日本初の家具モデラー、ミネルバの宮本茂紀の仕事を体感する(前編)

▲アトリエ脇にある家具用の無垢板を保管する倉庫。

以前、本連載で紹介した、建築家とデザイナーとつくり手の勉強会「家具塾」の特別編が、2018年10月に北海道・帯広で開催された。会場は日本初の家具モデラーであり、同塾のスーパーバイザーを務める宮本茂紀のアトリエだ。長年培ってきた技術や経験をもとに、建築家やデザイナーのアイデアを具現化し、数々の名作を世に送り出してきた存在である。そんな宮本が携わった椅子がこのアトリエに多数保管されている。貴重な仕事に触れ、体感できるということで、遠方にもかかわらず道内外から総勢30余名が参加した。

▲倉庫には、東京・木場などから買い付けた希少な無垢板が保管されている。

「体感」を重視した学ぶ場を展開する

家具塾では、実際に空間に身を置き、家具に触れ、みんなで活発に議論を深めるなかからものづくりの本質を追求することを目指している。ふだんは宮本の手がけた家具が並ぶ東京のミネルバ・ショールームで開催しているが、ときには宮本や塾長の家具デザイナーである藤江和子、同塾サポーターのテキスタイルデザイナー・コーディネーターの安東陽子が携わった「みんなの森 ぎふメディアコスモス」や、「台湾大学社会科学院辜振甫先生紀念図書館」「台中国立歌劇院」といった壮大な建築空間で学ぶ特別編を設けている。

今回は帯広のアトリエに保管されている、宮本が建築家やデザイナーと試行錯誤しながら開発した製品や試作、自身が好きで買い集めたリートフェルトの椅子など、計約100脚を実際に見て触れて座って体感しながら、椅子のデザインについて深く考察することが目的である。

▲アトリエの地下や2階に保管されている試作や製品。

帯広空港からクルマで約15分。アトリエは、広大な農地に囲まれた自然豊かな環境の中にある。この土地にアトリエを構えるきっかけになったのは、1996年に十勝支庁から相談されたことがきっかけだったという。「当時、この地域には家具の工房がたくさんあって、それらをまとめる人を探していたそうです。ゆくゆくは私たち夫婦の隠居生活にという気持ちもあって土地を購入しました」と宮本は振り返る。

このアトリエにある椅子の8割がデザイナーらと開発した試作で、素材の使い方や工法など実験的な試みの跡が残る興味深いものばかりだ。「家具塾」の第1部では、アトリエを見学し、各々の椅子を宮本がスライドを用いて解説した。そのなかからいくつか紹介しよう。


▲ワンタッチで開いて組み立てられる。同じ機構を持つテーブルも製作した。写真提供/家具塾

コンパクトに折り畳める山田佳一朗の椅子

山田佳一朗がデザインした折り畳み椅子。座面のサイズにあわせ、平面状にコンパクトに畳むことができる。金属の機構部分は自動車の部品メーカーに製造を依頼し、その工業的な美しい仕上がりも魅力になっている。

自動車のトランクに積んでアウトドアで使用するための椅子として開発したという。当初、自動車メーカーに提案したが、現状のつくり方では販売価格が高くなってしまうため、製品化は実現しなかった。しかし、スタッキングできるので在庫管理や輸送に便利で、何よりデザインの発想が面白い。宮本は今もこの椅子の製品化を諦めておらず、新たなメーカーとの出会いを探しているという。

▲軽量なのに、頑強で安定感がある。写真提供/家具塾

石上純也の発泡スチロールの椅子

2005年にミラノサローネのレクサスの展示会場で発表された、石上純也がデザインした発泡スチロール製の「low chair」。一般的な発泡スチロールだけでは座ると形が崩れてしまい、椅子としては強度が保てないため、宮本は静岡県焼津市のトロ箱(海産物を輸送する箱)をつくる会社に協力を仰いだ。

その社長の提案により、発泡率を変えたものを2種類の型でつくって2重構造にして、実験を繰り返して完成に至ったという。中の構造は柔らかく、上から包み込むように硬い発泡スチロールで覆っている。「その会社はトロ箱以外にも活路を見出したいという思いがあって、以前から一緒におもちゃの飛行機など、発泡スチロールを使った実験的なものづくりをしていました。それまでの試行錯誤があったからこそ、この椅子を生み出すことにつながったと思います」(宮本)。


▲アトリエ1階でスライドによる解説が行われた。写真は「オリジン」。写真提供/佐々木デザイン事務所

竹素材に挑戦した佐々木敏光の椅子

シャルロット・ペリアンや坂倉準三を筆頭に、竹の素材に魅力を感じ、竹を用いた家具づくりに挑む建築家やデザイナーは後を絶たない。宮本もまた、竹を使った椅子の開発に長年取り組んでいる。

佐々木敏光は竹と金属で構成された「オリジン」をデザイン。佐々木が竹産地の大分県出身だったことから、宮本が「地元の竹を生かした家具をつくってみては」と提案したことがきっかけとなった。1988年にミラノサローネで発表し話題を集めたが、金属加工部分に課題があり製品化には至らなかった。

▲もたれるとしなって曲がり、身体をやさしく受け止める。写真提供/家具塾

「バルセロナ・チェア」をモチーフに開発した椅子

各美大から優秀な学生を選抜し、往年の椅子をリ・デザインして学ぶ学外ワークショップ「Mプロジェクト」も宮本は主宰していた。そのなかで、竹のベンディング(曲がる性質)という利点を表現しようと、宮本は「バルセロナ・チェア」をもとに自身でデザインを考えて金属と組み合わせて試作した。その後、竹の家具を製作していたヨーガンレールから、「竹とスチールのベンディングは全く異なる」と言われたが、宮本は今も違いがわからず、その言葉が心に残っているという。

現在もあるデザイナーと竹を用いた椅子づくりに取り組んでいるそうだが、「竹の家具は生産効率が悪くコストがかかり、家具として市場に流通させるには難しい。簡単にできそうに思えるが、なかなか一筋縄にはいかない」と宮本は言う。

▲お気に入りの一脚だという、アルフレックスの「ブリッツ」。背と座、脚は接着剤で接合されている。

試作は「今後も発展させていきたい」

アトリエにはほかにも、五十嵐威暢、伊丹 潤、乾久美子、植木莞爾、川上元美、喜多俊之、北原 進、倉俣史朗、吉岡徳仁らと手がけた試作のほか、京都の迎賓館の椅子、エトロのペイズリー柄の生地を貼った椅子などもある。

このアトリエには製品化されていないものも多いが、宮本の「思い入れが強いもの」を保管し、「いつか何かに役立てたいと今も考えている」と言う。現在の素材や技術を駆使し新たな命を吹き込むことで、製品として実現できる可能性も大いにありそうだ。企業やメーカー担当者のなかに興味を惹かれた椅子があれば、ぜひ五反田製作所ミネルバに連絡していただきたい。

後編では、宮本が生涯取り組んでいるもうひとつの椅子「ソファ」について紹介しよう。End

宮本茂紀(みやもと・しげき)/家具モデラー。1937年東京生まれ。芝家具の流れを汲む椅子張り職人として修行を積む。1966年五反田製作所を創業。1983年五反田製作所の分社としてミネルバ設立。イタリア、スウェーデン、スペイン、ドイツの工場で研修を受け、世界的な技術を修得。国内外トップブランド家具のライセンス生産をはじめ、試作開発、迎賓館や白洲次郎の椅子など歴史的価値のある椅子の修復、宮内庁の儀装馬車の修復や家具の製造のほか、日本初のモデラーとして時代を代表するデザイナーの椅子の製作を手がける。2007年黄綬褒賞受賞。

家具塾/建築家とデザイナーとつくり手がともに「身体と家具と空間の関係と可能性」について考えるデザインの勉強会。2014年春に始動。座学ではなく、実際に家具に触れながら、あるいは空間に身を置きながら、身体と家具と空間の関係と可能性を問い直すこと、また参加者も気軽に発言できる活発な議論を重要視している。塾長は家具デザイナーの藤江和子、スーパーバイザーは家具モデラーの宮本茂紀が務める。サポーターには、テキスタイルデザイナー・コーディネーターの安東陽子、編集者・デザインコミュニケーターの飯田 彩、建築家の田井幹夫、藤江和子アトリエの家具デザイナーである野崎みどり、家具デザイナーの藤森泰司がいる。参加者は、家具メーカーや製造会社などのつくり手や売り手、建築家やデザイナー、編集者など、デザイン活動に携わる人々。2018年6月には、日本建築士会が主宰する、未来につながる社会貢献の活動や業績を担った建築士あるいはグループを顕彰する「これからの建築士賞」を受賞。受賞理由に「人々が安心できる場を生み出し、人と空間をつなぐ家具の重要性やものづくりの根本を探り、家具を構成する素材について深く追究していること」などが挙げられた。