INTERVIEW | カルチャー / 建築
2019.10.29 17:50
歴史を感じさせる趣とヒューマンスケールの街並みを、現在に受け継ぐ群馬県前橋。その魅力に着目したプロジェクトが同時進行するこの都市で、白井屋(しろいや)というホテルのリノベーションが進んでいる。建築を手がける藤本壮介と、街づくりを牽引するジンズ創業者の田中 仁が、このホテルの背景とこれから担っていく意義を語り合う。
街づくりのビジョンをホテルに反映させる
ーー前橋とはどんな都市ですか?
田中 仁 この街に改めて関わるようになった7年ほど前、前橋の地価は県庁所在地のなかで最下位を争う状態でした。隣の高崎とは違い新幹線が通らなかったこともあり、よくここまで放っておいたなと思うほど開発が手つかずだったんです。しかし高いビルがあまりなく、半径4~500mのヒューマンスケールの街があり、地域全体では34万人という人口を抱えている。商売人の勘で、これは何とかできるという気がしました。その頃、創業300年という歴史ある旅館で、昭和50年代にホテルに改築したものの廃業していた白井屋が売りに出され、跡地にマンションが建設されるかもしれないという話を聞きました。何とかその建物を残したいと思い購入し、藤本さんにリノベーションを依頼したのです。
藤本壮介 リノベーションについては、田中さんから特に具体的な要望があったわけではなく、一緒に話し合いながら徐々に形になったという感じです。普通の4階建てのRC造で、建築的に大きな特徴はありません。そこで建物そのものは受け継ぎながら、床や天井を大胆に最上部まで抜いて、自然光の入る大きな吹き抜けをつくることにしました。当然、部屋数も床面積も減りますが、そんなダイナミックな空間を前橋のリビングルームにしたいというのが当初の考え。そこから出発して、全体のコンセプトがどんどん膨らんでいきました。
田中 ホテルをつくるのと並行して、それだけでは人は集まらないという話になり、街としての方向性を示すビジョンを策定することにしたのです。それまでの前橋は、市長が2期8年で交代し、一貫した街づくりができていなかった。そこで田中仁財団が費用の大半を負担して、ミュンヘンのコンサルティングファームKMS TEAMにビジョンの策定を依頼しました。KMSによる市民へのインタビューやアンケートに基づき、「Where good things grow」という前橋ビジョンができ上がり、さらに前橋出身の糸井重里さんがボランティアでその日本語のキャッチコピーを考えてくれました。それが「めぶく。」です。
藤本 途中で「めぶく。」というビジョンができ上がったことで、ホテルのコンセプトも明確になっていきました。白井屋の敷地は面白くて、ファサードは国道に面していますが、裏側には馬場川が流れ、川沿いに雰囲気のいい道があって、その道が市立の現代美術館アーツ前橋へ通じています。周囲の敷地が確保できることになり、建物の裏側を人が通り抜けられる、緑溢れる丘のような場所にしようと決めました。
田中 時間に追われるプロジェクトではなかったので、状況の変化を反映させながら、その場その場で判断をしていきました。1カ月に1回の打ち合わせを重ねながら、藤本さんのアイデアもどんどんアップデートしていった。
藤本 建築で街並みをつくるよりも、突然、緑の丘が現れて、ちょっとした異世界になっているのは面白い。また「前橋を森にしたい」という話も途中から出てきて、それにも合っていました。
ジャスパー・モリソンら外部デザイナーの参加
田中 ジンズでは以前から、予防医学博士の石川善樹さんを中心に人間の心理を研究しています。そのなかで、リラックスするためには適度に五感を刺激することが重要であり、森の環境はあらゆる面で人にいい影響を与えることを知りました。現在はあらゆるものがデジタル化したストレスの多い社会なので、街全体に緑を増やして森のような都市が生まれたら、唯一無二の魅力になります。ただし、街のデザインやそのコンセプト、「めぶく。」というビジョンにしても、目に見える形でないとなかなか一般には理解されにくい。白井屋というホテルは、その象徴になっていくわけです。
藤本 象徴であり、プラットフォームですね。最初にホテルの1階を街のリビングルームにしたいと言いましたが、地元の人の行きつけになり、この街を訪れる人にとっては新鮮な場所になってほしい。人々が出会って刺激を受け合う場所です。そのためにはやっぱり新築ではなく、リノベーションのほうが望ましい。以前から前橋にあったものが、実は大きな価値を持っていたということは、誰にとっても驚きになります。ただし空間をかなり贅沢に使っているので、床面積という意味での採算を超えた発想が必要になってくる。
田中 このホテルだけで採算を取ろうとは考えていません。ホテルはひとつのフックであり、これから街に人が集まるきっかけになる場と位置づけています。だから細かい計算は途中からしなくなりました。最初に白井屋のことを、ラグジュアリーホテルを手がける企業に相談したときは、ホテルとは人がたくさん集まる場所に求められてつくるものであって、その逆はあり得ないと言われました。その逆をあえてやっているわけです。
ーージャスパー・モリソンやミケーレ・デ・ルッキがホテルの客室をデザインしたり、アーティストのレアンドロ・エルリッヒの作品もあるそうですが。
田中 以前から仕事などで付き合いがある3人です。このホテルのことを話し、採算が取れないけれど頑張っていることを伝えたら、お金の心配はいらないからデザインしたいと言われました。特にジャスパー・モリソンは、そのためにヒノキのお風呂や家具も新たにデザインしてくれています。
藤本 こうして他のデザイナーと一緒に仕事ができるのは、僕にとっても嬉しいことです。先ほどのリビングルームの話とも共通しますが、僕らは建築を大きな枠組みとして捉えて、他者が関わることでいっそう引き立つものだと考えています。ホテルはいったん完成すると、いろんな人がそれぞれに利用する場所。だから何かを押し付けるのではなく、何でも受け止めて、受け入れて、そこから生まれていく物事を楽しみたい。彼らの部屋はパーソナルな思いが込められていて、ホテルがさらに生き生きしてくるようなイメージです。
田中 ジャスパーもミケーレも前橋まで来てくれました。ジャスパーは、何より自分が泊まりたい部屋をデザインしたと言っていましたが、それは彼らに共通するアプローチではないでしょうか。またホテルの1階に入るテナントも、地元で何かやりたいという若い世代から選んでいます。そのなかには、私がこの地域で7年前に始めた群馬イノベーションスクールで学んだ起業家もいる。そういう意味では、街づくりも、ホテルも、スクールもすべてつながっているんです。
藤本 このプロジェクト自体が、田中さんのキャラクターもあって、いろんなものに巻き込まれていく感じ。そのプロセスの楽しさが開業後も続いて、ホテルを起点に巻き込んだり巻き込まれたりしていくといいですね。こうしたシナジーによってパワーを増していくのも、建築の存在意義だと思います。
田中 確立した戦略のもとでこれだけやればいいという考え方を、私は仕事のなかでしていません。朝令暮改と言われるとしても、いいアイデアが生まれたら、状況が許す限りすぐに変えるほうがいいはずです。
ホテルが可視化する数値化できない魅力
ーー以前、田中さんは、前橋をデザイン都市として発展させたいと話していました。
田中 現在はそれもさらに発展して、人々のウェルビーイングを実現する「ウェルデザインシティ前橋」という表現を使っています。誰もが人間らしい幸せを実感しながら働き、学び、暮らすイメージです。そのバランスがとれた街を目指しています。
藤本 前橋を実際に歩いてみると、街のスケール感がそんな考え方にとても合っているのがわかります。街全体がヒューマンスケールに基づいていて、歩いて巡れるエリアに豊かさが凝縮している。歴史を感じるスポットも多くありますが、威圧感がないから疲れない。
田中 そういった魅力を生かして、前橋ならではのライフスタイルをつくっていきたいんです。都市を発展させるために、従来のようなコンクリートジャングルにするのではなく、グリーン&リラックスを前面に打ち出す。それが最も実感できる場所として、白井屋があるのです。
藤本 京都のように歴史のある都市でなくても、日本のそれぞれの街で歴史や個性が積み重なってきたはずです。しかし再開発によって歴史が切断されてしまうことが多い。前橋にはそれが残っていたから、丁寧に良さを見つけながら、未来に渡していくことができる。
田中 前橋の街づくりが進むなかで、建築は何もないところにゼロからでき上がるよりも、歴史のある場所にポツポツとできていくほうが面白いのだとわかりました。時間の蓄積はつくれないものなんですね。
藤本 その時間の蓄積が、まさにヘリテージなんだと思います。歴史的建造物はもちろんヘリテージですが、言葉にならない居心地やスケール感の良さはヘリテージとして可視化されにくい。これは数値化されないポテンシャルです。住んでいる人にとって街の最大の魅力はそこで、その魅力は建築によって可視化できると考えています。
田中 白井屋も、すでにあった街の動線を生かしながら、新しい動線を加えるような作業になっています。
藤本 がっちりとした建築に歴史的なものが残っているヨーロッパとは違うところです。建築ががっちりしていると、そこに何かを付け足すようなアプローチになる。前橋の場合は、ふわっとしているけれど確かに存在する都市の営みが根本にあります。建築家として白井屋のプロジェクトがとても面白いのは、ホテルのリノベーションでありながら、都市に関与できること。ホテルと都市がつながっているから、従来のような都市計画とは違う手法で、建築と都市の両方を行き来しながら変化が実感できる。とても得難い体験です。
本記事はデザイン誌「AXIS」201号「ホテル、その新しい潮流」(2019年10月号)からの転載です。