前編では、一般の人には聞き慣れない「地場問屋」という立場があるということを、ざっくりご説明した。そのなかで木曽の地場問屋である「山一」の柴原社長と知り合い、普通の地場問屋らしからぬ山一さんの仕事に興味を抱いていたことに触れた。後編は今年5月に山一さんと訪ねた木曽の工房巡りについて書きたい。
普段は東京事務所にいる山一の柴原社長としては、木曽に行くのは「ちょっと距離のある通勤」という感覚らしいが、こちらとしては300キロの移動中にすっかり旅行気分。高速を降り、一気に、「里山」の気配を感じる景色になる。
最初に向ったのは“曲げ物”の工房。中華せいろ、和せいろ、弁当箱をつくる技術を持つ、今では珍しい工房だ。工房では、ひっそりと親子3人で作業を進めている。
「僕ら、手を動かしてなんぼですから、申し訳ないですが、あんまり露出したくないんですよね」とのこと。そんな職人さんに仕事に集中させてあげるのも地場問屋の仕事。“問屋は自分の持ち駒を取られないように、つくり手を隠している”と、思われるかもしれないが、そうではない(商売上、そういう場合ももちろんあるが)。前回述べたように、つくり手にとっても「話の分かる相手と、精神的ストレスなく仕事する」のが有り難いのだ。もちろん、適度に外部の人間に会うことはつくり手にとってもよい刺激になる。山一さんはタイミングを見ながら、雑誌の取材を受けたり、実際にモノを販売する人間を連れていく。
早朝に東京を出て、最初の工房見学を終えると昼になっていた。昼食は、歴史ある割烹旅館・上見屋の味をいただける、食事処「とこわか」を案内してもらう。山一さんの「この土地を好きになってもらいたい」という気持ちが、紹介する店で伝わる。
お昼を済ませ、次は材料を採る現場へ。“産地とか地場産業がカッコいい”と言われて久しいが、その土地で採れる原料を生かしている産業は案外少ない。しかし、素材がなければものはつくれない。向かった先は林野庁の森林管理署の貯木場。十数本から100本以上まとまった丸太の脇に添付された入札表のざっくりとした読み方や木曽の木々の植生、戦後、天然林は乱伐され、今は保護され伐採が禁止されている森林もあるとのこと。結果、市場に出回るのは人工林材が中心であることなどを教わる。
車で走れば木々が途切れることがなく、そのなかに工房や貯木場を見ると、この土地の人が、先祖代々から受け継いだ財産を生かしながら生きていることが実感できた。単に、つくっている現場を見せるだけでなく、素材まで見てもらおう、という山一さんの精神も勉強させられた。
この後、“量産工場”と呼ばれる、ややオートメーションの桶製造工場に向かう。そこではこの道何十年のパートの女性を含め、それぞれ、自分の持ち場をしっかり守っている。“量産”という言葉を“安易につくられている”と理解する人もいるが、効率よくつくることで、質よく手に入りやすい値段で、世に出すのも産地の仕事。高級品ばかりでは、市場に広がらない。そして、山一さんは、工場の効率を上げるのを手助けするのも問屋の仕事、と考えているのだ。
山一の柴原社長とのある会話が印象に残っている。柴原社長はそのとき、愛知の機械メーカーに向かっていた。目的を聞くと「私のようなモノづくりができない人間は、職人さんの仕事の効率が上がるようにバックアップするのも大切な仕事です。機械の力を借りることは、手工業の成熟を図ることだと考えています。木工機械も日々、進歩していますから、信頼できる機械屋さんの指導を仰ぐことで、効率を高め、求めやすい価格にするためのお手伝いをしたいのです」との返事が返ってきた。そこまでする地場問屋はなかなかいない。
山一さんは産地案内の抑揚のつけ方も素晴らしい。工房、食事、材料、工場のあとは、江戸時代の趣をそのまま残す“妻籠宿”で観光気分を味わう。「売らない、貸さない、壊さない」の三原則を徹底することで維持しているこの土地は、柴原社長の生家もある。「最近の観光客はもっぱら欧米人。使われてない蔵で、コーヒーでも出したいのだけど、なにせ貸してもらえないからできないんですよ」とのこと。地元民とはいえ例外をつくらぬ厳しさあって、この景色は維持できるのだ。
日も暮れかかったが、せっかくだから、と無理を言って桶職人のマイスターを訪ねる。山一でも名前を冠した商品がある青木康雄さん。江戸桶職人だった父は、東京に入ってこなくなった木曽椹を求めて、木曽で桶づくりをはじめたことから、木曽の桶の伝統がはじまったという。「昔、アクシスビルの展示会に参加したこともあったんだよ」と、話される青木さんは現在、ひとりで仕事をされている。教えられることは人に教えてもいい、という思いはあるが、この地で職人を目指す人間はなかなかいないと話す。道具がずらっと並んだ、すばらしい工房を後にしながら、技術の継承の難しさを、ここでも感じた。
取ってくださった宿は、標高1,000メートルの森の中にある宿。夜、露天風呂に入りながら、満点の星空を眺めるという最高の夜で、その日は締めくくられた。
星空を眺めながら、その日1日を振り返る。ひと言に“問屋”と言っても、結局人だ。この地に生まれたからできることもあるが、結局はどんな気持ちを持って、どのくらい手をかけているか、だと思った。今日も柴原社長は産地のために、東奔西走していることだろう。
《ちょっと前のおまけ》
小田原の「うつわ菜の花」さんで、安土忠久、神林學、内田鋼一による「三人三様の世界」展が開催。テーマは「人間の顔、動物」。安土さんは2017年にご紹介した安土草多さんのお父様。萬古焼300年プロジェクトのプロデューサーの内田鋼一さんとは、年齢が離れているが大の仲良し。