REPORT | アート / サウンド
2018.10.12 12:47
台北芸術祭とのコラボレーション
昨秋、全国4都市5カ所を巡ったアジアン・ミーティング・フェスティバル(AMF)が、台湾へと舞台を移して今年も開催された。アジア有数の即興音楽・実験音楽・ノイズの祭典として知られるAMFは、2005年に大友良英氏によって始められ、14年からはdj sniffとユエン・チーワイがキュレーションを手がけてきた。今年も主にこの2人のキュレーションによって、東南アジアから5名、台湾から10名の個性豊かなミュージシャンが集められることになった。
今年のAMFは台北コンテンポラリー・アート・センターの協力のもと、8月31日から9月6日にかけて「サウスイースト・アジア・ミーティング」と題したサウンド・ツアーを行なった。その後、20周年を迎えた台北アート・フェスティバル(TAF)との共催で、9月7日から9日までの3日間、トーク・イベント、市民参加型のワークショップ、ライブ・パフォーマンスという3つのプログラムから成る「ノイズ・アセンブリー」と題した催しが行われた。今回はそのうち8日と9日に2夜連続で開催されたライブ・パフォーマンスの模様をレポートする。
演奏会場の中山堂へ
東京・原宿にも喩えられる台北の若者文化の発信地・西門町。そこから大通りを挟んで徒歩5分ほどの場所に、会場となった中山堂がある。中山堂は日本統治時代に「台北公会堂」という名称で建造され、日本が敗戦を迎えた後に中華民国の所有物になると、「中国革命の父」である孫文=孫中山の名前を冠することになった歴史的かつ政治的な建物である。現在は舞台公演やクラシック音楽のコンサートが行われるなど文化的な役割も担っており、TAFによる強い希望によって今回のライブ・パフォーマンスの会場に決まったそうだ。
建物内部に入ると2階にある「光復廳」という小ホールへ案内された。体育館程度の広さのホールで、白を基調にした吹き抜けの天井が開放感溢れる造りになっている。柱が整然と並び、煌びやかなシャンデリアが吊り下げられているなど、豪華さも際立つ。厳かな雰囲気が漂う空間だが、中に入ると即席のドリンクバーが設けられていて、アルコール飲料を片手に談笑している観客の姿も見られた。美術館とライブハウスが溶け合ったような奇妙な光景だと思った。客層は若者が多く、この手のイベントが日本で行われるときのようにコアなファンが集っているというよりは、もっとカジュアルに音楽好きが足を運んでいるという印象だ。
会場には13の小さなステージが点在していた。観客席は設けられていない。来場者は各々が好きな場所で演奏を聴くことができる。特にアナウンスはなく、しばらくして会場が暗転すると同時にコンサートが始まった。
曲者ぞろいの自由即興
いくつかのステージに照明が落とされる。するとそのステージにいるミュージシャンたちが音を出し、セッションが始まる。観客は初めこそ床に座り込んでいたものの、誰ともなく立ち上がってはスポットライトの当てられたミュージシャンのほうへと歩み寄っていく。照明を合図に2人から4人によるセッションが数珠繋ぎに続けられていく。
セッションとは言ったものの、いわゆるジャズ・セッションやジャム・セッションのようにリズムとコード進行が決められているわけではない。事前の取り決めはなくその場で自由に音を出して音楽と呼べる体験をつくり上げていく。こうした演奏は自由即興と呼ばれている。何が起きるのかはミュージシャンにさえわからない。いわば音楽が生まれ落ちる瞬間に観客は立ち会うことになる。この危うい魅力はほかの音楽ではなかなか味わえない。
出演者たちは曲者ぞろいだ。ロック・ミュージシャンのような出で立ちでキーボードを肩から提げてノイズやループ音を出すワンナリット・ポンパラユン(バンコク)、腕に電極を取り付けて生体現象を音へと変換するシェリル・チャン(台北)、ベトナムの一絃琴ダン・バウからシンセサイザーのような音を出すゴー・トラ・ミー(ベトナム)、ケンダンと呼ばれる伝統打楽器を卓越した技術で操るトニー・マヤーナ(ジョグジャカルタ)など2日間で総勢18名のミュージシャンが出演した。
会場を周回しているときに、時折レーザービームで打たれたように耳に飛び込んでくるホワイト・ノイズがあった。音の出所に顔を向けてみると、遠くのほうで、まるで鳥の羽根のように広げられ、ゆっくりと旋回する、円盤のような装置を使っているフーレイ・ワン(台北)がいた。円盤の正体は指向性スピーカーで、狙いを定めた向きにだけ音が届けられるという仕組みだった。遠く離れていてもあたかもすぐ近くから発されているかに聴こえるノイズ音は、合奏を不意に横切る不気味な効果を発揮していた。
初日に参加したフーレイは90年代に台湾で最初の実験音響レーベルおよび雑誌「NOISE」を立ち上げたパイオニア的存在だ。同じく台湾のノイズ界のパイオニアとして知られるディーノ(台北)は2日目に参加し、ノー・インプットのミキシングボードから電子音響ノイズを時に幽(かそけ)く時に激しく鳴らしながら、多くの観客を興奮させていた。
複数のフィードバック現象、あるいは音の生態系
両日とも後半ではすべてのステージに照明が落とされ、集団での合奏へと突入していった。デュオやトリオでの演奏で時折見られた弱音でのセッションとは異なり、あちこちで思い思いの演奏が繰り広げられていく。種々雑多な音が多方向に入り乱れるさまは壮観だ。渦巻くような大音量ノイズになることもある。
ステージから飛び出して別のミュージシャンのステージに飛び乗ろうとする者もいれば、会場を歩き回りながら口笛を吹いたり、音が鳴り続けているポータブル・レコード・プレーヤーを持ち歩く者もいる。持ち場を離れることなく演奏に没頭する者もいれば、合奏中なんと一度も音を発さない(!)者もいた。
メロディにならないノイズでも反復して発すると周期的なリズムを生み出していく。あるいはそのノイズに特有の音色というものもある。誰かが誰かのリズムや音色を模倣して、それがまた別の誰かへとまるで遺伝子のように受け継がれていく場面が多々あった。巡り巡って還ってきて、知らぬ間に自らの音楽由来の「遺伝子」とセッションしていたミュージシャンもいたことだろう。
即興演奏の醍醐味のひとつは状況に応じて演奏が変化していくスリリングさにあるが、それがこのように広い空間で集団で行われるとなると、数多くの「遺伝子」が飛び交うことの面白さも聴こえてくる。あるミュージシャンの音が複数のミュージシャンのあいだを渡り歩きながら、姿かたちを変えて還ってきて最初のミュージシャンを触発するきっかけになる。こうしたいわばフィードバック現象が複数の場所で発生しているということは、ある種の音の生態系を形づくっているかのようにも思えてくる。
夜市を思わせる熱気
合奏を会場隅から眺めていると、台湾で盛んな「夜市」の光景が脳裏を過ぎった。夜市は日本で言うところのお祭りの屋台にも似ているが、台湾ではそれが非日常的な祭りの場ではなく、あくまでも日常の一環として毎晩のように行われている。それぞれの屋台が売っている商品に、通行人は道すがら群がっては離れていく。たまたま通った場所で魅力的な食べ物が売られていたからつい買ってしまったり、多くの人が群がっているから好奇心をかきたてられて近寄ってみたりする。
同じようにこの日の合奏では、会場に点在するステージで、それぞれのミュージシャンが自分の音を発して観客を呼び込んでいるようにも見えたのだった。観客は歩き回りながら気になる音の近くで足を止める。そしてまた歩き回る。時に多くの観客が群がるステージが現れる。それを見た別のミュージシャンが自己主張するように目立つ音を発すると、観客の誰かが移動しはじめる。それにつられて何人か移動する。観客も音の生態系に加わっているのだ。
異なる文化が交流するために
オリンピックへ向けて国際化が進む東京では、至る所で再開発が行われている。それに伴って、古い町並みだけでなく、町に根付いてきた文化も消えつつある。代わりに出てくるのは国際基準のフラットな空間と、わかりやすく記号化されたジャパニーズ・カルチャーである。筆者はそうした状況を非常に残念に思っている。もちろん都市という括りで見ればグローバルな文脈に寄り添うことも必要なのかもしれない。けれども実際に交流するのは都市ではなくあくまでも個々の人間であるはずだ。
たとえば台北には「先行一車」というレコード・ショップがある。アンダーグラウンドな音楽が集まるディープなスポットだ。台北ならではと言えるが、おそらく一般的な台北のイメージとはあまり関係がない。先行一車は現地のミュージシャンたちの交流拠点にもなっているそうだ。それだけでなく国境を越えたつながりもここを拠点に生み出されていると言う。筆者は先行一車を訪れて改めて考えた。個人のパーソナリティよりも自国の文化イメージを強調することが、異なる文化背景を持つ人々との相互理解を促進し得るのだろうか。
そうではないだろう。国籍もジャンルも異なるミュージシャンたちが集い、中山堂という複雑な歴史を持つ特異な空間で、しかし舞台となった台北の音楽をやるのでも、何かのジャンルに根ざした音楽をやるのでもなく、それぞれが異なる個性を発揮しながら唯一無二の音楽を築き上げようとすること。欧米中心に紡がれてきた実験音楽・即興音楽・ノイズの歴史は、今、遠く離れたアジアの土地で新たな展開を迎えている。その交流のありようが示唆する未来は、決して音楽の話だけには止まらない。