各分野の豊富な知見や知識がある人のもとを訪ね、多様な思考に触れつつ学びを得る「Perspectives」。今回は、1989年に台北に誕生し、この地の文化醸成を牽引してきた誠品書店へ。誠品グループは、この30年間で事業を多角化。2015年には誠品行旅(eslite hotel)というホテル事業にも乗り出した。ソニーのデザイナー福田 玲さんが誠品行旅を訪ね、誠品グループの董事長、マーシー・ウー(呉旻潔)さんと支配人、トニー・ワン(王本仁)さんに、ホテルの背景や活動について尋ねた。
全方位に文化を拡張する誠品グループ
30年前に開店した書店を起点に、事業領域を拡大している誠品グループ。今では書店に加え、飲食店、映画館や画廊といったさまざまな文化施設を要するまでになった。2019年9月には、東京・日本橋に新しいショップを構え、日本初出店を果たすこともあり、注目を集めている。
2015年にできた「誠品行旅」は全104室。そのうち15階にあるライブラリー・スイートは5室のみだ。その1室、182㎡の落ち着きのある空間には、書架に100冊以上の本が並ぶ。ごく身近に本がある様は、誠品グループが考える暮らしのあるべき姿であり、創業者の故・ロバート・ウー(呉清友)さんが最も好んだのもこの部屋だった。
全方位に拡張する文化的な事業領域の中心には、常に本があった。本こそが、誠品グループのアイデンティティであり、読書という体験を通じて文化を発信することは、創業から今に至るまで変わらない。創業者の娘で、誠品グループの董事長を務めるマーシー・ウーさんは、「本をインテリアの一部のように扱っているショップなどもありますが、誠品はそうではありません。どの1冊も飾りではなく、本は、読むことによって初めて命が宿るもの。生きた読書を広めることが、私たちの変わらない使命です」と言う。
台湾では1987年まで、38年にわたって戒厳令が敷かれた。徹底した言論統制が行われ、映画や雑誌の輸入は固く禁じられた。戒厳令解除の2年後にできた誠品書店。きっかけは、創業者が人生を考え直したことにある。重病から回復した39歳で人生の再スタートを切るにあたり、多くの人が心も体もやすらかに過ごせる文化の場をつくりたい。読書を広め、人や台湾という土地への関心を深めていきたいとの考えを、書店に重ねた。
ここにしかない体験を提供するには?
ソニーの福田 玲さんは、新しい体験や空間をデザインするプロジェクトに携わっている。2019年、東京・京橋にオープンしたホテル「an/other TOKYO」のフロントスペースへのデジタルサイネージ導入では、プロジェクトをマネージした。ソニーが2018年のミラノ・デザインウィークで発表した、人に寄り添うテクノロジーのあり方を示したインスタレーション「HIDDEN SENSES」に共感したan/other TOKYOがソニーに声をかけ、宿泊客のインタラクティブな体験を共につくり上げた。
福田さんは、「プロジェクターなどの機器単体だけではなく、その空間らしい体験をいかに提供できるかを常に考えています。お客様に提供するべき新たな体験を考え、それに適したデザイン、テクノロジー、コンテンツを組み合わせることで、ビジネスを拡張していきます」と語る。
誠品行旅は、館内にとどまらず、街とつながる体験も重視する。立地は、松山空港からタクシーで10分ほど。1937年設立の歴史あるタバコ工場をリノベーションし、さまざまなショップやギャラリーが軒を連ねる、台湾文化の今が集積した松山文創園區内にある。創業者はこの地に、台湾独自のホテルがあるべきと考えた。
いずれにしても、体験の要になっているのは、多様な文化の影響を受け、包容力を備えた台湾人気質のサービスだ。支配人のトニー・ワンさんは、「スタッフにいつも伝えているのは、自分がこの場所のホストと思うように。そうすることで、長く思い出に残るような体験を提供できれば」と言う。
必ずしも、消費を伴わなくてもいいとさえ考える誠品グループ。「まずは自分たちがやりたいことを具現化して、形にできてから、どうやって続けていくかを考えます」とウーさん。誠品書店の床に座り本を読む人々の姿は、創業以来続く光景だ。事業性ではなく文化や体験に軸足を置き続けているからこそ、さまざまな街に文化の循環をもたらし、ホテルに限らず、さまざまな領域で横断的な価値の創出が可能になっている。(文/廣川淳哉、写真/五十嵐絢哉)
もうひとつの「Perspectives」ストーリーでは、マーシー・ウーさんとトニー・ワンさんとのお話をきっかけに、場の体験について思いを巡らせた福田さんが、その考えを語ります。Sony Design Websiteをご覧ください。