「直接誰もが物を売れる時代」に「配り手」ができること
問屋の気づき(民藝編)

▲「くらしのギャラリー本店」の店内。平成24年に岡山から少し西のおしゃれな倉庫街に引っ越してきた。 Photo by 山本尚意

物をつくる人が、ネットなどで自分の素晴らしさをアピールしながら、直接、物を売れるようになって久しい。問屋として、「中継ぎ」の意味を考えさせられる時代となった。間に入ってくれるから安心してモノづくりができる、あなたがいるから迷わずモノが買える、問屋はそういうつくり手と売り手の間の潤滑油としてこれからも必要とされていくか。弛みがちな気持ちを引き締めなければ、としばしば思う。

若いオーナーの民藝店が全国に生まれ、六本木の21_21 design sightでは深澤直人さんディレクションによる「民藝展」が開かれるなど、勢いがいよいよ感じられる「民藝」の世界では、問屋の代わりに「配り手」という言葉が使われる。先日、配り手のひとり、「岡山民芸振興株式会社」の仁科 聡さんにお話を聞く機会を得て、今一度「モノをつなげる」役割を考えるいい契機となった。

▲2014年平山元康さんの個展中の「くらしのギャラリー本店」にて。平山元康さん(左)と仁科 聡さん。

仁科さんは西宮出身。高校卒業後、岡山で家具やインテリア雑貨の販売を16年。その後、縁あって、岡山民芸振興株式会社に入社する。「民藝」は言わずと知れた、柳宗悦らが提唱した思想に基づく、モノづくりの運動だ。それまで「下手物(げてもの)」と扱われていた民具や雑器が、柳が足で稼ぎ、眼で選んだものを、格調高き思想でまとめたことにより、価値を見出され、絶滅の危機から生き残ったモノづくりがたくさんあることは想像に難くない。

柳らが活動を民藝と名付けたのが大正15年(1926年)。その6年後の昭和7年(1932年)に柳の思想に共鳴し、自らも民藝のプロデューサーとして活躍した、鳥取の医師、吉田璋也が「たくみ工芸店」をつくり、民藝の普及とつくり手の流通を助けていくことになる。

岡山では倉敷民藝館・初代館長の外村吉之介、大原美術館の大原総一郎、地元の百貨店・天満屋の伊原木伍朗社長のサポートにより、「民藝品の普及」を目的とした岡山民芸振興株式会社が昭和22年(1947年)に創設され、杉岡 泰が社長に就任する。

設立から4人目の番頭の役割を担っているのが仁科さんだ。入社時は民藝の知識はゼロだったという。

「10年前に入社した際、もともと、家具の販売もしていたので、すぐに松本民芸家具が目に入りました。つくり方や素材のことなど色々聞くと、すごく語ることが多い。これだけ売り文句があるなら、売れる、と思ったんです」。仁科さんは、量産の家具とは違う、思想と歴史に裏打ちされた家具のつくり方から民藝を学んでいった。

物をつくる人間は、物を売ることで、生きがいを感じるとともに、実質的な対価を得ていく。民藝の「配り手」の大きな役割は、「使い手」への普及活動(だから、昔は販売ではなく「頒布会」を盛んに行なっていたという)、「つくり手」がモノづくりに集中できるように、仕入れることできちんと対価を払い、つくり手の代わりに売り、また発注することで、つくり手の生活を支えることにある。

「僕ら“はじめたら、やめられない”と、言っているんですけど、老舗の民藝店としては、新しいつくり手と仕事を始めるときは、このつくり手となぜ仕事をするのか、このつくり手と2〜30年はきっちりと付き合っていけるか、よく考えてから始めます」。仁科さんのこのスタンスこそ、まさに、老舗であり、民藝だろう。それは、使い手に対しても、“売りっぱなしではなく、また、補充ができます”と言う安心感を与えるのだ。

老舗民藝店に入ったことで、窮屈だったことはないか尋ねると、「あるとき、吹きガラスの石川昌浩くんからガツンとひと言、言われたんです。“仁科さんは先代が引いたレールの上で動いているんだからね”と。以前、人から“自信は持っても過信はするな”と言われたことを思い出しました。仕事がうまくいっているのは自分の実力、と過信したときのひと言でした」。

民藝の普及を目的としていた創成期からは考えられないほど新しい民藝店が増えている。若いオーナーが独自の感覚で、店を始めることも多い。彼らがゼロから始めることを考えると、老舗の看板のありがたさを痛感すると言う。

▲石川昌浩さんの硝子。仁科さんは「数をこなすことで出来るかたち」と言う。 Photo by 山本尚意

ところで、民藝店が増えると、つくり手の取り合いにならないのか、以前から不思議だった。柳はもともと、「白樺」の同人だ。白樺といえば、志賀直哉と武者小路実篤。武者小路実篤と言えば「仲良きことは美しき哉」だが、民藝に関わる友人からは、まさに「友愛」という言葉をよく聞く。仁科さんも“作家の取り合いとか、いがみ合う場合じゃない。今は得意分野を生かして、シェアする時代”だと話す。

「今、お金と場所とちょっとした勇気があれば、店はできてしまう。できた後“店の責任を果たすためにどう成熟させるか”が、問題でしょう」。“作家に「店に搾取されている」、と思われたら、店は終わり”と言うシビアな考えを持つ仁科さんからの、後進の同志に対するアドバイスだ。ただ、送られてきたものを並べるだけでなく、自分の足で稼ぎ、自分の目を持ち、自分なりの見せ方、独自の作家との付き合い方からできたモノなどが出てくれば、独自色も出るというものだ。

「配り手は“ハブ”としてどう生きていくか、と言う感じがします」と最後に仁科さんは締めくくってくれた。民藝のつくり手と店が全国に散らばる時代。複数のつくり手を軸(ハブ)としてまとめていく。そのハブの舵取り具合が、それぞれの店の個性になるようだ。

私自身も一人ではあるが「問屋」というハブの役割を担っている。問屋以外の仕事もしているので、一般的な商社の瞬発力はない。自分の扱いたいものしか扱わないので、お客様のいうことを何でも聞く柔軟性もない。だからせめても、つくり手には「自分では思いつかない店に並ぶことが出来て楽しかった」と、お店からは「よくこんな面白いものを見つけてくるね」と言われるように、日々、もの探しをし、人に会いに行っている。

▲大阪 梅田阪急7階の くらしのギャラリーにて。この日は、岡山の骨董商、ギャラリーONOさんの「ガベ」フェア最終日でした。

前回のおまけ》

▲車で移動する人は、四日市からぜひ、伊賀へ。ボタン作家でもある長瀬清美さんの「iga pizza」。森の中にポツンと現れるシチュエーションも面白い。素晴らしく美味しいピザが食べられます。

ギャラリートーク 「日野黄門漫遊記」

2日間にわたって岡山で開催されるトークイベントです。ぜひお出かけください。

日時
2019年3月8日(金) くらしのギャラリー
15時から(入場無料)
会場
〒700-0977 岡山県岡山市北区問屋町11-104
TEL 086-250-0947
内容
第1話 「民間的工芸店ってなんだろう」
日野さんが各地から集めたアイテムを紹介。
第2話 「売り手、配り手、繋ぎ手」
昭和22年から続く民芸店の役割とは何か。
日時
2019年3月9日(土) アチブランチ
15時から(入場無料)
会場
〒710-0055 岡山県倉敷市阿知2丁目23-10 林源十郎商店1階
TEL 086-441-7710
内容
第3話 「硝子工場と個人硝子工房のちがい」
松徳硝子、木村硝子店を見学した画像などを見ながら。
第4話 「直観」
あらゆる概念を捨てて素直に見る習慣について。