中心を持たない円を描く
アジアン・ミーティング・フェスティバル 2017(4/4)

他に類を見ない実験音楽・即興音楽・ノイズの祭典。

音楽家・大友良英氏が日本とアジアのミュージシャンの交流をもっと盛んにしたいという思いから2005年にスタートさせた「アジアン・ミーティング・フェスティバル」(AMF)。14年からはシンガポールの音楽家、ユエン・チーワイと香港在住のdj sniffがキュレーションに加わり開催されている、アジア有数の実験音楽・即興音楽・ノイズのフェスティバルだ。

▲札幌国際芸術祭2017 ゲストディレクターも務めた、大友良英(横浜)。 撮影:小牧寿里

今年もアジア各地からアーティストが来日。福岡、京都、仙台での公演を経た後、札幌国際芸術祭(SIAF)2017のプログラムのひとつとして9月23日・24日の2日間公演を行った。多様なバックグラウンドをもつアーティストたちが「新たな音楽の可能性」を追求するAMF。そこで演奏された音楽とはどういうものだったのか。特にノイズに親しんでいるわけではないが音楽好きな筆者が、AMFを通して新たに開かれたと感じる「知覚」について主に紹介する。

観客と演奏者がフラットに点在する。

▲開演前。アーティストの真横に座るなどはあまりないことなので、これから始まるパフォーマンスに不安と期待が入り混じる。

会場には二重の円状にそれぞれの演奏者の小さなステージが用意されていて、観客は好きなところに腰を下ろせるようになっている。通常のライブではステージがあって観客席があるなどアーティストと観客の関係性が分かりやすい傾向があるのに対して、AMFの様子は違っている。「自由に座れるのはいいけれど、果たして自分が座っているこの位置は全体がよく聴こえるのだろうか」とやや不安になる。

間も無くアーティストがそれぞれの位置につき、演奏がはじまった。会場は真っ暗になり、演奏者の周りだけに灯りが落ちる。その様子は神秘的なだけでなく、「音」や「現象」そのものを聞く集中力を高めてくれるようだ。

撮影:小牧寿里

散らばりつつ、せめぎ合うアンサンブル。

演奏のスタイルもいわゆる「正統派」なものではないので、初めて観る人には驚きがあるかもしれない。エレキギターを弓で弾くユエン・チーワイ(シンガポール)、中国のさまざまな種類の笛を持ち替えながら演奏するイ・カホ(クアルンプール)、物が軋む音のようでもあり動物の叫び声のようにも聴こえるボイスパフォーマンスを行う張惠笙(台南)など2日間合わせて総勢18組のアーティストによる予測不可能な演奏が繰り広げられた。

▲ユエン・チーワイ。弓の他にもさまざまな道具でギターを奏でる。 撮影:小牧寿里

▲イ・カホ。手元にはいくつもの笛。2本同時に奏でるシーンも。 撮影:小牧寿里

▲張惠笙(アリス・チャン)。水を張ったボウルに顔をつけて声を出すボイスパフォーマンスも披露。 撮影:小牧寿里

時にアーティストは演奏しながら観客の間を縫うように移動する。一見するとバラバラに見えるそれぞれのアーティストの振る舞いや音楽だが、よく聴いているとそれは他のアーティストの音楽や空間の気配までを感じ取りながら反応し合うアンサンブルであることに気づく。

そのアンサンブルはぴったりと重なるとかというのではなくて、「今自分が音を出すべきか」「出すならどういう風に出すべきか」という繊細なセンサーを働かせ、境界線をせめぎ合いながら演奏している状況だ。それぞれが自分の音をその場に生み出し、跳ね返ってきた音に反応する。その姿は自分の置かれた世界のなかで自分らしさを探ろうとするいち個人の奮闘とも捉えられる。

▲1日目のスペシャルゲスト 灰野敬二(千葉)。 撮影:小牧寿里

面白く感じたのは、私たちの普段の体験がそうであるように、自分のいる場所によって聞こえる音や見える景色が大きく異なる点だ。

同じ目線の高さで円状に広がる観客とアーティストとの関係は、俯瞰しにくく全体を把握するのは困難だ。その代わり「今何が起こっているのか」自分を取り囲む音に耳を澄ませる濃密な瞬間があり、その体験こそが自分だけのその場の音楽を掬い上げることにつながっていく。

開演前に筆者が心配した「この位置は全体がよく聴こえるのだろうか」という問いには、「全体を網羅する必要はない」と自ら答えておこう。気になる音があれば移動して近寄れば聴こえるけれど、一方で見失う音もあるだろう。一様ではない個人の体験は、決められた中心こそないが完成されている、このライブ会場のような円を思い起こさせた。

新しく知覚できることの面白さ。

▲宝示戸亮二(札幌)。発泡スチロールやおもちゃなどが溢れんばかりのピアノは視覚的にも好奇心をくすぐる。撮影:小牧寿里

楽器・あるいは声の持つ表現の可能性を知ることは単純に楽しい。私たちは知らず知らずのうちに規定された「普通」であるものに慣れてしまっているけれど、AMFではピアノなどの慣れ親しんだ楽器でさえも知らない音を奏でる。自作の楽器や装置もたくさん登場するので、想像もつかない音楽のあり方に出会ったりする。それらひとつひとつが音を出すところまでは想像できても、一緒に演奏することはどうだろう。それぞれの個性が強いので難しく思えるかもしれない。けれどバラバラに聴こえる音同士が注意深く関係し合っていることもある。

▲アーノント・ノンヤオ(チェンマイ)。振動に関心があるという彼のパフォーマンスは、たくさんの光や音をつかった装置で音響と映像の合わさったもの。

極端なことを言えば「ノイズは音楽なのか」と考える人もいるかもしれない。AMFを通して感じたことは、この経験が新しく音を知覚する扉を開けてくれることはあっても閉じる扉はないのではないか、ということだ。

「こんな音は聴いたことがない」と思うような演奏でも、ふとした日常のなかで耳にする音や自然のなかの音を想起させることがある。ノイズは実のところ、遠いようで親しんでいる音なのかもしれない。

一音一音が記憶を呼び覚ます強烈なトリガーになり得る、鮮烈なライブを繰り広げたAMF。次に聴ける機会にはぜひ体験することをお勧めしたい。

SIAF2017レポート3部作は下記のリンクより、合わせてご覧ください。
○イントロダクション・梅田哲也氏についてはこちら
○堀尾寛太氏・毛利悠子氏についてはこちら
○大友良英氏・クリスチャン・マークレー氏他についてはこちら