エルメス財団ディレクター カトリーヌ・ティケニス 
「ディレクターとは皆を冒険に連れ出す仕事」

1837年に創業したエルメスは、歴史を重ねながら、現代へ新しいインパクトを与え続けているメゾンである。ビジネスとして創造性を追求しながら、社会や文化の成長に関わっていくメセナ活動にも力を注いできたことが、豊かな企業文化をつくり上げた。メセナ活動は現在、エルメス財団を軸に展開しており、企業と文化・社会活動のひとつの理想形を見せている。その活動について、エルメス財団のディレクターであるカトリーヌ・ティケニスさんに話を聞いた。

フィランソロピーを育んだ土壌

エルメスはフランスの数あるブランドのなかでも長い歴史を誇り、創業一族が代々、経営を担ってきた。老舗というものは、歴史があるだけにややもすると時代遅れになりがちだが、その印象を一変させたのが、5代目のジャン=ルイ・デュマ(1938-2010)である。

スカーフの図案を多彩にし、バッグをカラフルにするなど、現代的な感覚を定番商品に取り入れると同時に、職人技の維持と向上に取り組み、人の手がもたらす技を重んじることを内外に示した。そうして生まれた商品は人々の憧れの対象となり、行列して買うほどの人気を博した。お目当ての商品を購入するために開店前から店舗に人が列をなす光景は、6世代目が経営する今でも世界で散見され、ビジネスとしてもエルメスは成長を続けている。ジャン=ルイはまた、文化の支援や社会貢献活動にも力を注ぎ、銀座のメゾンエルメス フォーラムをはじめとする現代アートのスペースを各国にオープンさせるなど、社会や文化にメッセージを送る企業としての基盤をつくり上げた。

そうしたメセナ活動を「フィランソロピー」として組織立てて行うために、2008年、エルメス財団が創設された。フランスでは1980年代に寄付税制法が改正され、企業の利益がより社会に還元しやすくなったことでメセナ活動が活発化していた。メセナとは本来、文化・芸術を支援するという意味のフランス語だが、近年はその範疇を超え、演劇やスポーツなどさまざまな分野の支援や、利他的な奉仕活動や慈善活動の支援を意味するフィランソロピーという言葉が広がっている。

▲「スキルアカデミー」では半年で6〜12回にわたり、木や土など素材をテーマとしたカンファレンスが行われ、書籍にまとめられる。研究者やアーティスト、エンジニアなどプロフェッショナルを対象とし、毎回150~200名が参加する。

メゾンと共鳴しつつ、独立性を保つ

エルメス財団の活動内容は、一言で表すと「ユニーク」。9つの独自のプログラムを展開し、同時に必要とされる個人や組織への支援を行っている。エルメス財団の文化活動というと日本を含む世界5カ所のギャラリースペースでの企画展示を思い浮かべるが、それだけでない。子どもの教育プログラム「マニュファクト」や、プロフェッショナルのための「スキルアカデミー」、アーティストをエルメスの工房に招き作品をつくる「アーティスト・レジデンシー」、舞台作品の制作を支援し新たな機会を創出する「ニュー・セッティング」、生物多様性に関する活動の支援「H3(ハート・ヘッド・ハンド)」など、実に多岐にわたる。いずれも人道的で、今日の問題をとらえた内容となっている。

ディレクターのカトリーヌ・ティケニスさんの仕事は「皆を冒険に連れだす」こと。財団の活動指針は「われわれの行いがわれわれをつくる」。設立前年の07年に、この活動指針を定義し、プログラムを立案、メセナ活動を発展させるディレクターとしてエルメスに入社した。それまではフランスの文化・通信省で芸術教育の調査官を務めていたという経歴を持つ。社会には何が必要とされているのか、今何が起こっているのかを分析し、解決策を見つけてきた経験が、これまでにないメセナ活動を実現させているようだ。

メセナに企業のサポートは不可欠だが、一方で、活動そのものは企業活動を離れ自由であるべきである。エルメス財団はこの課題にどう対応してきたのだろうか。「財団の創設者であるピエール=アレクシィ・デュマは設立時、『財団の活動は、メゾンの活動と共鳴するものでなければならない。同時に、独立性をもたなければならない』と明言しました。エルメスは、自分自身でものをつくっています。職人をリスペクトし、良きものの価値を継承していこうという想いを強く持っています。その文化をメゾンと財団で共有できることが私たちの強みなのです」と説明してくれた。

▲セリア・ゴンドルの長さ40mのテキスタイル作品の横に立つティケニスさん。現在、銀座メゾンエルメス フォーラムでは、「アーティスト・レジデンシー」による作品を2期に分けて紹介する「眠らない手」を開催している(2019年1月13日まで)。これまで25名のアーティストがエルメスの工房に滞在し、作品を生み出してきた。

学校のカリキュラムをつくる

エルメス財団の自由な発想を示すプログラムとして、マニュファクトが挙げられる。エルメスは革、クリスタル、家具、テキスタイルなど、さまざまな職人技と関わっているが、マニュファクトは彼ら職人が小学校に出向き、授業を行うというプログラムで、2時間の授業が12回にわたりパリとリヨンで開かれている。素材やものづくり、品質などについて子どもたちは学び、手を動かしてゼロからものを製作する。企業メセナからの提案で、学校のカリキュラムが組み変わるというのは、大きなチャレンジと言えるだろう。

「フランスという社会は、困難に直面していますが、解決していくには教育的な観点が必要なのです」と、ティケニスさん。実施して2年が経過したが、つくる喜びが人格形成に大きな影響を与えていると、文化省からの評価も高い。学校からは、従来の授業ではわからなかった子どもたちの側面を観察できるという好感触が返ってきた。子どもたちの能力を見出す機会になっているというのだ。さらに、職人とものをつくりながら、普段の授業が実際にどう役立つのかも実感できるため、教育課程をより豊かなものにできるという利点もある。 

▲「マニュファクト」を実施している小学校の授業風景。上は革を、下は木をテーマにしている。職人による本格的なものづくり体験は、子どもたちの好奇心を刺激する。普段は大人しい生徒も積極的に友だちをサポートするなど、知られざる側面を引き出すのに役立っている。 Benoît Teillet © Fondation d’entreprise Hermès

「何かを為すことは自分自身を構築することであり、為すときには責任を伴います。メセナもひとつの職業なのです」とティケニスさんは言う。支援対象となる個人や団体、活動は多々あり、何を選ぶかがエルメスの総意となる選択の重さを、彼女は熟知している。社会が向き合う課題や必要性を鑑み、支援の対象者をよく観察し、アーティストの妥協しない姿勢や才能、効率など、さまざまな側面で評価することからプログラムは始まる。また、人々の目を惹きつけられるようプランを練ることも必要だ。

幅広いプロジェクトを同時進行で抱えるが、重視しているのは、関係性をきちんと築くこと。日々、 NGOやアーティストらとの話し合いを重ね、問題解決の糸口を探っている。「私たちは人間を信じています。支援した舞台作品が成功を収めたとき、アーティストが一皮剥けた瞬間に立ち会うとき、チームの仲間が新しいアイデアを見つけたとき、すべてが私にとっての喜びです」。彼女の柔らかな眼差しが、新たな未来を導いている。(文/石黒知子 写真/筒井義昭)End

カトリーヌ・ティケニス/哲学と美学を学んだ後、芸術・文化のディレクターとなる訓練を専門機関で受けている。ダンサーとしても活動し、フィリップ・ドゥクフレやマチルド・モニエらのもとでプロダクションマネージャーを務めた経験を持つ。文化・通信省では、芸術教育の調査官として、また舞台芸術のダンスアドバイザーとしても活動。エルメスには2007年に入社、翌年、財団設立とともにディレクターに任命される。身体性への造詣の深さもあり、手仕事への想いも強い。職人の技を未来に向けてどのように開くかという視点で「スキルアカデミー」を立案した。「明日の職人技は過去のものとは異っていくでしょう。職人技や工芸のイメージは変わりつつあります」。財団の活動はいち早く未来を察知し感じさせる活動と言えるかもしれない。

デザイン誌「AXIS」196号 連載「LEADERS」より転載。