NEWS | サイエンス / ソーシャル
2019.02.25 16:44
アメリカのアパラチア山脈南部にはかつて、ネイティブアメリカンが「マウンド(人工の丘)」を作って生活する「ミシシッピ文化」を形成していた。そこでは、現代のソーシャルメディアの機能と同じように、地域のネットワーク全体で美的傾向や技術を共有していたという。
セントルイス・ワシントン大学の調査では、長年にわたる数多くのミシシッピ文化の遺跡発掘で発見された陶器の破片のアーカイブを活用。陶器を焼いたり硬くする技術や装飾の文様など、微妙に発展する変化に焦点を当てて、新しい陶芸技術がコミュニティ間のつながりをどんなふうに示すかという、詳細な年代順の地図を作製した。
この調査では、ジョージア州バートー郡のエトワ遺跡周辺の村々をピックアップ。このエリアは、儀式用の大きな建物のある低いマウンドが複数存在したミシシッピの重要なコミュニティで、1050年から1325年をピークに、地域全体における社会的、政治的、経済的、宗教的権力の中心地として機能していた。
調査結果によると、強力な首長の出現とリーダーシップの集中、念入りな宗教活動、制度化された不平等は、民衆による既存の広範な社会的ネットワークによって構築された基盤にもとづくことがわかった。
このことは、一般の人々の強い社会的つながりが、予測不可能な指導者や支配階級の気まぐれから社会を守るのに、いつも重要な役割を果たしてきたことを示唆している。