小豆島の“食”を巡る旅。
木桶仕込みの醤油蔵、正金醤油とヤマロク醤油へ

▲小豆島の老舗醤油会社「正金醤油」のもろみ蔵。約110本の木桶で、創業時から変わらぬ天然醸造の醤油をつくり続ける。Photos by Sohei Oya(記載のないカットすべて)

豊かな土地には豊かな発酵文化あり。瀬戸内の穏やかな海に囲まれた小豆島もまた、奥深い発酵文化が息づく島だ。今回はそんな“醸し”をひとつの軸に、春の小豆島を訪ねた。

まずはオリーブと並ぶ代表的な名産品の「醤油」の蔵へ。小豆島には現在21軒の醤油蔵があり、それらが軒を連ねる“醤(ひしお)の郷”では、江戸時代から変わらぬ木桶仕込みによる天然醸造が行われている。今や国内で樹脂やホーロー製タンクでの製造が主流となるなか、木桶での生産量は味噌を合わせても全体のわずか1%未満なんだそう。想像以上の少なさにまず衝撃を受け、その約3割を占める1,000本もの木桶がこの島にあると聞き、2度驚かされる。まさに小豆島は「醸し」の郷なのだ。

▲焼杉の外壁が目を引くもろみ蔵は小豆島町の登録有形文化財に指定され、島で最も歴史ある蔵のひとつ。表面を黒く焼いた焼杉は小豆島の建造物の特徴だ(正金醤油)。

つくり手の人柄が味に現れる「正金醤油」

最初に伺ったのは、大正9年(1920年)創業の「正金醤油」。蔵に入った途端、もろみの良〜い香りに包まれる。霧雨の朝の透明な空気に、ふんわりと浸透していくようだ。正金醤油の香りは柔らかで澄んでいて野の花のような可憐さもあって、素人ながら「ああ、いい蔵だなぁ」と感じる。

蔵に入るとまず目を奪われるのが、三十石(約5,400リットル)という巨大な木桶。なんとこの桶、ひとつつくると100年以上持つそうで、こちらは昭和初期につくられた約90年もの。とてもそうは見えないほどきれいに手入れされた桶で、国産の大豆と小麦を使い、化学調味料は一切不使用でつくられている。今やほとんどの醤油メーカーが温度調整の可能なタンクで年2回(あるいはそれ以上)仕込むなか、天然醸造は木桶に住み着いた酵母菌とともに1年〜3年の時間をかけて熟成する。そのコストと手間たるや……。つくづく志がなくては続けられない製法だと思う。

▲もろみ蔵の木桶。外界とは壁1枚隔てているだけ。天然醸造は外気の温度や湿度の変化といった、自然の“ゆらぎ”とともにつくられることを改めて実感する。

▲木桶の素材は杉。桶を支える「箍(タガ)」は細く割いた竹を編んでつくられ、90年を経ても傷まずこの美しさ。タガはステンレスなどの金属では塩分が侵食して切れてしまい、竹でないと持たないのだそう。

▲正金醤油4代目の藤井泰人さん。実に控えめな語り口で、柔和で実直なお人柄が醤油の味わいにも表れている。

「毎日の料理に使って欲しいから、食材を引き立てるような、前に出すぎない味を目指しています。それがうちの醤油の特徴かな」。そう語るのは正金醤油の4代目、藤井泰人さん。かつては天然醸造ならではの旨味の濃い醤油を追求していた時代もあったそうだが、今は素材にすっと馴染む味わいが理想だそう。確かに正金醤油の味わいは柔らかく澄んでいて角がなく、穏やかな藤井さんの人柄を映すよう。酵母菌もつくり手の性格に似てくるのかも、と考えて楽しくなる。

「おかげさまで料理人の方やご家庭でよく使ってくださるようで、うちは卓上用の小瓶でなく1リットル瓶が一番売れるんですよ」と藤井さん。豊かな旨味がありつつ出しゃばらず、どこか品のある味わいは、腕のある料理人が頼りにするのも納得できる。自分も再仕込みの「匠」のまろやかさに感動し、思わず大瓶を購入。なんというか、長く使いたくなる味なのだ。

▲もろみ蔵の階段を上がるとこんな眺め。深さ2mの木桶がぽっかり口を開けている。蓋はせず、もろみを外気に触れさせて発酵を進めるのが最も理想的なつくり方なのだとか。撮影中のフォトグラファーを見ると木桶の巨大さがわかる。Photo by Yoko Fujimori

▲長期熟成されたもろみの状態。大豆は北陸地方や九州など、その年ごとに品質の良いものを使うが、塩は意外にもオーストラリア産の天日塩を使用。にがりが少ない塩のほうがクセのない素直な味に仕上がるそうで、これも試行錯誤の末に藤井さんがたどり着いた結論だ。

▲正金醤油の看板商品たち。左から「天然醸造うすくち生醤油」「天然醸造こいくち醤油」各500㎖ 508円、「二段仕込 匠」360㎖ 648円、「八方だし」360㎖ 497円。鰹の本荒節、片口イワシの煮干し、昆布の合わせダシでつくる無添加の出汁つゆ「八方だし」もヒット商品で、うどんつゆから煮物までなんでもござれ! 使ったらもう手放せない、万能すぎる1本。

正金醤油
住所:香川県小豆郡小豆島町馬木甲230
Tel: 0879-82-0625
蔵は見学も可能(要予約・平日のみ)。事前に電話かWebサイトから連絡を。
URL: http://shokinshoyu.jp

島随一の人気の宿でも起用する誠実な美味しさ

ちなみに、醤の郷に佇む人気の宿「島宿真里」の「醤油会席」でも正金醤油が味わえる。お造りには“醤油の味くらべ”ができるよう4種の醤油が添えられるのだが、自家製もろみ以外に店主の眞渡康之さんが選んだのが正金醤油のもの。これも素材と調和する誠実な味わいゆえだとか。江戸末期から昭和初期の古美術の器を巧みに組み合わせた器使いの楽しさとともに、小豆島の食の恵みを満喫できるフルコースだ。

▲右端から宿の自家製もろみだれ、正金醤油に特注した二段熟成、生あげ、淡口生揚。

島宿真里
住所:香川県小豆島醤油蔵通り
Tel: 0879-82-0086
URL: https://www.mari.co.jp

小豆島醤油文化の伝道師「ヤマロク醤油」

次なる蔵元は島の東側にある「ヤマロク醤油」へ。創業は約150年前。三十二石(約6,000リットル)の大杉樽を中心に68本の木桶で仕込んでいる。明治初期に建てられたという築100年超のもろみ蔵に入ると、先ほどの「正金醤油」とはまた香りが違うことに気づく。

「うちの醤油は正金さんより濃いと言われるんですよ。店主の性格が出るのかも(笑)」といたずらっぽく語るのは4代目当主・山本康夫さん。三十二石の大杉樽はなんと約150年もの間使い続けており、杉板やタガの表面は綿毛のようなものにフワフワと覆われている。「決して汚れているのではなくて、ここに酵母菌や乳酸菌が住んでいるんです」と山本さん。

▲築100年超のもろみ蔵。こちらも登録有形文化財。木桶の醤油造りを伝えるため、山本さんは365日、年中無休で蔵の見学を受け付ける(予約不要)。

▲木桶の表面。一見朽ちているようだが、さにあらず。フワフワと付着しているのは150年間桶に住み着いた、ヤマロク醤油の味を決める酵母菌や乳酸菌たち。まさに“蔵の神様”だ。

▲もろみ蔵の土壁や梁にも100種類もの菌が住んでいるそう。看板商品の「鶴醤」は、北海道産大豆と北海道産小麦、そしてメキシコ産天日塩を小豆島の澄んだ水で仕込み、この蔵で約4年長期熟成させる自信作。

島を訪れる人々に年中無休で熱く、わかりやすく醤油文化を伝える山本さんは、いわば小豆島醤油の広報部長。先ほどの藤井さんとはまた対照的なキャラクターで、おふたりとも醤の郷になくてはならないキーパーソンだ。

また、山本さんは醤油造りのほかに2012年から「木桶職人復活プロジェクト」を発足。天然醸造による醤油の生産量が1%未満になってしまった今、「ひとつつくれば100年持つ」木桶は、当然ながら発注量も激減。つくり手の桶屋さんも大阪に1社残るのみなんだとか。その技術を次世代へつなぐため、山本さんは自ら桶屋さんに弟子入りして技術を学び、今では自身の蔵で木桶造りも始めている。日本が世界に誇る和食の源である「本来の醤油の味」が、木桶の寿命とともに滅びゆく危機に瀕していたとは。恥ずかしながら知らなかった。

▲ヤマロク醤油5代目店主、山本康夫さん。和食文化を次世代へつなげるため、木桶仕込みの大切さを伝える熱き伝道師だ。

▲木桶造りの作業場。2012年1月に島の大工とともに桶屋さんに弟子入りして技術を学び、翌年、自身の手で第1作目の木桶を製作。それ以降、毎年1月に多くの参加者とともに桶造りを行っている。木材は奈良の吉野杉、タガの竹は小豆島産。新桶からは杉のいい香りが漂う。

▲人気の卓上用小瓶シリーズ。左から丹波黒豆で仕込んだキレのある「菊醤」、再仕込みで濃厚なコクとまろやかさを追求した看板「鶴醤」、スダチとユズを贅沢に使った「ぽん酢」、「菊醤」をベースにしたダシ醤油「菊つゆ」。すべて145㎖で486円。

▲蔵内のカフェ「ヤマロク茶屋」では、「しょうゆプリン」や七輪で焼く「焼き餅」などアイデア一杯の醤油スイーツが楽しめる。写真はアイスクリームに再仕込み醤油「鶴醤」をかけて食べるその名も「醤油かけかけ」。まろやかな長期熟成の醤油がカラメルのように香ばしくて、美味。324円。

ヤマロク茶屋
住所:香川県小豆郡小豆島町安田甲1607
Tel: 0879-82-0666
営業時間:9:00-17:00
定休日:年中無休
URL: http://yama-roku.net

ふたつの蔵を訪ねて改めて感じたのは、上質な原材料ととてつもない手間暇を思えば、天然醸造の醤油は決して高くない。いや、かなり良心的な価格だと思う。よく取材先のシェフと話すのは、「いい調味料を使えば家庭の料理は簡単に美味しくなる」ということ。お土産にした醤油のおかげで、わが家の冷奴も納豆も、自慢じゃないけどちょっとしたものだ。目に見えない菌の存在に気づき、菌とともに“醸す”という技術を育んできた先人たちの知恵は日本の食文化の礎。やはり、これを絶やしてはいけないと思うのだ。End