音をデザインするアーティスト、スズキユウリ。
日本人初のペンタグラムパートナーになった理由(前編)

昨年末、世界的なデザイン事務所ペンタグラムの日本人初のパートナーになったスズキユウリ。長く英国に暮らす彼に誘われて、ロンドンにあるぺンタグラムオフィスを訪れると、9月14日に始まったロンドン・デザイン・フェスティバルを皮切りに、相次いで作品を公開するという。「音のアーティスト」と呼ばれて久しいスズキだが、ペンタグラムでの役割とともに、その活動はどこか謎に包まれてもいる。彼へのインタビューを通じて、その謎を解き明かしていく。

音楽活動がデザインのきっかけ

アーティストやデザイナーとして活躍する以前は、音楽活動をされていましたよね。

僕が通った和光高校は学生たちの音楽活動が有名で、卒業生のなかには小沢健二やコーネリアスもいたりして、クラスの4分の1がバンドをやっているような感じでした。僕は当時、明和電機が好きでコピーバンドをしていたんですが、そのためには自分で楽器をつくるところから始めなければならない。DIYをしながらバンド活動をしていると、明和電機のふたりが興味を持ってくれ、気づいたら5年間も一緒に活動していたわけです。

ロンドンに来たきっかけは?

ロンドンのセルフリッジが「Tokyo Life」(2001年)という日本のカルチャー・プロモーション・イベントをやったとき、明和電機としてパフォーマンスをしました。観客には、当時、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)のコンピュータ・リレイティッド・デザイン学科(後のデザイン・インタラクション学科)の出身で時計デザイナーとして有名なクリスピン・ジョーンズや、グラフィックデザイン集団のアバケがいたりして、彼らが明和電機の工房に遊びに来てくれるようになった。こんな面白い人たちがいるロンドンで、ぜひ勉強したいと思ったのです。

▲明和電機による、セルフリッジでの「Tokyo Life」の演奏風景

RCAでは、アンソニー・ダン教授率いるインタラクション・デザイン学科で学んだのですか。

皆さん、そう思っているようですが、実はデザイン・プロダクト学科卒です。その昔、イッセイミヤケの東京・代々木上原のギャラリーで展示されていたRCA卒業生の作品を見て、心を打たれました。当時、トニーはデザイン・プロダクト学科にプラットフォームを持っていて、僕もそこで勉強したかったのですが、彼はすでに別の学科に移っていた。そこで、トニーの学科の正式な学生ではありませんでしたが、彼の教室に席をもらって課題もこなし、この学科の卒業集合写真に加わるほど入り込んでいました(笑)。他学科に傾倒していた僕ですが、2年生のとき、デザイン・プロダクト学科の担当教諭がサム・ヘクトになり、突如、プロダクトへの造詣が深まっていったのです。卒業制作の一環でつくった色で音を奏でる玩具は、改良を重ねて「カラー・チェイサー」(2010年)という作品になり、今でも美術館などで展示しています。

▲Fingerplayer(2008)RCA在学中の作品より

▲Prepared Turntable(2008)RCA在学中の作品より ©Toru Nagahama

▲Colour Chaser(2010) ©Hitomi Kai Yoda

Colour Chaser 2010 from Yuri Suzuki on Vimeo.

不況から始まったアーティスト活動

卒業後はどうしたのでしょうか。

2008年は景気が急下降した時期でした。在学中はいくつも仕事の話が来て、現地のデジタル系企業に内定が決まっていましたが、就労ビザの手続き中にダメになり、結局、すべての仕事の依頼がポシャってしまった。卒業早々、自分でアーティスト活動をするしかなかったのです。

スウェーデンのティーンエイジエンジニアリングでも働いていましたよね。

2010年です。たまたまスウェーデン滞在中にティーンエイジエンジニアリングのサイトを見た友人から、製品が僕の作品と似ていると指摘されたんです。ちょっと会社にメールを送ったら、すぐに遊びに来いと言われました。ここではものづくりのプロセスを実地で学べましたが、1年半で退職し、ロンドンに舞い戻りました。ナイトライフのないストックホルムの生活は、僕には耐えられなかった。英国に帰国した2012年は、しばらくアバケの事務所を間借りし、DIY楽器「OTOTO」をクラウドファンディングで製品化しました。MoMAのパーマネントコレクションにも選ばれたのですが、やはり会社経営は厳しかったですね。


▲OTOTO(2013-2014) ©Dentaku

Ototo from Yuri Suzuki on Vimeo.

音のデザインからエクスペリエンスを生み出す

2013年に自身のスタジオを設立して、RCAで教鞭をとり始めましたが、その際、授業にミュージシャンのwill.i.amを呼んだと聞いています。

在学中、良い意味でのサプライズがたくさんあり、それを僕の学生にも体験してほしかったんです。will.i.amの楽器を制作した縁で、公私にわたって親交もありました。彼は何時間も学生たちの作品を講評してくれました。

▲Pyramidi(2014) ©Akio Fukushima

The Pyramidi from Yuri Suzuki on Vimeo.

2016年は、スワロフスキー・デザイナーズ・オブ・ザ・フューチャーを受賞。翌年は、ミラノサローネでアウディの大規模なインスタレーションを手がけるなど、一挙に名前が知れ渡りました。

企業のインスタレーションは、展示空間を通じて企業理念を表現するのが目的になります。けれど、僕に仕事を依頼する企業は、あえてコーポレート色を押し出さず、与えられたキーワードをいかに抽象的に表現するかを求めている気がします。つまり、アート作品を通してキャンペーンを行いたいという意図を汲み取るのです。アウディのインスタレーション「ソニック・ペンジュラム」は、この好例でした。ミラノサローネを行き交う人は皆忙しく、一カ所にせいぜい10分程度しかとどまることができません。僕は、純粋に観客がホッとくつろげる環境をつくりたいと思ったのです。僕はアウディの掲げる人とAIの穏やかな信頼関係を描きたかった。

▲Sharevari(2016) スワロフスキー・デザイナーズ・オブ・ザ・フューチャー受賞作品 ©Dennis Lo

▲Sonic Pendulum(2017) ©Yuri Suzuki

ユウリさんのことを「音をデザインするアーティスト」と思っている人が多いのではないですか。

全く異論はありません。以前、詩人の谷川俊太郎さんとコラボレーションをしたことがあるのですが、谷川さんは脳学者と対話された際、人の脳は文字を音に変換するから伝わると聞き、「詩の朗読」に力を入れるようになったと言われていました。AlexaやSiriの開発により、近年、ボイスコミュニケーションの重要性は認知されていますが、視覚や味覚といった他の感覚からすると、まだまだ遅れていると思います。そろそろ、音のコミュニケーションについて、皆で真剣に考察する時期を迎えているのではないでしょうか。End

ーー後編に続きます。

スズキユウリ/1980年東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業。ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)ではデザイン・プロダクト学科で修士取得。音とエクスペリエンスをデザインするアーティストとして、インスタレーションからインタラクション、プロダクトと多彩な活動で知られる。デザインマイアミでは、デザイン・オブ・ザ・フューチャー受賞。MoMA、テートギャラリーなど、世界の名だたるミュージアムやフェスティバルで作品を発表。2018年にはペンタグラムのパートナーに就任。現在ロンドンで活動中。
http://yurisuzuki.com