NEWS | グラフィック / ソーシャル
2019.07.12 18:14
ピエール・ケラー氏をデザイン誌「AXIS」で初めて取材したのはおそらく2007年だっただろう。ローザンヌ州立美術大学(ECAL)の学長として、現在の校舎を建設していた時期だ。
ECALでグラフィックデザインを学び、ロンドン、ニューヨークなどでグラフィックデザイナーとして、またアーティスト、写真家として活動していたケラー氏が、ECAL学長に就任したのは1995年のこと。それまではスイス・フランス語圏の一美術大学にすぎなかった存在を、ミラノ・デザインウィークに出展したり、著名デザイナーを教授に招いたり、世界的なブランドと産学協同プロジェクトを実施するなどして、世界屈指のデザイン大学へと押し上げた立役者だ。
2007年のインタビューでは、「ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)やオランダのデザインアカデミー・アイントホーフェンというヨーロッパの二大大学と肩を並べるまでに成長した」とケラー氏は語った。
同時に、歯に衣着せぬ言葉も記憶に残る。例えば、世界的に有名なデザイナーを教授や講師に迎えることについて、「チューリッヒのファーストクラスのデザイナーより、ロンドンのファーストクラスのデザイナーを招聘したほうが、リーズナブルなうえにレベルも上」「他の大学関係者だったら絶対言わないだろうけど、私はあえて言いたい。大学にとって学生はクライアント。彼らを満足させることが最も重要だ」。
そんなケラー氏が推し進めたのは、卒業後すぐに現場で活躍できる人材育成だ。「学位をもらうためでも、肩書きのためでもなく、即活躍できるように学生のクリエイティビティを引き上げたい」。
現在のECAL学長は、ケラー氏が引き抜いたアレクシス・ゲオルガコポロス氏。当時、24歳という若さでインダストリアルデザイン学部を率いていたが、日本のデザイン大学と比較して、その若さに驚いたことを覚えている。
近年のECALの躍進は多くのデザイン関係者が知るところだが、ケラー氏は2011年に大学を退いたあとも、スイスデザイン界の発展に尽力した。
2019年7月7日肝臓癌で逝去されたという報を受け、心から哀悼の意を表します。