年に一度の講義のために母校の金沢美術工芸大学を訪れた。卒業してずいぶん経つが、エントランスホールに射し込む静かな光も、彫刻棟から漂う木粉の匂いも昔と何も変わらず、構内を歩いていると20代の自分に鉢合わせしそうで落ち着かない。金沢美大のデザイン科は、日本の工業デザインのパイオニアである故・柳宗理氏が創設時から主任教授として関わり、以後50年教鞭をとった場所である。僕が学生だった頃は、柳先生はすでにご高齢だったので、年に1、2度の授業のみだったが、カリキュラムや課題の評価基準などに先生のデザイン思想が色濃く反映されていた。
学生時代、柳先生の仕事に惚れ込んでいた僕は、柳事務所で働かせてもらえないか直談判しようと密かに計画を立てていた。授業当日、講義が終わり薄暗い廊下をひとり歩く先生に、後ろから走り寄った。緊張で乱れる息をなんとか飲み込んで、口を開けた途端「人は採ってないよっ」とぴしゃりと先に言い放たれてしまった。こっちの思惑などはすべてお見通しである。そのままどんどん歩いていってしまう先生を、気を取り直して追いかけながら、まずは夏休み中だけでもっ、給料はいらないですっ、と食い下がってみたが、ダメダメとまるで相手にしてもらえない。そんなやりとりを控え室までのあいだ繰り返していると、先を歩く先生がふと立ち止まり「まぁ、一度事務所に電話をかけてきなさい」と言って、くしゃっと笑われた。
結局、諸々の事情で柳事務所で働く夢は実現せず、生まれて初めての就職活動は失敗に終わった。20代の頃、デザインの高みに導いてくれる師匠を欲しいとずっと思っていたが、自分の力不足もあってそんな縁を持つことはできずにいた。仕方なく、たくさんの失敗と遠回りをしながら、今も効率悪く試行錯誤を繰り返している。20代の頃はこれをやれば上手くいくといったデザインプロセスのようなものを探していたのだと思う。師匠が欲しかったのは、そんな秘伝を教えてもらいたいと考えていたのだろう。しかし、そんな都合の良い魔法の方法は存在せず、もしあるとしても、それは一般化できるものではなく、数え切れない無残な失敗を通して体解したものでないと意味がないのだと、最近は思うようになった。良いデザインを構成する要素は一定ではないから、状況に柔軟に対応できるしなやかな筋肉を持つことのほうが大切なのだろう。方法論よりも筋トレが必要なのである。小さな負荷を繰り返しかけることで鍛えた水泳選手の筋肉が強く伸びやかなように、デザインでも当たり前のことを手抜きせずに続けることが、しなやかな筋肉を育てるのだと思う。
学生への講義を終えて、当時のままの薄暗い廊下を歩いていると、あの日の柳先生の染み入るような笑顔を鮮明に思い出した。安易に手法を求める甘い考えもきっと見透かされていたのだろう。背筋が伸びる思いがした。