REPORT | フード・食
2019.11.22 15:15
アーティストで料理人の岩間朝子さんはオラファー・エリアソンのスタジオで10年間、日々80人分もの料理を提供してきた経験を持つ。アクシスギャラリーは2019年11月2日(土)に、ベルリンを拠点とし、現在はオランダで滞在制作をしている岩間さんを招いたワークショップを開催した。
テーマは「Foraging ―マーストリヒトでハマナスの実を採集する」。23名の参加者とともに、岩間さんがこの夏オランダで採集したハマナスのローズヒップや日本の秋の食材を調理しながら「食べること」や「食べられること」、そして普段何気なく口にしている「食材」について、さまざまな問いを交わし合った。
この日のメニューは「栗のクリーム フロマージュ ブラン ローズヒップピュレ」。25名が着席した大きなテーブルには、皮ごと茹でた3キロ分の栗と菩提樹(リンデン)のお茶がサーブされていた。ヨーロッパではよく飲まれているお茶で、利尿作用や発汗作用があり、風邪を引いたときなどにも飲まれるという。「カモミールティーよりもマイルドな感じがしてとても好きなお茶」と岩間さん。
ワークショップはまず、6-7月頃に咲くという菩提樹の花の写真をはじめとする食材に纏わる写真を見ながら「フォーレッジ」について知り、共有することから始まった。
自然から採るということ
ハマナスというバラ科バラ属の花からローズヒップ(実のようだが実際は偽果と呼ばれるもの)が採れることをご存知だろうか。今回のワークショップのために、オランダのマーストリヒトで採集したローズヒップからつくったピュレを持参した岩間さん。そもそもハマナスに関心を持ったのには理由があると言う。現在、マーストリヒトにあるアーティストインレジデンスに滞在中の岩間さんは、自身の制作テーマとして日本とオランダの関係性に着目。鎖国時代の日本に往来したオランダ東インド会社の植物学者のうちのひとりであるカール・ツンベルクが命名したのがRosa rugosa(ローサ・ルゴッサ)という学名のハマナスであり、のちに来日したシーボルトがハマナスをヨーロッパに持ち帰ったことを知った。
今ではヨーロッパで自生しているハマナスのローズヒップを、この夏岩間さんは6キロほど採集した。場所の特定を手伝ったのは岩間さんと同じレジデンスで制作しているパレスチナ人のアーティストだったという。彼もまた、シーボルトが日本から持ち帰った植物で、現在はヨーロッパにおける侵略種として在来種を脅かすイタドリについてリサーチしていたため植生に詳しかったのだ、と岩間さんは説明する。
採集はちょうどオランダを訪れていた岩間さんのお母さんを含め、家族総出で行われた。採集したローズヒップが食べられるようになるまでにはさらに時間と手間が掛かるのだそうだ。「やるなかでとても面倒な作業だということがわかった」と岩間さんは語る。果肉が硬いときに作業しないと種が取りずらくなってしまうのに加え、種の周りに細かい毛が生えていてチクチクと指を刺すのだ。
今回のワークショップではその「面倒な作業」である栗の皮むきから参加者と一緒に行った。岩間さんは「野菜を例に取っても品種改良されていて、食べやすくなっている。一方、山菜は灰汁があるので食べられる状態にするまですごく時間が掛かる。何かを採って食べられるようにするということは手が掛かるということを今日はまず考えてみたい」と語りかける。
食をめぐる私たちの問題意識
それぞれのテーブルにはペティナイフが置かれ、参加者は早速作業に取り掛かった。この日の栗は岩間さんが茨城県かすみがうら市にある自然農の「ショコロンファーム 市ノ澤栗園」から購入した岸根という種類のものだ。岩間さんは「栗は縄文時代から日本で食べられてきた大切な炭水化物源だった」と日本の秋の食材として栗を選んだ理由を話す。
また、栗は落ちたものを採集するがその時点では甘みがあまり強くないため、購入して1週間ほど乾いた新聞紙で包んで穴を開けたビニール袋に入れ、冷蔵庫で保管したものを使用した。栗は湯がく前に一筋の切れ込みを皮に入れることで皮が剥きやすくなる。とはいえ、小さくて滑りやすい栗の皮を剥くのには手間が掛かるもの。参加者同士で会話を楽しみながらひとつずつ剥いていったものを、今度はバニラシードを少々加えた牛乳でひたひたにして40分ほど煮つめていく。
煮込むタイミングでその日2杯目のお茶であるバラの蕾のお茶がサーブされ、参加者の自己紹介が始まった。この日参加していたのはデザイナー、スタイリスト、主婦、編集者、食関係者、美術関係者、建築家など。ひと通り自己紹介を終えると、やがてそれぞれが日々の食生活で感じている違和感について自然と意見が交わされた。
「スーパーの野菜や果物が工業製品に見えること」や「料理離れ」について話す人や「オーガニック食品の価格の高さ」を指摘する人に対し、岩間さんはどれも深刻な問題として捉えつつも「そもそも栄養素とは何なのだろう」と問いかける。われわれが栄養だと信じて積極的に摂取している食べ物は、ともすると、時代や製薬会社の企みに左右されるものでもあることは知っておくべきだろう。
「食の安全の根本的解決には行政への働きかけが不可欠」と話したのはオーガニック大国として知られるオーストラリアに暮らす参加者。岩間さんは「食について語るとき政治は必ず関わるもの」、「今の日本社会は自分たちが口にする食べ物の知識を得るための時間を取るのも難しい。いかに時間に余裕のある生き方ができるかを考えたとき、根底にある労働の仕組みを変える話につながることは必須」と話す。
また、東京都内でも街中に食べられる植物は結構あるという参加者の話を受けて、「もっと食べられる植物があってもいい」としつつ、多くの人が自己採集をするようになったときにパブリックとプライベートの境界線がどこに引かれるのかという問題に直面するだろうと言及。自然にあるものを採るとき、どこまでなら採って良くてどこからはダメなのか。採集する側の欲望や、行政がその境界線をどう見定めるかということが明らかになっていくにつれて、街との関係性も変わっていくだろう、と岩間さんは語る。
別の参加者からは時間を短縮し工程を簡単にすることで時間を生むことを目指した「時産」という言葉がこのところよく聞かれるという話も上がった。岩間さんが、「玄米と炒った胡麻や納豆などのシンプルなご飯でいいと常々思っている。品数を用意するのではなく、気に入った味噌があれば良し。自炊をプレッシャーに感じる必要はなく、その程度でいいのでは」と話すと安堵の声が会場に広がる場面もあった。
取り入れる・取り込まれること
「岩間さんにとって食べることとは?」と質問された際、「抽象度を上げて、取り入れる・取り込まれることが何かということをアーティストとして考えている」と答えた岩間さん。オラファーのスタジオで働いた経験は自身の作家活動に大きく影響していると言う。「スタジオにはたくさんの人がいて、ひとりひとりが創造的なアーティスト。彼らのインスピレーションやアイデアがどのようにオラファーに吸収され、作品になっていくのかがとても興味深かった。私にはそれもある種『食べられる』ことのように感じられた。資本主義の仕組みにはそういう要素がすごくある」。アートもまた、あらゆるものを取り込む側面があることを自身の制作を通して見ていきたい、と岩間さんは語る。
会場からはオラファーのスタジオでのメニューについても多く質問が投げかけられた。岩間さんは「Studio Olafur Eliasson The Kitchen」(美術出版社)のなかで「自分の体が発するシグナルに耳を傾ける」と語っているが、忙しい日常を送るなかでどのようにそれを実行できるのだろうか。改めて質問したところ、「『なんだか心地悪いな』と感じたことに敏感になること、なぜなのかを観察することが自分の体のリズムを知っていくことになるのではないかと思っている」と教えてくれた。
「誰でも朝起きたときに調子悪いことがあります。そういうときは温かいもの食べたいなとか、もったりした感じではないコンソメ風のスープにしようとか、酸味のあるものが食べたいなと思ったらそれと合うコンビネーションはなんだろうと考える。まず自分の日常のなかで何が過多になっているのかを探り、それをいかにシンプルにできるか考えます」。
濃密な質疑応答ののち、牛乳と煮た栗が十分に混ざり合い柔らかくなったところでブレンダーにかけ、香り高い栗のペーストができあがった。ここから全員でワークショップ最後の仕上げに取り掛かった。岩間さんが用意したドイツのヴィンテージのお皿の上に、ポテトマッシャーで押し出した栗のペーストを盛り付ける。その上にしっかり水を切ったヨーグルトを乗せ、お好みで甘酸っぱいローズヒップのピュレと和三盆を合わせれば完成だ。
今回のワークショップでは食材に纏わる個々のストーリーを聞きながら手を動かし食したわけだが、それだけでもただ材料を買い揃えて同様の体験をするのとは異なる問いを自分自身に投げかけることができたと感じた。自然にあるものの一部を採集し、それを食べられるように手を掛け、遂に美味しく食すことができるということ。資本主義社会における「自分のもの」「自然のもの」「公共のもの」といった区分の難しさについて。実際に自己採集をしてみることで気づくことがまだまだあるかもしれない。
盛り付けを終えた参加者が着席し、その日最後のお茶であるセイロンティーがサーブされ、各々持参したスプーンで存分に秋を味わったところで会は締めくくられた。
(Photos by Kaori Nishida)