社会に対する何か貢献のようなことをお考えになったと思うんです。テーマをアートに絞られた辺りにある種の思想を感じたのですが、そのことについてうかがいたいです。

石原 社会彫刻やメディアアート、あるいは世の中を変革する力としてのアートというものが実際にあると思うんです。でも、われわれが出品することもある文化庁メディア芸術祭などで見かけるメディアアートは、どうも狭いものに感じる。現代アートも、多くの人々に理解されたり、賞賛されたりしている一方で、ひじょうに尖った領域に関して特殊な価値が生まれるマニアックな芸術領域になっている気がします。

今、ある意味で大衆化を果たし、プロダクトとしての多様性を持ったポケモンという会社が、そういう尖った領域のものと手を結ぶことで生まれる破壊力というか、力みたいなものがきっとあるはずだと期待してアート推進室を始めました。しかも、ちょうどその世代のクリエイターたちがポケモンのことを知っている。彼らの側でも「ポケモンに関してだったら、自分は何かつくれる」というアーティストが意外とたくさんいた。

英国のロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)の学生や、彼らが学んでいるカリキュラムを見ていて思うのですが、これまでなかった領域に自分たちの進むべき道や価値があると思っている若い人が多い。そういう人たちは社会を変革していく力になると思います。われわれも、ポケモンを変革していくための力にしようと、アートの領域に関わりたいと思ったんです。

▲アート推進室は、アートとテクノロジーのコラボレーション事業やポケモンスカラシップを手がける部署。写真は昨年度採択されたRCAの奨学生2名で、2020年度もすでに2名が選出されている。ポケモン関連企業への訪問をはじめ、新たな才能との出会いや交流が期待される。

田川 アート推進室の立ち上げ当時、僕はRCAの客員教授をやっていたので、ディスカッションに招いていただきました。ポケモンというゲームには、初めはまだひ弱なモンスターを発見して、トレーナーと一緒にどんどん成長していき、最後はすごく活躍するモンスターになるというストーリーがある。アート作品やインスタレーションをポンとつくる単発型の取り組みもあり得ますが、アート推進室の活動自体が「モンスターを育てる」というポケモンのプロセスそのものであってもいい。デザインモンスターの卵たちを発見して、それを育てることで、彼らが10年後や20年後に活躍しているストーリーは面白いと思って、アイデアを交換したのを覚えています。

クルマの世界を見てみると、これから人工知能が入ってきてドライバーレスカーが主流になれば、これまでのカーデザインの思想や方法論は根底からひっくり返ります。RCAもそうですが、デザイン教育の場にそういう研究や教育をしてきた教員は少数です。自分たちが良しとしてきたことに頼らずに次の世代を教える、という現在の状態では、もう学生と一緒に考えるとか、感化されるという方法しかないのかもしれません。ポケモンをリアルタイムで遊んでいる世代と話すと、新しいことへチャレンジする姿勢に刺激をもらいます。


▲アメリカ人アーティスト Daniel Arsham(ダニエル・アーシャム)とのコラボレーションが実現した新作個展「Relics of Kanto Through Time at PARCO MUSEUM TOKYO」もアート推進室が中心となって進められたプロジェクト。本展は今年8月より開催予定。 ©Daniel Arsham Courtesy of NANZUKA / ©2020 Pokémon. TM, ®Nintendo. / Special Thanks to ArigaHitoshi and Kotobukiya Co., LTD.

石原 それまで絶対的だったもの、支配的だったものが、そうではなくなる現象を僕たちはたびたび目撃してきました。例えば、ケータイが生まれたことによって、従来の電話が「固定電話」と呼ばれる。あるいは、デジタル写真が生まれると、写真が「ケミカル写真」と言われる。電子辞書の誕生で「紙の辞書」という言葉が生まれました。これまでのものがオーバーテイクされていくとき、昔のものにちょっとした形容詞が付くんですね。

そういうふうに自分たちのプロダクトを振り返ると、ポケモンGOによって相対化されたものは何だろうと。ひょっとしたら、これまでのゲームは「ゲーム専用機のための販売地域限定ソフト」と思ったほうがいいかもしれません。今までやってきたものが正しいとは限らないということが、どんどん生まれている気がしています。自分たちが歩んできたものと、後から来て追い越したものの関係をちゃんと捉え、それらをどちらへ向かって成長させていくのかを見据えて、新たなビジョンを構築していかないといけませんね。End


▲田川欣哉(たがわ・きんや)/1976年生まれ。Takram代表。東京大学機械情報工学科卒業。ハードウェア、ソフトウェアからインタラクティブアートまで、幅広い分野に精通するデザインエンジニア。英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート名誉フェロー。

ーー世界中で長く愛されてきたポケモン、そして、この数年のポケモンGOの成功には目覚ましいものがあります。その背景には、ビジネス・テクノロジー・クリエイティビティの3つを深く理解する石原さんの思考や経験が大きく作用しています。その起点は筑波大時代にすでに芽生えていたようです。BTC型経営者のロールモデルとしての石原さんから学べることは、とても多いと感じました。(田川)




写真/井上佐由紀




本記事はデザイン誌「AXIS」202号「クルマ2030」(2019年12月号)からの転載です。