REPORT | 講演会・ワークショップ
2019.05.30 17:43
5月下旬、東京・渋谷の「TRUNK HOTEL」で、米国のオフィス家具メーカー、スチールケース(Steelcase)が主催する興味深いトークイベント「In The Creative Chair by Steelcase」が開催された。雰囲気はまるでパーティだ。会場には軽快な音楽が流れ、立食形式で飲み物やフィンガーフードが供されるなか、150人の招待者が歓談しながらトークが始まるのを待った。
時間になると、ホスト役のマリア・ブーク(スチールケース アジアパシフィック コミュニケーションディレクター)が現れ、日本で初開催となるイベントの主旨を説明。続いて、この日のゲストスピーカーである小渕祐介准教授(東京大学建築学専攻)を壇上に招いた。小渕による約20分間のプレゼン、ブークとの対談、招待者との質疑応答まですべて英語で進行し、Facebookを通じて世界に同時配信された。小渕が青年時代に経験した旅の話や、この日のメインテーマである「遊びながらつくる建築」の内容は、集まった人々の好奇心を掻き立て、イベントは大いに盛り上がった。
新しい視点を得られる機会に
「In The Creative Chair by Steelcase」は、スチールケース アジアパシフィックが、クリエイティブなコミュニティをつなぐことを目的に2018年から始めたトークイベントのシリーズ。北京、香港での開催を経て、今回の日本が3カ国目に当たり、今後もシンガポール、オーストラリア、インドで開催が予定されている。
本イベントを企画・運営するブークは語る。「私が2年前にスチールケースに入社し、グローバルのブランディングを担当することになったとき、クリエイティブなコミュニティをつくってそれをつなげていくことが重要だと考えました」。トークイベントは参加者のクリエイティブな思考を刺激し、コミュニティがつながるきっかけになる、というわけだ。「ただし皆が自然に語り合える雰囲気をつくり出すためには、質の高いトークを行い、新しい視点を得られる機会にしなければなりません。そのため毎回、スピーカーと一緒にプレゼンのテーマや内容について時間をかけて準備をしています」。
スピーカーの人選は、ブークが各国でトピックとなっている分野をリサーチして行う。国籍や言語は関係なく、例えば北京ではイタリア人建築家のアンドレア・デステファニス、香港では英国で実験建築を教えるレイチェル・アームストロングを招いた。「レイチェルとは研究内容だけでなく、生い立ちや私生活まで踏み込んで話を聞き、半年もかけてプレゼンを練り上げました。当日どんな服を着るかまで議論しました(笑)」。
トークの規模や形式、会場も開催地域に応じて変える。北京では350人を招待したが、日本では150人。9割がデザイン業界の関係者というクローズドな環境で、より親密な交流が生まれることを期待した。「テーマも他国とは少し違います」とブークは説明する。「今日は小渕さんの専門領域とは別に、もう少し彼自身の人生を通じて学んできたことを語ってくれるはず。誰もが完璧さを求めたいと思っていますが、間違いや失敗をも含むクリエイティビティの多様性についてです。小渕さんは新しい考え方を持っている人で、ある意味典型的な日本人とは違うかもしれません。だからこそ参加者の目を開かせてくれると期待しています」。
東京大学建築学専攻准教授、小渕祐介の専門はコンピューテーショナルデザインだ。欧米の建設業界では1990年代後半から作業の効率化を求めて、コンピュータに設計をさせるコンピューテーショナルデザインが急速に発展してきた。小渕はその最先端をいち早く日本に紹介すると同時に、プログラミングや3Dモデリングを駆使して建築モデルをつくるデジタルファブリケーションの研究も行う。ところがこの日のプレゼンは、研究について解説する「講義」のようなものとは全く異なっていた。
ゴールに向かうすべての道が正しい
「17歳のとき、私は飛行機に乗ってアメリカに渡りました」。
まず、壇上に立った小渕はこう切り出した。
日本人の若者はロサンゼルスに降り立ち、そこからニューヨークを目指してヒッチハイクの旅を始める。英語を書くことも話すこともできなかったが、ハイウェイの真ん中に立って親指を上げ、拾ってくれる人を待った。車を止めてくれたドライバーに「ニューヨークまで行きたい」と伝えると「クレイジーだ」と言われながらしばらく走り、全く知らない町で降ろされる。町に着いたら、その晩寝られる場所を探して寝袋で眠る。そして翌朝また道の上に立つ。2日待っても車に乗れないこともあったが、トラック運転手の厚意で留守中の家を2週間使わせてもらったこともあった。そんな旅を半年も続け、小渕青年はようやくニューヨークにたどり着く。「その経験から学んだのは、プロセスはコントロールできないということ。目的地に向かう体験が異なるだけで、すべての道が正しいのです」。
それから時が経ち、小渕はコンピュータをいかにして建築に取り入れていくかを研究していた。情報技術は、複雑な設計のプロセスを分析し、さまざまな作業を統合的に管理することで、ものづくりを効率化できる。欧米の建築業界で、人間の間違いや非効率をカバーするため急速にコンピュータが導入されたことは先に述べた通りだが、小渕のアプローチはそれとは異なる。「間違いもプロセスの一部と捉える。いかにそれらを内包しながら、人間とコンピュータがコラボレーションできるか」。すべての道が正しいのだから、ひとりひとりのユニークネスを排除しないこと。それがクリエイティビティにつながると考えるからだ。
遊びながら学び、最適化していく建築
「STIK(Smart Tool Integrated Konstruction)」(2014年)は、割り箸を使って建築を試みたプロジェクトだ。今や建設業や製造業において3Dプリンタは、プロトタイプ制作などに欠かせないテクノロジーとなっている。それと同じ考え方で、3Dスキャナが構造を分析しながら指示を出し、ディスペンサーが100万本の割り箸と糊を放出してパビリオンを造形する。「樹木は風が吹くと傾きますが、倒れないように自らを最適化しながら育っていきます。同じように、これもつくっているそばから形が崩れていく。意図していたものとは異なる結果が出た場合、それを間違いとするのではなく、常にそこから最適化していくのです」。当然、2回つくれば違う形になると言う。「誰がこのプロセスを進めるかによっても変わります。理想的な形はいつも最適化されていく。僕がデザインと呼んでいるものはそういったものなんです」。
「PAFF(Projectile Acoustic Fibre Forest)」(2017年)では、発射機で約1トン分のココナッツ繊維の弾丸を打ってパビリオンをつくった。その際、ユーザーは目隠しをして、的を見る代わりに音のガイダンスに頼る。ただし聴覚も個人差があるため、ガイダンスシステムが「この音がする方へ」と指示しても、皆が正確に同じ場所に打つことはできない。そのため、ユーザー全員の発射データを分析し、人間とコンピュータが同時に学習しながらよりよく狙えるよう改善を図った。間違いをベースに軌道修正しながら、2週間かけて約10万発のココナッツ繊維を打ち、最終的に均整の取れたパビリオンをつくることができた。
間違いこそクリエイティブのチャンス
小渕はまとめる。「今日は、クリエイティビティがどこからくるか、という話をしました。ハイウェイでヒッチハイクを始めたらもう戻ることはできません。その先は未知だけれど、ゴールだけははっきりしています。その道のりで何を見つけたとしても、育てれば何かのチャンスになる」。特に、間違いや非効率と思われるユニークネスこそ大事にしなければならない、と小渕は強調する。日本の教育では間違いをしないように教えるが、決められた枠から外れたものを省いていくと新しいものは生まれない。「コンピュータで効率性だけを求めてしまうのは逆効果。むしろ間違いをどこまで織り込めるか。私としては、人が持っている可能性を最大限に発揮できるようなコンピューテーショナルデザインのあり方を考えていきたいのです」。
自らの体験に裏打ちされた小渕の言葉は、建築関係者に限らず、あらゆるクリエイティブに従事する人の心に響いたことだろう。来場者の惜しみない拍手に包まれ、このトークイベントは幕を閉じた。次回の「In The Creative Chair by Steelcase」は、建築家の手塚貴晴をスピーカーに迎え、7月にシンガポールで開かれる予定だ。