桂離宮と日光東照宮の違いから日本のデザインを考える
石井孝之(タカ・イシイギャラリー)

5年前、日本ではまだ少数派だった現代美術や写真のギャラリーをオープンさせた石井孝之。6月には25周年記念のグループ展を開いた。石井が扱っているのはアートが中心だが、デザインにも大きな関心を持っている。アートで磨いた審美眼を持つ彼が見る、日本のデザインとはどんなものだろうか。




「日本のデザインを象徴する人物」として石井孝之が挙げたのは田中一光だ。田中は1930年生まれ、2002年に没したグラフィックデザイナー。ヨーロッパのバウハウスやウルム造形大学の流れをくむ端正なタイポグラフィやエディトリアルを手がける一方、琳派や茶の湯からインスピレーションを受けたデザインで、日本の伝統と現代を融合させた。

「昔から田中一光のエディトリアルデザインが好きなんです」と石井は言う。

「例えば細江英公の写真集『鎌鼬』初版の斬新なデザイン。めくると青一色のページが目に飛び込んできます。全ページが観音開きになっていて、その観音になったページを開かないと写真は見えない。ページを開いていく、その時間もデザインしています」。

田中はエディトリアルだけでなく、ポスターや広告の分野でも独自の地位を築いている。

「つい最近も彼のポスターを見る機会があったのですが、今も古さを感じさせないデザインだと改めて感じ入りました。ミニマルかつシンプル、高度に計算された画面だからいつまでも飽きがきません」。

海外でも「MUJI」のブランドで人気の無印良品のスキームを決定し、ロゴを手がけたのも田中だ。

「彼のデザインは誰でもできそうに見えて、決してそうではない。絶妙な比率、色使い、アイデア、どれをとっても唯一無二だと思います」。

田中はファッションデザイナー、三宅一生との長年にわたるコラボレーションでも知られている。三宅の周りには写真家のアーヴィング・ペン、インテリアデザイナーの倉俣史朗ら多くの才能が結集していた。1960年代以降の日本のデザインに彼らが果たした役割は大きい。

▲石井孝之(いしい・たかゆき)/タカ・イシイギャラリー代表。1963年東京都生まれ。94年、東京・大塚にタカ・イシイギャラリーを開廊(六本木に移転)。国内外の写真、現代美術作品を扱い、独自の審美眼と国際的な視座で多彩なプログラムを展開している。©五十嵐絢哉/Junya Igarashi




見る人によって異なる桂の美

「日本のデザインを象徴するプロダクト」に石井は「桂離宮」を挙げた。

「例えば庭の踏み石にわざと手を加えたものと自然石を組み合わせてその対比を見せる。あるいは平らな石の回りに尖ったスギゴケを使ったり、丸い石と角張った石の比率を計算したりもしています。こういった“地面のグラフィック”の扱いは他を抜きんでている。もちろんそれだけではなく、庭を回遊していくときの景色の移り変わりも魅力的です。生け垣で遮られた視線が開けたときの開放感、高揚感の演出など、隅々まで計算され尽くされている。桂離宮の建物も庭も誰が設計したのかはわかっていませんが、高度なデザイン感覚の持ち主だったに違いありません」。

戦前に桂離宮を訪れたドイツの建築家、ブルーノ・タウトは感激のあまり、涙を流したと伝えられる。建築は昔から好きだったという石井はギャラリーで建築家の作品を展示したこともある。桂離宮は実際に訪れる前に、石元泰博の写真集で見ていたという。1950年代にシカゴのインスティテュート・オブ・デザインで学んだ石元は当時のシカゴ・モダニズム建築を目の当たりにしている。その彼が切り取った桂離宮の写真は時にスケール感を惑わせることがあり、絵画的、グラフィック的だ。

桂離宮は近年、大がかりな修復が行われていることもあり、石元が撮影した桂離宮の写真を見るのと、実際に肉眼で見るのとはやはり違う体験だったという。田中一光のデザインと同質のシンプルさ、ミニマルさを持つ桂離宮は見る人によって異なる姿の美を見せるのだ。

▲石井の蔵書、石元泰博「桂離宮」の1ページ。©五十嵐絢哉/Junya Igarashi




デザインにもアートにも共存するふたつの要素

桂離宮で感激の涙を流したタウトは「日光東照宮」を「キッチュ」「いかもの」として激しく非難した。

「私は日光東照宮の大陸的というか、きらびやかで装飾過剰な美も面白いと感じます。シンプル、ミニマルな桂離宮などとは対照的ですよね。この一見対立するふたつの要素が日本のデザインの根底をなすコンセプトや思想、考え方であって、デザインにもアートにも共存しているように思います」。

日本美術を専門とする美術史家、辻 惟雄は日光東照宮に代表される日本の美的感覚を「かざり」という言葉で表した。金地に華やかな色彩で描かれた屏風や五色で彩られた仏像など、限られた色彩と簡素な形を尊ぶ「わびさび」とは対極にある美意識だ。しかし日本美術には、確かにこの矛盾したふたつの美が共に存在している。

▲石井が経営するギャラリーのひとつ、六本木のComplex665にある「タカ・イシイギャラリー東京」。©五十嵐絢哉/Junya Igarashi

石井の実家は800年ほど前から続く神社だ。そういった出自もあり、彼自身はどちらかというと桂離宮的なものに惹かれるという。が、私たちのなかには確実に、シンプル、ミニマルなわびさびだけでない美意識が潜んでいる。桂離宮も簡素ではあるが、そこには膨大な費用と労力とがかかっている。かざりであってもわびさびであっても手をかけて、丁寧につくる。日本の美はものに対するそんな態度から生まれている。(文/青野尚子)End




本記事はデザイン誌「AXIS」200号「Japan & Design 世界に映る『日本のデザイン』の今」(2019年8月号)からの転載です。