○前編はこちらからどうぞ。
ラオスに入って、3回目の飛行機の着陸もとても静かだった。機体の小さいほうが着陸が楽なのか、ラオス国営航空の操縦士の腕がいいのか。とにかく、わたしの頭には、ラオス国営航空=着陸がうまい、客室乗務員が美人、天井が低い、定刻の20分前に離陸する、と記憶されたのだった。
ルアンナムターはラオスの北の郡で中国とミャンマーに隣接している。空港には知人のYさんが迎えに来てくれていた。空港があるぐらいだから、ほどほどに大きな街だろう、と思っていたのだが、実にのどかな空港、のどかな街並みだ。Yさんは現地で布を扱い、忙しく働いている。仕事の邪魔はしたくないので「適当に放っといてください」などと言っているうちに、また猛烈な雷雨が降ってきた。この街にもレンタサイクルはあるようだが、舗装道はない。雷雨が来たら、道はあっという間に一面ぬかるみだ。自転車はまず運転できない。何も考えずに飛んできた自分の甘さを痛感し、すぐに前言撤回。「放っとかれたら何もできないので、すべてお任せします!」と白旗を上げる。
ルアンナムターにも市街地があり、ガイドブックに書いてあるわずかな情報には、ナイトマーケットもあるようだ。だが、ガイドブックに載っているところには、自分でも行けるということ。私がいわゆる観光に興味がないことはYさんも解っているので、今回は、地元の人の食卓に紛れ込ませてもらった。
何気なく出された果物はどれも土地の力強い味がする。だが、この地に住んでもうすぐ20年になるYさんによると、この20年間で確実に「お金が必要な生活」に変化したという。ある程度のことは自給自足、または物々交換で済んでいたのが、いつの間にかお金で買うものが増えた。自分たちが日本でしている生活を、人にするなとは言えないが、昔の素朴なものが消えていくのは悲しく感じる。家は伝統的な草木を使った高床の住宅だったのが、最近はコンクリの住宅が増えたそうだ。
風呂はなくても、携帯電話は持つようになった。ビニール袋やプラスチックも生活には欠かせない。こんな素敵な自然素材の道具とそれをつくる知恵があるのに、なぜプラスチック?と思ったが、「水を通さない素材に対する信頼感から」と、話すYさんの言葉には説得力と、諦めのようなものが感じられた。
実は、Yさんとは約8年前に日本で出会い、出会ってすぐに来たかったのだが踏ん切りがつかず、今まで先延ばしになってしまった。約8年で、ここラオスは日本の何十年分に当たるほど、風景も社会も変わったに違いない。最初に思いたったそのときなら見られた景色が、今は見られない。出会った当時に来なかったことを少しだけ後悔した。
今回の旅で、いちばん、素敵な経験は、訪ねた現地のお宅でラオスのお母さんの調理が見られたことだった。採ってきたてのきのこを煮て出汁を取り、その後に、何種類もの葉物野菜を入れていく。三和土(たたき)の上で、火を起こし、使い込んだまな板、包丁、鍋を使って、七輪で煮炊きするところをじっくり見せてもらえたのは、食の器、道具を扱う人間としては何よりのことだった。
自分たちの食事をつくっているのだと思ったら「一緒に食べましょう」と誘われた。無類の米好きを自称しており、20代に初めて行ったニューヨーク旅行のとき着いて翌日には米が恋しくなり、米を探して街を歩き、メキシコ料理屋の「chili on rice」というメニューで命をつないだ人間としては、カオ・ニャオというもち米を出してくださったのも有り難かった。
帰りの飛行機の時間は迫っていたが、その後Yさんの仕事場に立ち寄ると、果物が山のように用意されていた。初めて食べるタマリンドは、殻はカラカラなのに中はねっとり。もちとうもろこしはもっちり。日本では高級果物のランブータン、マンゴスチンも遠慮なく頬張った。こんな贅沢な食べ方、今後、一生できない気がする。後ろ髪を引かれながら、ラオスの食文化にわずかでも接することができたことに感謝しつつ、4度目のラオス国営空港に乗り、首都ヴィエンチャンに向かった。
ところで、前編でヴィエンチャンのホテルに泊まったことが、その後の幸運に続くことを匂わせた。
ルアンナムターからヴィエンチャンには14:10着。乗り継ぎのバンコク行きの飛行機は20:30出発。この間6時間。空港から街までは車で10分。初日に回れなかったぶん、この時間を使い街歩きを楽しむ予定だった。だが、スーツケースが邪魔だ。空港で、友人と必死にロッカーもしくは荷物預かり所を探すが、どこにもそんなサービスはない。仕方ない、と見切り発車で、下調べした土産物店などが集中している通りのカフェにタクシーでいき、ひとりが荷物番、ひとりが街中散策をすることにした。
そろそろ空港に戻ろうとしたそのときになって、われわれにはタクシーを捕まえる術がないことに気づく。トゥクトゥクは道端に止まっている。だが、トゥクトゥクの値段交渉をするには疲れすぎていた。ガイドブックもネットの情報も、「空港からのタクシーの乗り方」は書いてあるが、「街中からの戻り方」は書いていない。みな、ホテルから乗るからだ。ならば、と2日前に泊まったホテルに向かい交渉することにした。
ホテルのフロントスタッフがレジスターブックの記録から、私たちがホテルの客であったことを確認。タクシーを呼んでくれることになったのだが、あまりにもギリギリだったので、(もちろん有料だが)ホテルの車で送り届けてくれ、何とか無事に出国することができた。旅慣れた人には、鼻で笑われそうな生ぬるい方法だったかもしれないが、友人と「もし、次に来たら、絶対にこのホテルにまた泊まろう」と、固く誓ったのだった。
そんなこんなで、無事に帰国した。もともとミュンヘンに行くつもりでかき集めたマイルなので、実はもう1度、マイルを使ってラオスに行ける。初めてのラオスの風景、食、連日の飛行機移動は面白かったが、毎日がいっぱいっぽいで、若干の消化不良もある。
戻ってから、密かに「また行ければ」と、たまに特典航空券の席があるか調べたりしている。
《前回のおまけ》
ヴィエンチャン行きで選んだ便は、香港経由で、バンコクに行く便だった。香港もはじめて。6時間のトランジットの間に向かったのが厨房用品のお店が集まる上海街。中華料理屋さんで良く見かける、分厚い切り株のまな板を売る店では、乾燥を防ぐために、水分補給を絶やさないようにしていた。