詩人・大崎清夏が毎回ひとりの建築家の手がけた空間をその案内で訪ね、建築家との対話を通して空間に込められた想いを聞き取り、一篇の詩とエッセイを紡ぐシリーズ。
第3回は長岡 勉さん(POINT)と絵と言葉のライブラリー ミッカ(東京・葛飾)を訪ねます。大崎さんの心に浮かぶ、この空間に投影された記憶とは?
長岡 勉(ながおか・べん)
1970年、東京生まれ。慶応大学SFC政策メディア研究科修了。山下設計で活動後、POINTを設立。建築・インテリアの設計業務のほかに、クリエイターのためのシェアオフィス<co-lab>の設立に参加するなどの活動を行う。現在、武蔵野美術大学・桑沢デザイン研究所非常勤講師。
「ぼくの大きらいなやつが、ひとりだけいるんだ。それが、あの公園番さ。『べからず、べからず』と書いてあるたてふだなんか、全部ひきぬいてやるぞ!」(ヤンソン作・下村隆一訳「ムーミン谷の夏まつり」より)
怒りに燃えてそう言い放ったスナフキンの気持ちを知ってか知らずか、ニューヨークの公園にある喫煙禁止のサインには、「喫煙するべからず」より先に「花の香りを嗅ごう」と書かれているそうです。
2018年、こどものための「絵と言葉のライブラリー」として亀有駅前に誕生したミッカの館長である山本曜子さんは、このサインに心を動かされて、禁止の言葉を使わずにこの空間を運営していく決意を固めました。設計したPOINTの長岡勉さんは「花の香りを嗅ごう」に代わる行動のきっかけを、山本さんと激論を重ねながら、言葉ではなく空間の設いのなかに忍ばせていくことになりました。
散りばめられたきっかけの数々は、とてもここでは紹介しきれません。でも例えば、読みきかせ劇場の公演中に灯る「ON AIR」のサイン。壁にかかったジャングルの絵かと思いきや、その額縁から中に入れる三角形の小部屋。この場所をつくった大人たちは、寄り集まって自分たちの秘密基地を設計するこどもみたいに、各々の策略を駆使して、譲れないところは断固譲らず、ときには巧妙な手段さえ使って(!)、それらひとつひとつを配していったようです。
随意に設定された「こども」なるものへのおもねりではなく、大人が自ら本気でおもしろいと思うものをつくれば、その本気はこどもにもちゃんと伝わるはず。設計に関わった人々の共通の信念のもとにつくられたきっかけたちは、こどもたちに「本を読もうよ」「空想しようよ」「つくってみようよ」「やってみようよ」と日々語りかけ、日々、伝わることに成功したり失敗したりしています。
そんなふうに、何か目鼻だちのあるキャラクターのように、空間がこちらに向かって語りかけてくるには、どんなことが必要なのか。暗い場所はもっとあったほうがいい。色だってもっとあったほうがいい。あえて身体のラインに沿わない膨らみがあるのもいい。だるま落とし風の自立式の本棚には、ほんとうに目をつけちゃえ。うーん、狭い場所から広い場所へ身体が開いていく快楽も、もっと感じられたほうがいいな。
長岡さんのアイデアを聞いていると、そのひとつひとつは自分でも案外簡単に実現できることなのかもという気がしてきます。例えば長い棒が何本かと大きな布地があれば、私たちは小さなテント小屋をつくれるし、それを動物に見立てて内側から動かすことができます(ミッカには、棒と布で動物や小屋の形をさまざまにつくりだせる「オニマル」という家具が時折現れます)。それは、空間をもっと肌身に近いものとして感じるためのひとつの手立てです。
長岡さんは設計の仕事を終えた後も、お面をつくるワークショップをこの場所で定期的に開催しています。丸がふたつあれば目になる、というのは誰にでもわかる簡単なことで、簡単なことのもつ力を私たちは侮りがちだけれど、ふたつの丸が目になれば、そこには命が宿ります。命の宿ったものと付き合うとき、私たちの態度は変わります。壁に描かれたふたつの丸でも、目と目が合ったと感じれば、私たちはどきっとします。「こんにちは」とさえ言うかもしれません。「壁を蹴るべからず」という貼り紙では、そんなふうに思わせることは不可能です。
お面をかぶったり、大きな布をまとって、皮膚感覚をいっぱいに使って、それまで自分だと思っていたのとは別の自分になること。そんな経験が、自分とは別の何かの存在を認めることや、自分というものを翻って知ることや、自分以外のものものとよい関係を構築していくきっかけになる。だったら空間だって、その場その場の試行錯誤で、多少いい加減につくったっていいんじゃないか――長岡さんの大らかな考え方と、ミッカの居心地のよさとは、まっすぐ結びついているようでした。
ぐるりと回遊できる図書館の中央に設置された劇場空間は、深紅のびろうど地の緞帳に囲まれて、いまにも何かめくるめく舞台がはじまりそうでした。夜空のような紺色の裏地には優しい顔の精霊たちが、白銀の糸で星のように縫い取られています。壁も深紅で、広い階段状に積まれた柔らかい客席も赤のグラデーション。天井には、光の加減でしっとりとさまざまな模様が浮かびあがる金色の格子柄が敷かれています。
ああ、ちゃんと劇場なんだなあ……嬉しい。安全第一の、まるごと明るく柔らかいプレイルームの丸椅子じゃなく、雰囲気のある暗い深紅のこの空間におもしろい大人が来て、大真面目に自分たちと付き合ってくれる。そんな場所があったら、私はなかなかこどもを卒業できなかったかもしれないし、スナフキンだってきっと「まあいいや」と言うんじゃないかな。
客席の段々のいちばん高く奥まったところは少し狭くなっていて、こどもの身長でも天井に頭が付きそうな高さです。「ここ、いいんですよ」と座った長岡さんに勧められて、私もその狭い空間に座りました。背後には窓があり、劇場の外に広がる野原色のソファの段々畑が見えます。その段々に寝そべって、小学生が何か読んでいます。なんだか落ち着いてしまって、私たちはしばらくの間、そこに並んで座って話しました。
絵と言葉のライブラリー ミッカ
JR常磐線 亀有駅南口 徒歩30秒(東京メトロ千代田線直通)
入館時間 10:00 – 19:00
休館日 月曜・第4木曜(祝日の場合は翌日)
年末年始、リリオ館店休日(年2回)
※ミッカは子どものための図書館です。
大人のみでのご入館はできません。お子さまと一緒にお越しください。
※大人が参加可能なイベントも開催しています。詳しくはイベントカレンダーをご覧ください。
http://micca.me/
大崎清夏(おおさき・さやか)
1982年神奈川県生まれ。詩人。詩集「指差すことができない」が第19回中原中也賞受賞。近著に詩集「新しい住みか」(青土社)、絵本「うみの いいもの たからもの」(山口マオ・絵/福音館書店)など。ダンサーや音楽家、美術家やバーのママなど、他ジャンルのアーティストとの協働作品を多く手がける。19年、第50回ロッテルダム国際詩祭に招聘。https://osakisayaka.com/