REPORT | 展覧会
2017.12.20 17:27
先日、本ウェブで紹介したインドの小さな出版社「タラブックス」の絵本の原画を紹介する展覧会「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦」が、板橋区立美術館で2018年1月8日まで開かれている(来春、刈谷市美術館に巡回予定)。インドの民俗画家(先住民族のアーティスト)による絵の美しさだけでなく、ユニークな本づくりの発想や、ビジネスと社会性を両立させる取り組みがさまざまなメディアに取り上げられ、連日多くの人が訪れている。
本展の開幕に際し、タラブックスの代表であるギータ・ウォルフとV・ギータが来日して美術館でトークを行ったほか、2017年11月28日にはコクヨホールでシンポジウム「世界を変える本づくり」が開かれた。後者では、日本で独自の出版や販売形態を模索しているパネリストたちとともに、これからの本づくりについて語り合った。本稿では、その内容をもとに、タラブックスの挑戦が日本の出版やものづくりにおいてどのようなヒントをもたらすのかを考えたい。
手づくり絵本のきっかけは偶然から
シンポジウムの冒頭、ギータ・ウォルフとV・ギータはタラブックスの約20年の歩みを語った。それぞれ海外で学んだ経験のあるふたりは、80年代にインド国内のフェミニズム運動のなかで知り合い、「インドの人々に良質の本を届けたい」と意気投合。1994年にギータが友人とタラブックスを設立すると、V・ギータも合流した。タラブックスのタラとはサンスクリット語で「星」を意味する。その名を世界に知らしめたのは、インドの民俗画家の絵をシルクスクリーンで1枚ずつ刷ったハンドメイドの絵本だ。
手づくりの重要性に気づいたきっかけは偶然だった。1994年、フランクフルトのブックフェアへの出展を控え、費用を安く抑えようと知り合いのシルクスクリーン工房に頼んだあくまで即席のサンプルが、カナダ人バイヤーの目に止まり、いきなり8,000冊の注文が入ったのだ。ただし条件は、すべてシルクスクリーンで手刷りすること。「本当に嬉しくて、その後に乗ったエスカレーターで思わずはしゃいで。降りた瞬間、『でも、どうしよう?』って(笑)。帰国すると、すぐに小さな家を借りて、知り合いの職人たちと一緒に印刷の実験を繰り返しました。約1年かけて8,000冊を納品したんです」。
ローカルのつくり手に、仕事と誇りを
インドには小さなシルクスクリーン工房が数多く存在する。しかし、デジタル化によって廃業を余儀なくされたところも多く、タラブックスはこうした工房を呼び集め、手づくり絵本をつくるためのインフラを整えた。現在は29人の職人を擁する「AMMスクリーンズ」が印刷と製本を担い、共同体のように職住をともにしながら、必要であれば本人や彼らの子どもが語学などの教育を受けることができる。職場のヒエラルキーを取り除き、職人も下請けではなく、本づくりにおける意思決定に関わっていることもポイントだ。膨大な量を手作業で刷り、糸でかがるという作業は重労働に違いないが、自分たちの仕事が世界で認められていることを誇りに感じているという。
6冊目の手づくり絵本「Beasts of India(インドのどうぶつ)」では、「インドに美しい伝統的な絵があることを伝えたい」と、複数の民俗画家による動物の絵を集めた。ギータとV・ギータは、約1年をかけてインド各地の民俗絵画をリサーチし、「アクセス可能なインデックス」としてアーティストの名前や伝統技法を絵本のなかに明記した。
このプロジェクトは、民俗画家にロイヤリティを払った初めてのケースでもある。「それまで、彼らの作品は土産物として安く売られていました。彼らが読めるよう簡単な著作権の契約書をつくり、創造に対する正当な対価を受け取る権利があると伝えたのです。でも最初は、『すでに絵の代金をもらったのに、またお金が振り込まれているのはなぜ?』と戸惑っていましたが(笑)」。
無名の作家を起用する
もうひとつ、タラブックスの特徴に、本づくりの経験がない無名の作家でも積極的に起用することがある。例えば、同社はこれまで3人の日本人と協働している。そのひとり、建築家/デザイナーの齋藤名穂は、2013年の板橋区立美術館でのワークショップでふたりのギータと出会い、才能を見出され、チェンナイに約3カ月滞在して「Travels Through South Indian Kitchens」をつくり上げた。同著は2017年11月に現地で出版されたばかりだ。
齋藤によると、タラブックスの社屋には居心地のよいゲスト用スペースがあり、そこでゆっくり過ごしながら南インドの雰囲気に慣れた後、ようやく5日目に「さて、どんな本をつくりましょうか」とミーティングが始まったという。その地で受けたインスピレーションから齋藤が提案したのは、チェンナイのさまざまな家を訪れ、台所を取材すること。住人へのインタビューと家の間取り、そこでつくられる食事の写真やイラストを通じて、土地のリアルな暮らしぶりや家族の物語を紹介するという内容だ。齋藤はギータたちと多くのディスカッションを重ね、帰国の1週間前にようやく骨子を完成させた。
V・ギータは、「誰もが特別な才能を持っています。それらの多様な視点を大切にしたいから、有名無名は関係ありません」と言う。また「最初のアイデアは始まりにすぎない。だからこそワークショップに意味があり、対話を通じて本はでき上がっていくのです。リスクを恐れず、まず始めることが大切」と語った。
本はとても民主的な道具
タラブックスはこれまでに120冊以上の本を刊行している。子ども向けの絵本だけでなく美術書や小説、ノンフィクションなど、内容やターゲット層もさまざまだ。実は、手づくり絵本は全体の2割程度で、活動の一部でしかない。ギータは、「オフセット印刷でインド語の本だけをつくっていたら、決して生き残ることはできなかった」と言う。インドの民俗絵画やハンドメイドといった特徴を打ち出し、「もの」として訴求力のある本をつくることは、販路やコミュニティを世界に広げるための戦略でもあるのだ。とはいえ、制作にコストや時間がかかるため、ほかの本とのバランスを見ながら堅実な出版計画を立てる。場合によっては、新しい絵本を出すより、すでに売れているタイトルの増刷を優先することもあるそうだ。
一方で、本離れ、あるいは、デジタルによって均質化された本が主流となり、ひとりでも本をつくれるような時代に、「もの」としての本にこだわり続けるもうひとつの大切な理由がある。それは、「本に対する信頼」にほかならない。ふたりのギータは、「私たちは本というメディアを信じています。本は、世界で今何が起きているのかを伝えるための、とても民主的な道具なのです」と断言する。だからこそ、「本づくりのプロセスでも『多様な視点』を持ち続けることが大切だ」と。
タラブックスの取り組みは、出版の常識を覆す、革新的なイノベーションであるかのようにとらえられがちだ。しかし、もともと本は手づくりであり、1440年代にグーテンベルグが活版印刷を発明してから、本が担ってきた「伝える」という役割、そのつくり方や届け方において、行き過ぎた効率化の時代をほんの少し巻き戻し、別の方向にモダナイズする取り組みと言えるかもしれない。そしてふたりのギータが言う「多様な視点」とは、現状のやり方や選択肢をすべてだと思わないこと、そして、直感的によいと感じるものを信じて進む勇気を持つこと。タラブックスの活動は、本づくりに限らず、あらゆるクリエイションにおいて心に留めておきたいヒントに満ちている。
参考文献:
「タラブックス インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる」(玄光社)Amazonで購入する>
「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦」(ブルーシープ)Amazonで購入する>
「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦」
- 会期
- 2017年11月25日(土)〜2018年1月8日(月・祝)9:30〜17:00(入館は16:30まで)
- 休館日
- 月曜(ただし1月8日は開館)、12月29日〜1月3日
- 会場
- 板橋区立美術館
- 観覧料
- 一般650円、高校大学生450円、小中学生200円 ※土曜日は小中高校生が無料
- 詳細
- http://www.itabashiartmuseum.jp/
- 巡回
- 刈谷市美術館 2018年4月21日~6月3日(予定)